朝霧家のわがままな義妹

『綺麗ですね。花も……あなたも……』


 その人との出会いは、母の喜久子の気まぐれで花見に連れ出された時のことだった。


 はらはらと落ちてくる花弁をぼんやりと目で追い、地に落ちたそれを通行人が踏んでいく。

 川沿いの大通りでは見物客も多く、母は千里に歩調を合わせることなどしないため、すぐにはぐれてしまった。

 どうしようもなく、ぼんやり見つめて時間を過ごして、あの頃の千里は何をするにも諦めて無気力な毎日を送っていた。


 隣で声をかけられて、ようやく千里はその人がずっとこちらを見ていたことに気づいたのだった。


 佐倉京矢。


 貿易商社の跡取り息子で、賢く、語学に長け、男女問わず周囲から羨望の眼差しを集める高嶺の花。

 誰もが羨む彼が選んだのは、路傍の石だった。

 
『愛しています、千里さん。俺と結婚してください』


 彼と出会い千里の日々は目まぐるしく変わった。
 彼はいつだって千里に優しく、千里が望む言葉をかけてくれる。


 恋心を覚えるのもそう時間はかからず、気づけば千里は彼から求婚されていた。


 母は恋愛結婚と聞いて千里を怒鳴りつけたものの、相手の名前を聞くなり目を輝かせて大喜びした。


 当主の尚政はこれといって興味が無さそうだったが、嫁入り支度にはお金をかけてくれた。


 姉の有紗は涙ぐみながら喜び、千里を送り出してくれた。



 嫁入りしてから、千里は佐倉家の屋敷の一室を与えられ、それはもう丁重に扱われていた。

 夢のような時間だった。

 流行りの素敵な洋服を身にまとい、自ら家事をする必要もなく、夫が帰宅すれば食卓を共にする。

 広い屋敷の中にいるのに、千里の生活はあの一室の中で完結していた。

 それに違和感を抱くことも不満を持つこともなく、千里はただ、京矢に愛されるだけの日々を送っていた。

 京矢が頻繁に外で誰かと会っていることも、屋敷で顔を合わせる佐倉家の人々が青い顔をすることも、分かっていながら目を逸らしていた。


 この生活に終わりが来るのは、案外すぐのことだった。

 千里は死んだ。知らない女性に刺されて、もつれ合った末にその人も死んだ。

 薄れていく意識の中で、悲鳴とざわめきと、京矢の声が聞こえてくる。

『馬鹿な人だ。あなたも……あの男も……』

 出会った時も似たような言葉を聞いた。


 いつだったか。あの男とは、誰を指しているのだろうか。


『もっと利用するつもりだったのに、残念だよ。可哀想に』


 
 京矢はいつだって千里を愛し、慈しみ、そして誰よりも――――――哀れんでいた。