朝霧家のわがままな義妹

「私が死ぬと、時間が巻き戻る……?」


 千里には亨の言っていることが理解できなかった。
 ただでさえ、異能力や怪異の血筋と言ったものをやっと理解できるようになったばかりなのに、また理解のできない概念を持ち出されてしまった。


「それは、どういう……」
「言葉通りだよ。君の死を起点としてある一定の期間まで時間が戻るんだ。これまで君はそれに一度も気づくことなく、何度も死を重ねてきた」
「時間が戻るなんて、そんなの、ありえないわ」


 千里はきっぱりと否定するが、心の内では、否定しきれないものがあった。

 未来予知の夢の中で、千里は何度も死を重ねてきた。

 その度に現実に戻り、また次の夢で死を重ねていく。

 夢は記憶の再生だと、誰かが言っていた。

 もし、千里が見ていたものはただの未来予知ではなく、過去に経験したことを見ているだけだとしたら。


「どうしても信じられないのなら、隣にいる男に聞いてごらんよ。きっと私よりもよく知っているだろうからね」


 顔を強ばらせる千里を見て、亨はにやりと笑っている。

 九朗の方がよく知っているなんて、どうしてそんなことが言えるのだ。

 じわりと手汗が滲んできて、千里はどうしようもなく胸騒ぎが抑えられそうになかった。


「前回、君は私から離れて佐倉京矢という青年の元へ逃げ込んだね。この話には、覚えがあるだろう」
「それは……!」


 一番最初に見た未来予知だ。

 千里が未来を変えようと行動し、九朗と出会ったきっかけでもある最大のできごと。

 それを亨に話したことは一度もなかったはずだ。

 
「佐倉京矢の父親に君の異能力について教えてあげたら、自分が殺されるんじゃないかって怯えて、勝手に君を殺してしまった。女中か妾の誰かに手を下させたんだ、覚えがあるだろう。罰を与えるためにちょっと唆しただけなのに、あんなに呆気なく終わるなんて。利己的な人間は扱いやすいけれどすぐに壊れてしまう」
「……っ!」


 亨は淡々と語っている。

 あの時千里は見知らぬ女性に刺されて死亡した。それ以前に、京矢の何らかの企みに加担させられていたのも覚えている。

 今にして思えば、父を深く恨む京矢の復讐の道具として異能力を利用されていたのではないかと理解できる。

 そして京矢の父から恐れられるあまりに始末されたということだ。

 その最大の要因として、亨の存在があった。
 千里はそれに気づけないまま、死んでしまった為に、今まで関連性が見えてこなかったのだ。


「でも、どうしてそんなことを! 私を手に入れたいのなら、殺す必要なんてなかったじゃない!」
「私が欲しいのは君の体であって君自身は不要だ。前回では、エウリュディケの魂がその時既に君の中にあった。あれは私のものだ、不貞を働くのは許されない。別に私は、君が死のうが構わないんだよ。むしろ死んでくれた方がいいぐらいだった」
「な、なんですって……!?」
「問題は、君が死ぬ度に時間が戻ってしまうことだ。君が死ななければエウリュディケの魂は眠ったままだと言うのに、君が死んでしまえばまた元の時間に戻されてしまう。面倒極まりないよ」


 あまりの言い草に、千里は言葉を失った。

 かつては兄のように慕っていたはずの人物から、死ねと面と向かって言われて、自分の中の優しかった亨の姿が崩れ落ちていくようだった。

 身に覚えのない不貞を咎められたばかりか、いつもと変わらない優しい表情で死んでくれと言われるなんて、想像すらしたくなかった。


「千里さん、奴の言葉に耳を貸してはいけない。千里さんは、僕が死なせないから」


 九朗が千里を庇うようにそう言う。

 
「九朗さん、教えて。これまでの私には何が起きているの? 時間を戻すなんて、そんなことどうやったらできるのよ」


 亨は九朗の方がよく知っているだろうと言った。
 考えたくはないが、それが意味することはつまり。


「時間を戻しているのはそこの男だよ」
「え……」


 先に答えたのは亨だった。九朗はそれを否定しないまま、黙っている。


「二つの魂は同じ体にいられない。だからエウリュディケが消滅する前に君を殺し、その肉体を使わなければならない。けれどどうもその男は君が死ぬのが許せないらしくてね、何度も何度も邪魔をしてくる」


 初めて亨の表情が変わる。彼はそれはそれは憎らしげに九朗を見ていた。


 いつだったか、セイレーンの館で青が不思議なことを言っていた。


『異能力を使って救世主になろうなんて馬鹿げたことを考えたって、自分が壊れてしまうだけ』


 あれは無謀な未来予知をしようとした千里に言ったのではなく、九朗に言っていたのだ。
 最初から、何も知らないのは自分だけだった。
 

「九朗さんは、『誰』なの?」


 千里の問いかけに、九朗は覚悟を決めたように口を開いた。


「エウリュディケを虐げた、魔術師の伯爵は僕だ。正確には僕の前世、記憶があるだけで僕とは別人だよ。彼とは違う」


 千里は大きな勘違いをしていたのだ。

 悪しき魔術師は早瀬亨だとばかりに思い込んでいた。

 実際はそれは九朗のことであり、さらに九朗は、自分の知らないずっと前から千里のことを守り続けてくれていた。

 九朗とは偶然の出会いでも運命でもなんでもなく、出会うべくして出会ったのだとようやく理解した。


「私の未来予知では、九朗さんは一度も出てこなかったわ」
「僕は術者だから、千里さんの記憶には存在自体が残れない。虚像に映らないのは僕と、早瀬亨だけだ」
「じゃあ、早瀬さんは、魔術師ではなくて……」


 まさかそんな、と千里は目を見開いた。
 亨は蔑むように笑い、千里を見ている。

 
「私はエウリュディケの兄だ。早瀬亨というのはこの時代に合わせただけの仮の名前だ。愛する妹を再びこの地に甦らせるため、私は人間を集め、この組織を作った。理解したかな?」

 確かに九朗は、一度たりとも早瀬亨が魔術師であるなどと言わなかった。
 九朗が千里に渡したおまじないとやらも、魔術師の力によるものだったのだと気づく。

(神の子は不老不死……じゃあ、早瀬さんは、エウリュディケの兄そのものだったの……)


 物語では悲恋の兄妹のように聞こえたが、目の前にいる亨は、狂気にのまれているようにしか見えない。

 
「前世ばかりか今世まで愛し合う私たちを引き裂こうとは。つくづく恐ろしい男だな」


 亨は嘲笑うかのようにそう言った。


「お前の忌々しい象徴的なペンタクルで、彼女の魂をどこかに封じているのは分かっていた。それがまさか、彼女の子孫に伝わる文献の中に紛れ込ませただなんて、よくもそのような扱いができたものだな」
「何度も言わせてもらうが、僕の前世は前世であって今の僕とは関係ない。それは千里さんも同じことだ。お前の妄言で千里さんが傷つくなんてことあっていいはずがない」


 亨は前世のエウリュディケの兄そのままであっても、千里や九朗はそうではない。

 だから、彼が九朗に向ける憎しみも、エウリュディケをどれほど愛していたのかも、千里には全く分からなかった。


(あの本にエウリュディケの魂が封じられていて、私がそれを目覚めさせたから……だから、未来予知の力に目覚めたんじゃなくて、彼女の力でこれまでの繰り返してきた全てを思い出したってこと……)


 九朗はいつからかそれに気づいたのかは分からないが、前世とは関係なく、今は千里を守るために力を使っている。


 九朗は、全てを捨てても構わないほどに愛していると言ってくれた。

 千里が何度九朗を忘れて死に向かっても、その度に時間を戻し、千里に人生をやり直させた。

 それが途方もない時間であったということは察するに余りある。

 だが亨の望みは千里の死である以上、この繰り返しは終わらせることができない。


(どうしたらいいの……)


 次々と明かされていく真相に、千里の頭は追いつけそうもなかった。
 

「この魔術もそろそろ終わりだろう? このような禁忌に等しい魔術を何度も繰り返していれば、ただの人間の体では耐えきれないはずだ。さあ、私の妹を返してもらおうか」


 勝ち誇ったような亨に、九朗が一歩前に出て千里を庇おうとする。
 けれど千里は、九朗の後ろに隠れようとはしなかった。


「――――ふざけないで! 冗談じゃないわよ!」


 突然の千里の大声に、九朗は驚いている。
 千里はもはや止まらなかった。

 たった一言、決定的に千里を怒らせることを亨が口にしたからだ。


「私の妹、ですって? 誰があなたなんかの妹になるものですか! 私は姉さんだけの妹よ!」