九朗から貰ったこの紙について、亨に知られてはいけない。
直感的にそう思い、一旦は傍観することにした。
これから亨がすることに、千里はあらかた検討が付いている。
未来予知で何度か見た、実に不愉快極まりない光景だ。
亨の前に土塊が運ばれてくる。
豪華なホールの雰囲気に似つかわしくないそれだが、亨が手を振りかざせば、それは一人でに動き出し、形を作っていく。
「ひっ……」
思わず悲鳴が漏れた。
土塊はどろりと溶けだして、泥の人形が生まれる。
それを見て人々は驚き、歓声を上げていた。
「ああっ、薫子なのね……!」
声を上げて群衆から飛び出してきたのは、小野寺の妻、あの親切にしてくれた娘思いの女性だ。
「ありがとうございます……! 娘を甦らせてくれて、本当に、これ以上ない幸福をくださった……!」
小野寺が追いかけてきて、涙ながらに亨に感謝を述べる。
彼の妻は泥人形を抱きしめて涙を流していた。
「おめでとうございます!」
「素晴らしい! なんと感動的なんだ!」
もちろん、彼らの娘は甦ってなどいない。
ここにあるのはただの土で、人間とは到底かけ離れたものだ。
それを誰もが人間だと思い込み、喜びの声を上げている。
これが神秘学術協会の実態なのだ。
千里は言葉を失ってしまったあまりにも冒涜的でおぞましい光景だった。
「お気に召さなかったかな」
くすくす笑っている亨の声に、千里は震えながら彼を睨みつける。
「こんなの、どうかしてるわ」
「私はただ、皆の願いに応えているだけだよ。これも全て、彼らが望んだことだ。どんな形であっても良いから、娘と再会したいと」
「だからってこんなの、詐欺じゃない……! あなただって、死んだ妻を甦らせたいって思ってるんじゃないの!?」
思わずエウリュディケのことを口にするも、亨は否定すらしなかった。
「知っていたんだね。ああ、その通りだよ。ただ、彼らと違って、彼女の体は私の手の中に既にある。その魂も、後は目覚めさせるだけだ」
亨の視線は、千里の体にまとわりつくかのようにじっとりとしたものだった。
予想通り、亨はあの魔術師の伯爵の意思そのままに動いている。
もはや伯爵本人と言っても差し支えないほどだろう。
それぐらい、今目の前にいる亨は千里の知っている彼とかけ離れていた。
「人の死を冒涜しないで!」
千里が吐き捨てるように言ったその時、押しのけるかのような勢いで他の誰かが飛び出してきた。
「早瀬様! 私の左眼はいつ創り出してくれるのですか! そちらのご夫婦よりも、私は貢献してきたはずです!」
左目に包帯を巻いた、軍服の男性だった。
装いからして海軍軍人のようだが、先の戦争で目を失ったらしい。
不敬だぞ、と怒号が飛んできたが、亨は気にするそぶりも見せなかった。
「では今ここで差し上げよう」
亨はにこりと美しい笑みを浮かべ、男性の顔に手をかざす。
すると、途端に彼は呻き声を上げながら痙攣し始めた。
「ああ、ああああ、眩しい! 眩しい! 光だ!」
眼球を掻きむしるかのような勢いで包帯を取り払っている。
彼に新しく与えられた目には一体何が見えているのか、千里には理解できない。
ただ一つだけ分かるのは、それは恐らく、人の身には余るものだったのだろう。
「ひぃっ!」
男性は泡を吹いて倒れてしまったが、その目は見開かれていて、両目とも違う方向を見ながらぎょろりと動き回っていた。
あまりの悲惨な光景にまたしても千里は悲鳴を上げるも、観衆の目には違う世界が映っているらしい。
大勢が嬉しそうに声を上げて、彼を祝福している。
誰一人として目の前で起きていることに違和感すら覚えていないらしい。
これ以上見ていられず、千里は堪らずに怒鳴り声をあげた。
「目を覚ましなさい! 死んだ人間を甦らせるなんて嘘よ! 生命の神秘なんて、全部嘘だわ! あなたたちは騙されている!」
しんと静まり返る。
神の子の婚約者という光栄な役に選ばれた少女が、そんなことを言い出すとは誰も思っていなかったのだろう。
亨は千里を止める訳でもなく、黙って見つめていた。
「こんなまやかしが神の子の御業なら、私だってやってやるわよ!」
壇上から駆け下り、テーブルの上の燭台を手に取る。
蝋燭には火がついたままのそれを掲げると、九朗から貰った紙を取り出して火に付けた。
「おや」
亨が小さく呟く。
紙はばちばちと火花を上げて燃え、赤色の煙が立ち上る。
たちまちそれはホール内へ充満していき、火災でも起きたかのような煙たい空気に変わっていった。
「うっ、なんだこの香りは……」
「頭が……」
悲鳴や怒号が上がったものの、煙を吸い込んだ人々がばたばたと気絶したように倒れ込んでいく。
千里を押さえ込もうと駆け寄ってきた人々も、千里にたどり着く前に倒れてしまった。
九朗は目を覚ますおまじないだと言っていたが、凄まじい効力だ。これで皆が正気に戻ってくれさえすれば、と思ったところで、千里の足元に喜久子が這い寄ってきた。
「ち、千里……どうして……」
「母さん……」
喜久子はそのまま目を閉じて意識を失い、ぱったりと眠り込んでしまった。
足元の母の姿は、自分が知っているよりも遥かに小さく、ずっと頼りないように見えた。
(これでいい、これで良かったのよ……生命の神秘なんて、ありもしないんだから……)
母から離れたところで、背後から亨の声が聞こえてきた。
「『今回』は予想外の展開だったな。あの男も力をつけてきたらしい」
今回、とはなんだ。意味深な言葉を問いただす前に、千里の腕が掴まれた。
「っ!?」
「なぜ、なぜ邪魔をする! お前はただ大人しく捧げられていればよかったものを……!」
「尚政さん、離してっ!」
まだ意識があるとは。尚政は凄まじい気迫で千里に迫る。
腕が強引に掴まれ、燭台がごとりと音を立てて落ちた。
火が、と思うよりも先に、尚政が千里の襟ぐりを掴んで怒鳴りつける。
「お前は私の妻を甦らせるために必要な供物だったんだ! 娘を差し出せば妻を甦らせてくれると、約束したんだぞ! 完全な形で妻を取り戻してくれると約束してくれたから、途方もない時間と金を使い、協会に貢献し続けてきたんだ! それなのに、これでは私の妻は……!」
血走った目が眼前に迫り、千里は恐怖に襲われる。
この人がこんなにも感情を露わにするのを、初めて見た。
しかし、尚政はすぐにばたりと仰向けに倒れ込んでしまう。
「千里さんはあなたのものじゃないよ。いくらお父上とはいえ、ね」
「九朗さん……!」
九朗は倒れた尚政に構わず、千里に駆け寄り怪我が無いか確認する。
それから、千里が落とした蝋燭を取り上げて火を消した。
「警官にはもう通報してある。直に来るだろう」
「そう。今更この国の司法程度で私をどうにかできると思うんだね」
亨はつまらない舞台でも見ているかのように、退屈そうだった。
「いつまで経っても学習しないな、君は。同じような失敗をするのは何度目だい? かつての小賢しい頭脳はどこへ行ってしまったのかな」
まるで古くからの知り合いであるかのような言い方だ。
余裕たっぷりに優雅な笑みを浮かべる亨と対照的に、九朗は彼を見定めるかのようにじっと見ている。
「どういうこと……」
九朗は最初、早瀬亨がどんな人物かも知らないはずだった。
亨が九朗のことを一方的に知っていた、なんてことはありえるのだろうか。
困惑する千里を見て、亨はああ、とひとりでに理解したかのように呟いた。
「そうか、例え力を取り戻していてもこれまでの事は忘れてしまったのか。可哀想にね」
「これまでって、何よ。一体、何の話をして……」
亨が何を言っているのか、千里にはさっぱり理解できない。
けれども彼は、そんな千里を見て哀れむようにただ笑った。
「君と私がこの会話をするのはこれで二十七回目だ。全体の二十五分の二にも見たないわずかな回数だよ」
「は……」
「君が死ぬ度に時間が強制的に巻き戻される、と言えば分かるかな」
直感的にそう思い、一旦は傍観することにした。
これから亨がすることに、千里はあらかた検討が付いている。
未来予知で何度か見た、実に不愉快極まりない光景だ。
亨の前に土塊が運ばれてくる。
豪華なホールの雰囲気に似つかわしくないそれだが、亨が手を振りかざせば、それは一人でに動き出し、形を作っていく。
「ひっ……」
思わず悲鳴が漏れた。
土塊はどろりと溶けだして、泥の人形が生まれる。
それを見て人々は驚き、歓声を上げていた。
「ああっ、薫子なのね……!」
声を上げて群衆から飛び出してきたのは、小野寺の妻、あの親切にしてくれた娘思いの女性だ。
「ありがとうございます……! 娘を甦らせてくれて、本当に、これ以上ない幸福をくださった……!」
小野寺が追いかけてきて、涙ながらに亨に感謝を述べる。
彼の妻は泥人形を抱きしめて涙を流していた。
「おめでとうございます!」
「素晴らしい! なんと感動的なんだ!」
もちろん、彼らの娘は甦ってなどいない。
ここにあるのはただの土で、人間とは到底かけ離れたものだ。
それを誰もが人間だと思い込み、喜びの声を上げている。
これが神秘学術協会の実態なのだ。
千里は言葉を失ってしまったあまりにも冒涜的でおぞましい光景だった。
「お気に召さなかったかな」
くすくす笑っている亨の声に、千里は震えながら彼を睨みつける。
「こんなの、どうかしてるわ」
「私はただ、皆の願いに応えているだけだよ。これも全て、彼らが望んだことだ。どんな形であっても良いから、娘と再会したいと」
「だからってこんなの、詐欺じゃない……! あなただって、死んだ妻を甦らせたいって思ってるんじゃないの!?」
思わずエウリュディケのことを口にするも、亨は否定すらしなかった。
「知っていたんだね。ああ、その通りだよ。ただ、彼らと違って、彼女の体は私の手の中に既にある。その魂も、後は目覚めさせるだけだ」
亨の視線は、千里の体にまとわりつくかのようにじっとりとしたものだった。
予想通り、亨はあの魔術師の伯爵の意思そのままに動いている。
もはや伯爵本人と言っても差し支えないほどだろう。
それぐらい、今目の前にいる亨は千里の知っている彼とかけ離れていた。
「人の死を冒涜しないで!」
千里が吐き捨てるように言ったその時、押しのけるかのような勢いで他の誰かが飛び出してきた。
「早瀬様! 私の左眼はいつ創り出してくれるのですか! そちらのご夫婦よりも、私は貢献してきたはずです!」
左目に包帯を巻いた、軍服の男性だった。
装いからして海軍軍人のようだが、先の戦争で目を失ったらしい。
不敬だぞ、と怒号が飛んできたが、亨は気にするそぶりも見せなかった。
「では今ここで差し上げよう」
亨はにこりと美しい笑みを浮かべ、男性の顔に手をかざす。
すると、途端に彼は呻き声を上げながら痙攣し始めた。
「ああ、ああああ、眩しい! 眩しい! 光だ!」
眼球を掻きむしるかのような勢いで包帯を取り払っている。
彼に新しく与えられた目には一体何が見えているのか、千里には理解できない。
ただ一つだけ分かるのは、それは恐らく、人の身には余るものだったのだろう。
「ひぃっ!」
男性は泡を吹いて倒れてしまったが、その目は見開かれていて、両目とも違う方向を見ながらぎょろりと動き回っていた。
あまりの悲惨な光景にまたしても千里は悲鳴を上げるも、観衆の目には違う世界が映っているらしい。
大勢が嬉しそうに声を上げて、彼を祝福している。
誰一人として目の前で起きていることに違和感すら覚えていないらしい。
これ以上見ていられず、千里は堪らずに怒鳴り声をあげた。
「目を覚ましなさい! 死んだ人間を甦らせるなんて嘘よ! 生命の神秘なんて、全部嘘だわ! あなたたちは騙されている!」
しんと静まり返る。
神の子の婚約者という光栄な役に選ばれた少女が、そんなことを言い出すとは誰も思っていなかったのだろう。
亨は千里を止める訳でもなく、黙って見つめていた。
「こんなまやかしが神の子の御業なら、私だってやってやるわよ!」
壇上から駆け下り、テーブルの上の燭台を手に取る。
蝋燭には火がついたままのそれを掲げると、九朗から貰った紙を取り出して火に付けた。
「おや」
亨が小さく呟く。
紙はばちばちと火花を上げて燃え、赤色の煙が立ち上る。
たちまちそれはホール内へ充満していき、火災でも起きたかのような煙たい空気に変わっていった。
「うっ、なんだこの香りは……」
「頭が……」
悲鳴や怒号が上がったものの、煙を吸い込んだ人々がばたばたと気絶したように倒れ込んでいく。
千里を押さえ込もうと駆け寄ってきた人々も、千里にたどり着く前に倒れてしまった。
九朗は目を覚ますおまじないだと言っていたが、凄まじい効力だ。これで皆が正気に戻ってくれさえすれば、と思ったところで、千里の足元に喜久子が這い寄ってきた。
「ち、千里……どうして……」
「母さん……」
喜久子はそのまま目を閉じて意識を失い、ぱったりと眠り込んでしまった。
足元の母の姿は、自分が知っているよりも遥かに小さく、ずっと頼りないように見えた。
(これでいい、これで良かったのよ……生命の神秘なんて、ありもしないんだから……)
母から離れたところで、背後から亨の声が聞こえてきた。
「『今回』は予想外の展開だったな。あの男も力をつけてきたらしい」
今回、とはなんだ。意味深な言葉を問いただす前に、千里の腕が掴まれた。
「っ!?」
「なぜ、なぜ邪魔をする! お前はただ大人しく捧げられていればよかったものを……!」
「尚政さん、離してっ!」
まだ意識があるとは。尚政は凄まじい気迫で千里に迫る。
腕が強引に掴まれ、燭台がごとりと音を立てて落ちた。
火が、と思うよりも先に、尚政が千里の襟ぐりを掴んで怒鳴りつける。
「お前は私の妻を甦らせるために必要な供物だったんだ! 娘を差し出せば妻を甦らせてくれると、約束したんだぞ! 完全な形で妻を取り戻してくれると約束してくれたから、途方もない時間と金を使い、協会に貢献し続けてきたんだ! それなのに、これでは私の妻は……!」
血走った目が眼前に迫り、千里は恐怖に襲われる。
この人がこんなにも感情を露わにするのを、初めて見た。
しかし、尚政はすぐにばたりと仰向けに倒れ込んでしまう。
「千里さんはあなたのものじゃないよ。いくらお父上とはいえ、ね」
「九朗さん……!」
九朗は倒れた尚政に構わず、千里に駆け寄り怪我が無いか確認する。
それから、千里が落とした蝋燭を取り上げて火を消した。
「警官にはもう通報してある。直に来るだろう」
「そう。今更この国の司法程度で私をどうにかできると思うんだね」
亨はつまらない舞台でも見ているかのように、退屈そうだった。
「いつまで経っても学習しないな、君は。同じような失敗をするのは何度目だい? かつての小賢しい頭脳はどこへ行ってしまったのかな」
まるで古くからの知り合いであるかのような言い方だ。
余裕たっぷりに優雅な笑みを浮かべる亨と対照的に、九朗は彼を見定めるかのようにじっと見ている。
「どういうこと……」
九朗は最初、早瀬亨がどんな人物かも知らないはずだった。
亨が九朗のことを一方的に知っていた、なんてことはありえるのだろうか。
困惑する千里を見て、亨はああ、とひとりでに理解したかのように呟いた。
「そうか、例え力を取り戻していてもこれまでの事は忘れてしまったのか。可哀想にね」
「これまでって、何よ。一体、何の話をして……」
亨が何を言っているのか、千里にはさっぱり理解できない。
けれども彼は、そんな千里を見て哀れむようにただ笑った。
「君と私がこの会話をするのはこれで二十七回目だ。全体の二十五分の二にも見たないわずかな回数だよ」
「は……」
「君が死ぬ度に時間が強制的に巻き戻される、と言えば分かるかな」



