朝霧家のわがままな義妹

「そういえば、設計図ってどこから手に入れたのよ?」


 気になっていたことを尋ねてみれば、九朗は千里から手を離す。
 

「ちょっとツテで」
「どういうツテなのよ」


 普通の学生が、建設されて以来開業されていないいわく付きのホテルの設計図なんて簡単に手に入れられるものか。
 しかし、その答えは意外な人物にあった。

 
「京矢だよ。ほら、アイツの家って知っての通りお偉いさんだから。有紗さんのためならって、仲直りしたんだって。僕はその権力のおこぼれにあずかったのさ」
「仲直り?」


 覚えている限りでは、今の京矢は実家から離れている上に、家業に関して思うところがある様子だった。

 だからこそ、未来予知と現実が異なっていることに真っ先に気づけたのだったが、急に仲直りなんて一体どうしたのだろうか。

 
「そう。京矢のお父上はなんというか、あまり家庭を省みない方で、お母上が若くして精神を病んで亡くなられてしまったんだ。それで京矢は父親のことを恨んでいて、早々に縁を切ろうと家を出ていったんだよ」


 確かに、未来予知でも京矢の母は姿が見えなかった。既に亡くなっていたのだ。
 

「おまけにお妾さんが何人もいて、息子達に跡取り争いをさせることもあるぐらいで、家庭環境は最悪だったらしい。『会社の利益と自分のことしか頭にない自己中心的な男』だって、京矢は言ってたよ」
「それでも、ちゃんと和解できたのね」
「ああ。驚いたよ。京矢が出ていってからお父上は病気になってしまったんだ。それ以来人格が変わったようにすっかり弱っているそうで」
「えっ」
「今は持ち直しているらしいけど、一時期はいつ死んでもおかしくないぐらい酷かったらしい。でも、周りの人たちが心配するどころか遺産争いを始めて、見舞いにさえ来なくなって気づいたんだって。今まで家庭を蔑ろにした罰が当たんだと。すっかり落ち込んでしまって、京矢が会いに来てくれただけでももう死んでいいって言い出したぐらい」


 予想外の展開だった。

 気性の荒い人物が病をきっかけに変わった、というのは世間的にも聞かない話ではない。

 父の変わりようを目の当たりにしたことで、京矢は彼を許し和解することができたということなのだろう。

 
「和解する代わりに、有紗さんとの結婚を認めてもらうことにしたんだ。家の権力もいくつか拝借できたらしくて、神秘学術協会に潜入できたのも京矢のおかげ」
「じゃあ、姉さんと佐倉さんは結婚できるのね……! 良かった……!」


 有紗と京矢の結婚で最大の壁となるのは京矢の実家のことだろうとは思っていたが、思わぬ形で解決したようだ。
 これで安心して二人を見守ることができると、千里は大いに喜ぶ。

 それだけでなく、自分が京矢と有紗を引き合わせたことで、彼の抱えていた過去が少しでも救われたのなら、それ以上に嬉しいことはなかった。


「京矢も、未来の義妹が可哀想な目にあうのなんて許せないってさ」
「お気遣い感謝するわ。でも、私は姉さんだけの妹よ」
「はは、さすが千里さんはなかなか手強いね」


 強気で言い返しつつも、京矢にも世話になったのなら、後で何かしらお礼をしなければと考える。

 きっと物をあげるよりも、前のように有紗と二人きりで過ごせる時間を提供してあげた方が喜ぶだろうと、分かりやすく思い浮かんだ。


「さて。それで、千里さんはこれからどうするつもり? 僕としてはもうこのまま君を連れ出してもいいぐらいなんだけど」
「言ったでしょ。神秘学術協会を潰すのよ。晩餐会には関係者がたくさん集まるわ。それに、早瀬さんもいる。この機を逃したら次はないわ」


 きっと九朗は止めるだろう。

 そうだとしても、千里に引く気はなかった。
 しかし、千里の頑なな様子を見てか、九朗はあっさり頷いてくれた。その表情は、渋々、といったものではあるが。
 

「……分かった。千里さん、僕に考えがある」


 九朗は背広の胸ポケットからいつもの手帳を取り出すと、サラサラと何か書きつける。

 こんな時まで持ち歩くなんて、と思っていれば、九朗は書いたそれを折りたたみ千里に渡した。


「中身は見ないで。目が覚めるおまじないみたいなものだよ。晩餐会の会場で、それに火をつけるんだ」
「えっ、そんなことしたら火事になってしまうわ」
「ならない。大丈夫だから、僕を信じて」


 そんなことを言われても簡単には信じられない。
 だが、九朗のその口ぶりはかつて自分が初対面の時に言ったそれを想起させるようなものだった。

 それに気づいた途端、千里はある可能性に思い至った。


「もしかして、九朗さんも異能力があるの……?」


 いつか、遠野青が異能力に関して千里に忠告をした時のことだ。

 ずいぶん思わせぶりなことを言っていたが、あれはまさか、九朗に異能力があるということを示唆していたのだろうかと気づいたのだ。

 異能力だけでなく、怪異に関する知識が豊富で、ただの学生とは思えない一面もある。

 出会った時も異能力について一切否定せず、認めてくれたぐらいだ。

 そんな九朗ならば、異能力を持っていてもおかしくはない。


「……ま、そんなところだよ。これは内緒ね」


 唇に指を当てて、九朗はいたずらっぽく笑う。
 それから、千里に具体的な計画について話し始めた。




 待合室に戻れば喜久子が目を釣り上げて千里を待っていた。
 

「千里、どこ行ってたのよ……! 待合室にいないから、心配したじゃない!」
「ごめんなさい、お手洗いに行こうと思ったら、迷ってしまって」
「これだけの距離で迷うわけがないでしょう! お願いだから、母さんに恥をかかせないでちょうだい!」


 適当に言い訳をすれば、火に油を注いでしまったようだ。
 この建物の中に隠し部屋があることも、吸血鬼エウリュディケのことも喜久子は知らないのだろう。

 とにかく謝ろうとしたところで、尚政が喜久子を宥めた。
 

「喜久子さん、そう怒らなくてもいいだろう。もうすぐ彼が来る」
「尚政さんがそう言ってくださるのなら……。千里、しっかりしなさいね」


 大人しく頷いておく。九朗から貰った紙は帯の中に隠しておいた。


 連れられた先は宴会場だった。既に人々が集まっていて賑やかに談笑している。

 洋風の大きなホールには円形のテーブルがいくつもならび、奥には演壇があった。

 一般的な宴会場と言った様子だが、天井には巨大なシャンデリアが煌めいていて、ホール内を明るく照らしていた。

 シャンデリアの光を見つめながら、普通にホテルとして開業していればきっと宿泊費は高いだろうな、などと考えていれば、晩餐会は始まり、つつがなく進行されていく。


 演壇で代表らしき人物が話をしているが、緊張していて全く入ってこない。

 九朗と立てた計画は、千里にかかっている。

 もっとも、尚政や喜久子は千里の緊張を婚約発表によるものだとばかり思っているようだが。


「我らが神秘学術協会の未来を担う、『神の子』早瀬亨様のご登壇です!」


 司会者の声に、急いで視線をそちらに向ける。


(来た……!)


 亨はいつもと変わらない微笑みを浮かべているが、その姿は洋装だった。

 亨の登壇で皆から拍手や歓声が上がる。

 自分の知っている優しくて憧れの姿と変わらないはずなのに、今ではまるで知らない人のように見える。

 戸惑う千里に、亨の視線がぶつかった。

 彼は優しくこちらを見ている。千里は思わず視線を逸らしてしまった。


「本日はお集まり頂き感謝します。新月の今日、祝いの儀を皆で執り行いましょう」


 給仕がそれぞれのテーブルに葡萄酒を注いで回る。

 千里の前にも差し出されたが、受け取ったそれは、葡萄酒というには少し奇妙だった。


(何、この匂い……)


 赤黒いその液体から、嗅いだことのない、変わった匂いが漂ってくる。

 砂糖を溶かして煮詰めたようにも、香草を燻したようにも感じられる。とにかく、嗅いでいるだけでぞわりとするような、酒精とは違うものだ。

 乾杯に合わせて飲むふりをしたが、もちろん一口も含んだりはしなかった。


「さて、本日は私の婚約者を皆様に紹介させていただく貴重な場です。彼女にも神秘学術協会の偉業を見届けていただくため、今回は人体錬成の成果をお見せさせていただきます」


 拍手が上がる。

 登壇を促され、周囲からの視線が一気に集まる。
 異様な雰囲気にのまれそうになり、足がすくんで動けなくなった。
 

「おいで」


 亨が微笑みながら、千里に手招きする。
 すると不思議なことに、固まっていたはずの足が勝手に動き出し、亨の元へ向かっていくのだ。


(人体錬成って、何。嫌、なんで、勝手に足が……)


 いつの間にか亨の横に千里の分の椅子が用意されていて、二人並んで座らされる。

 玉座に座るかのごとく堂々としている亨の横で、千里は恐怖で震えていた。


「久しぶりだね、千里ちゃん」


 亨の手が千里の頬を撫でる。

 九朗にされるのとはまるで違う、嫌悪感が背筋を走る。

 今までだったら亨に微笑みかけられることに嬉しく思っていたはずだったのに、とても正気ではいられなかった。

 大勢の大人たちが完成を上げて拍手をし、祝福するかのように千里たちを見ている。


「ふふ、あの男とは、もうどこまでしたのかな」
「……っ!?」


 亨の囁きに、千里は驚愕を隠せなかった。
 九朗のことを知っている。

 そして、九朗と口づけを交わしたことを知っているかのような口ぶりだ。


「退屈だろうけど、しばらく付き合ってもらうよ。千里ちゃんの火遊びについてのお話は、それからだ」


 シャンデリアの光に照らされて、亨の瞳が爛々と輝いている。
 混沌とした晩餐会が、本当の意味で始まるのだ。