朝霧家のわがままな義妹

「千里ちゃん……! どういうことなの、早瀬さんと千里ちゃんが結婚するなんて」


 自室に戻り時間を過ごしていれば、予想通り有紗が駆け込んできた。
 やはり早々に尚政から話を聞いたのだろう。顔色が真っ青だった。
 

「姉さんにはもう関係ないでしょ」


 ふいと顔を背けて手元の文庫本に視線を落とすも、最後に頁を捲ったのは何十分も前のことだった。
 何をしていても手につかず、心ここに在らずなのは見ての通りだった。
 

「私のためなの!? ねぇ、どうしてなの千里ちゃん!」
「勘違いしないで。姉さんのためなんかじゃないわよ。私が早瀬さんを姉さんに盗られたくなくて、無理やり頼み込んだだけよ。ごめんなさいね、姉さんの結婚相手を奪っちゃって」


 作り笑いでわざとらしいまでに意地の悪いことを言って見せれば、有紗は狼狽える。
 

「どうしてそんなことを……」


 千里が心からそんなことを言っているはずがないと、有紗は分かっていた。
 どうにかして千里の本心を聞き出そうとするも、千里も簡単には引き下がらない。

 弱音など吐いてたまるものかと、精一杯有紗を睨みつける。
 

「早瀬さんだって姉さんより私の方が良いみたいよ。残念だったわね。私、わがままだから欲しいものは何でも手に入れたいの。お金持ちで素敵な男性と結婚して幸せになりたいって、ずっと思ってたわ」
「嘘よ。嘘、全部嘘」
「嘘なんかじゃないわ」
「じゃあどうしてそんな顔をするの? ねぇ、早瀬さんと結婚したいなんて嘘なんでしょう。本当は、あの方のことが……園村九朗さんのことが好きなのでしょう?」


 有紗の切実な訴えに、千里はわずかにたじろぐ。
 だが、すぐに表情を取り繕うと有紗からふいと視線をそらした。

 
「そんな人、もう忘れたわ」


 そしてそのまま、話は終わったとばかりに有紗を追い出す。


「もう出て行って。姉さんと話すことなんて何も無いから」
「千里ちゃん……」


 有紗はすっかり項垂れてしまい、今にも泣き出しそうな顔になる。
 あまりの悲しみように良心が痛むも、これ以上有紗をこの件に関わらせてなるものかと必死に無視を決め込む。

 だが、そんな千里をよそに、有紗は大きく息を吸い込むと覚悟を決めたように表情を変えた。
 

「分かりました。千里ちゃんがそういうつもりなら、私にだって考えがありますから」


 ピンと背筋を伸ばして千里に言い放つと、有紗は千里の返事を待たずにすたすたと出ていってしまう。


(まさか、怒ったの……?)


 何を言われてものほほんと能天気に笑っていたあの姉が、本気で怒っただと?

 千里には信じられなかった。

 以前京矢に対して見せたあの怒りを思い出すと、本気になった有紗がどんなことをしでかすか予測できない。

 どうやら選択肢を間違ったようだと気づくが、それならそれでこっちもやるべき事をするだけだと千里は例の古びた本を取り出す。


「別に、私だってただ黙って大人しくするつもりなんてないわよ」


 大方有紗には千里が悲しみを受け入れようと無理をしているように見えているのだろうが、千里にそんなつもりはない。

 姉のためならどんなことでもしてみせると決意したのだから、簡単に諦めるなどしてたまるものか。
 ぱらぱらと頁を捲れば、記された数回分の千里の人生が目に入る。


「……早瀬さんのことが分からないのなら、私にしかできないやり方で情報収集をするしかないじゃない」


 以前、セイレーンの館で青から『異能力の過剰な行使は、自身を滅ぼすことになる諸刃の剣』だと忠告を受けた。

 これから千里がしようとすることを聞けば、青からはきっと呆れられてしまうだろうと自嘲する。

 けれど、傷つくことを恐れるあまりに武器を捨ててしまうのは本末転倒というものだ。

 
「彼を知り己を知れば百戦あやうからず、ってものよ。大人しくやられてたまるものですか」


 千里はいそいそと布団を敷いて寝支度を始める。
 
 千里にできる唯一の対抗策、それは眠ることだった。
 
 夢を見ることで未来を見るのだから、とにかくひたすら眠り、最大限に未来を見尽くすしかない。


「よし、寝るわよ!」


 布団に入り目を閉じる。
 深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。


(全部終わらせて、もう一度、九朗さんに会いに行くの。それで、ちゃんと、私の気持ちを伝えなきゃ)


 九朗のことを思い浮かべているうちに、次第に微睡んでいく。
 九朗はいつも千里を素敵だと褒めそやすが、直接的な言葉は言われていない。

 ようやく恋愛感情を自覚させられた以上、九朗が向けてくる視線も恋であると、九朗からはっきり聞き出さなければ気が済みそうもなかった。


(私にこんな気持ちを抱かせたんだから、責任取ってよね――――)


 有紗を救えるのならば自分はどうなっても構わないはずだった。
 けれど今の千里は、未来に希望を抱いている。

 いつの日か九朗が言ってくれたように、自身の幸せを掴みたいと必死に足掻いていた。
 
 思考がぼんやりとして、千里はゆっくりと眠りにつく。
 未来予知が発動するかは賭けだったが、千里の願いに応えるように、いくつもの光景が千里の中へ流れ込んできた。



 ある時は事故死、ある時は火事、またある時は母と心中。
 路上ですれ違いざまに知らない人に切りつけられ、燃える建物の中で煙を吸い込み倒れ、神秘学術協会の怪しげな儀式で意味不明な言葉を叫びながら自ら毒を煽り。


 多種多様ないくつもの死がありありと見せつけられ、それに付随する背景が流れていく。


 神秘学術協会の熱心な信者になった時もあれば、九朗とも京矢とも違う男性と結婚した時もあった。

 華やかな百貨店に勤める職業婦人になれた時もあったし、神秘学術協会で働く時もあった。

 いつも落ち込んで鬱々とした性格の千里もいれば、明るく溌剌とした笑顔を見せる千里もいた。

 
 違う世界、違う自分、違う結末。

 
 だがそのどれもで、千里は必ず朝霧家の娘となり、神秘学術協会という存在からは離れられない。
 そして、早瀬亨は名前こそ出てくるもその姿は一度たりとも千里の記憶には映らなかった。



「――――――っ! はぁっ……はぁっ……」


 気が付けば目が覚めており、現実に戻っている。
 びっしょりと汗をかいていて、髪もベタついているぐらいだ。
 だがそれらに構うことなく、千里は古びた本のページを捲る。


(神秘学術協会は西洋医学の研究とうたいながらも、その実態は倫理を逸脱していた……)


 劇薬とも言えるような違法な薬品の使用や、摘出された臓器を用いた研究など、口にするのもはばかられるようなおぞましい内容が綴られた研究レポートを未来でいくつも千里は目にしていた。

 関係者の顔や名前も複数記録することができたが、やはり早瀬亨の正体は分からない。


(神秘学術協会にとって『神』と定義される存在に最も近しいのが、早瀬さんだと言われていた)


 その定義とは、不老不死であること、特別な血を持つこと、異能力を持つこと……などらしい。
 以前セイレーンの館で青から教えてもらった、妖の血筋はこれに該当すると考えても良いだろう。


「不老不死っていうのがよく分からないけれど……」


 考え込んでから、ふと千里はあることを思いついた。


「あら。これってもしかしたら、私も神の子とやらに立候補出来たりしないかしら?」