朝霧家のわがままな義妹

 千里は大急ぎで家に帰った。

 いつもは人がいないか確認してから忍び込むが、なりふり構わず勝手口の扉をバンッと開けて駆け込む。


「それで、あんな冴えない前妻の娘に急に縁談なんてねぇ……きゃっ!」


 すぐ近くでは、麻弥たち女中三人が仕事の手を止めてお喋りに興じていた。

 突然凄まじい勢いで現れた千里に、三人とも目を丸くして飛び上がってしまった。


「お、お嬢様、急にそんなところからどうされたのですか」


 サボっていたのを誤魔化すためか、仕事道具片手に彼女たちはほほと愛想笑いをする。
 千里はそんなものには構わず、急いで麻弥に詰め寄った。

 
「ねぇ、今の話って姉さんのこと!?」
「そっ、その通りですが……」


 三人とも気まずそうに目を合わせてから、麻弥を残して二人がそそくさと離れていく。

 
「あ、あのう、千里お嬢様……?」


 千里は麻弥に構わず、早足で上がり込むと尚政を探して居間へ向かう。

 廊下を踏む足音はドタドタと騒がしいが、今の千里にはそれを直す余裕はなかった。

 予想通り、尚政と喜久子の話し声が聞こえてくる。
 いきなり踏み込むより、まずは聞き耳を立てることにした。

 少しだけ襖に隙間を開けて覗き込む。


「では、次の会では正式に皆さんにお披露目ということですね。わたくしも準備に協力しますわ。木曜あたりにもう一度本部へ参りますわ」
「ああ、頼む。毎度助かる。こういうことは女手が必要になるから、喜久子さんがいると皆も喜んでくれるだろう」
「少しでも皆様のお役に立てるのなら、わたくしはいつでもお力添えいたします」


 千里と話している時の何倍も上品な話し方の母の声に、千里は思わず顔をしかめる。

 このところ喜久子はますます神秘学術協会とやらの集まりに参加するようになって、喜久子自身も熱中しているかのように見える時が増えた。

 おまけに、新しい化粧品でも買ったのか、目元のシワが無くなっている。

 いつまでも若々しく美しいのは母の日頃の努力の賜物であることは分かっているが、学術協会の理念のうちに若返りとやらも含まれているらしいところから、あまり手放しに褒めることはできなかった。

 日頃の様子が母の持つ天性の演技力によるものであるのか、はたまた木乃伊取りが木乃伊に、というもののどちらであるのか、千里には断定しようもないからだ。


(姉さんはいないのかしら? 声は聞こえないけど……)


 いないのであれば、今が好都合だ。
 千里は一か八かで居間へと踏み込む。


「尚政さん、姉さんの縁談についてお話が……」


 二人が一斉に千里へ振り向く。
 最後まで言い終わるのを待たず、喜久子が声を出して遮った。

 
「まあっ、千里! あなた、こんな時間まで一体どこへ行っていたの!」


 喜久子は目を釣り上げて千里を怒鳴りつける。
 といっても、普段有紗にやっているようなものとは程遠いぐらい落ち着いたものだが。


「部屋に呼びに行ってもいない上に、誰もあなたがどこにいるのか知らないものだから、どれだけ驚いたことか! そこへお座りなさい」


 促されるまでもなく、千里は自分から二人の正面に正座する。

 喜久子は尚政の前で千里を説教し、母親として正しく振舞っている姿を見せるつもりなのだろう。

 しかし、尚政の方はまるで千里に興味の無さそうな、侮蔑とも取れるような表情をしている。
 

「日頃から勉強もせず遊んでばかりで、朝霧家の一員であるという自覚はあるのですか。いいですか、よくお聞き。尚政さんが私たち母娘を朝霧家に迎えてくださったのは、私の協会に対する貢献を認めてくださり、ひいては会のさらなる発展に協力すべく、私たちを援助してくださっているのであって」
「分かっています。ええ、分かっていますとも」


 いつもとまるで違う顔つきで反論してきた千里に、喜久子は黙ったまま唖然としてしまった。
 千里は母に構わず、尚政の方を向く。


「姉さんが早瀬さんと結婚するというのは本当ですか」


 尚政は顔色ひとつ変えなかった。

 
「なんだ、もう聞いていたのか」
「はい」
「向こうからの申し出だ。有紗にはこれ以上ない良縁だろう」
「ええ。おっしゃる通りでございます」


 千里は頷く。話は終わりだとばかりに、尚政は外を視線を向けて千里に見向きもしなくなった。

 喜久子が千里を追い出そうと立ち上がる。だが話はまだ終わりでは無い。


「ですが!」


 千里が再び大きな声を出すも、尚政の視線は外を向いていた。


「私は納得できません! なぜ、同じ姉妹である私と姉さんが同等の扱いではないのですか。私には婚約者どころか、いまだ縁談のひとつもございません」


 尚政は、はぁと呆れたようにため息をついた。
 

「その程度のことで一々騒ぐな。喜久子さんと相談して、そのうち見繕う予定だ」
「いいえ。私は兼ねてより、早瀬亨様をお慕い申しておりました」
「なんですって!?」


 叫んだのは喜久子だ。亨を慕っていたというのは嘘ではない。恋愛感情ではないだけだ。


「お慕いしていた殿方と姉が結婚するなど、私には到底認められません! 例え、今後どのような縁談があろうと、私は納得できません! あの方を姉に奪われるなど、私には許せません!」
「千里! なんてわがままなことを! もうやめなさい!」


 喜久子がなりふり構わなくなった千里を羽交い締めにする。

 千里は黙らなかった。喜久子から逃れようともがき、必死に尚政に訴える。

 千里が考えたのは、有紗の代わりに自分が亨と結婚するという解決策だ。
 なぜよりによって亨なのか、尚政の考えは分からない。
 
 きっと尚政から見た自分は幼稚でわがまま、喜久子に甘えてばかりの迷惑な小娘でしかないだろう。
 
 だが、千里とて戸籍上は朝霧家の娘である。
 
 早瀬家との繋がりのために縁を結ぶのであれば、千里であっても良いはずだ。

 千里がやろうとしているのは、姉と自分の結婚相手を入れ替えようとしているだけのこと。当初、初めて未来を見たあの時と同じだ。


「どうか、早瀬亨様の結婚相手を私に……!」


 尚政が折れるまで、何度でも訴えかけるつもりだった。
 切実に千里は叫ぶ。姉の結婚相手を自分に寄越せ、などというあまりに非常識な要求に、喜久子ですら青ざめて閉まっている。
 だが、尚政は顔色一つ変えることなく、少し思案してからようやく千里を見た。


「いいだろう」
「……は」
「いいと言っているんだ」


 自分から頼み込んでおいてなんだが、まさかそんなにあっさり了承されるとは思わず、喜久子も千里もぴたりと硬直して驚いてしまった。
 尚政は相変わらずの無表情で、千里に座れと命じる。


「ほ、本当に良いのですか……?」
「ああ。本人から言われている。『もし、妹が自分との結婚を望むのであれば、相手を入れ替えても構わない』と」
「え……?」