千里は慌てて鞄から封筒を取り出した。
「君がか?」
不思議そうな京矢に対してそれをさっと突き出す。
「これ姉さんから! あなたに渡してって、預けられたの」
「あ、有紗さんからか。そうか、ありがとう」
途端ににやけた顔になり、京矢は嬉しそうに封筒を受け取った。
「いつもは郵便でしょ? でも、なんだか姉さん忙しいみたいで。もしかして、今日は約束でもしていたの?」
「いや、今日は違う。早番で時間があったから暇つぶしでもと思ったら、青さんにつかまったんだよ。ああ、九朗は学校だ。このところ授業が忙しいらしい。夜中まで机に向かってばかりで調子も悪そうだから、今度会ったらほどほどに慰めてやってくれ」
「まあ、そうなの……って、なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
聞いてもいないのに急に九朗のことを話題に出され、千里は思わず過剰に反応してしまった。
確かに、今日は九朗はいないのかと考えていたのは事実だが、九朗のことばかり考えていたのが見透かされたようで気に入らない。
もっと言えば、京矢に指摘されてそれに気が付いたことも気に入らなかった。
「君こそ、そんなに一人で外出ばかりして親に怒られないのかね。良いところのお嬢さんらしからぬ行動ばかりだが」
「私はいいのよ別に。家に居たって姉さん以外に話し相手なんていないんだもの。夕飯までに帰れば誰も気付かないぐらいよ」
「そうか。まあ、なんにせよ有紗さんに心配かけるようなことはするなよ」
「あなたに言われる筋合いはないわ」
どうせ有紗から手紙で何か聞かされているのだろうと聞き流す。
それよりも、今重要なのは封筒の中身だ。手紙に書かれている内容を確認するためにわざわざセイレーンの館まで来たのだから。
どうでもいい大したことのない内容であればそれに越したことはない。けれど、夢で見た未来だけでなく、去り際の有紗の表情がどうしても気になってしまうのだ。
にやついた顔で封筒をしまい込もうとする京矢の腕を、させてたまるかとガシッと掴む。
「なんだ」
「見せて」
「嫌だ」
京矢は千里の手を容赦なく振りほどく。
負けじと千里は京矢に言い返した。
「なんでよ、私は姉さんの妹なのよ。検閲する権利はあるわ」
「検閲ってなんだ」
「一番はあなたに読ませてあげるから、二番目は私ね。それでいいでしょ? だからここで今すぐ読んで」
勝手に京矢より先に本文を読んでしまうのは忍びないのなら、今ここで先に京矢に読ませてしまえばよいのだ。
京矢には多少傍若無人な態度を取っても怒りはしないと、千里は分かっていた。
「なんて態度のデカい……。まったく、仕方がないな。少し待て」
京矢はため息をつきながらも、後ろを向いて封を開いた。
一体何が書かれているのかと、千里は緊張しながらもジッと待つ。
しかし、おかしなことに京矢は微動だにせず固まったままだった。
よほど嬉しいのかと呆れながら肩越しにのぞき込もうとした、その時。
「佐倉さん……?」
ぱさり、と彼の手から手紙が落ちた。
京矢はそれを拾い上げもせず、ただ呆然としている。
「京矢くん、どうしたんだい」
まるで魂が抜けてしまったかのような京矢に、遠野たちも怪訝そうにこちらを見た。
だが、遠野の声掛けにも京矢は反応しなかった。
仕方がないので、千里は落ちた手紙を拾う。
「――――――なに、これ」
そこに書かれていた言葉に、千里は目を疑った。
『今日は貴方に、お別れの言葉を伝えます』
いつも通りの整った有紗の字が記していたのは、京矢への別れの言葉だった。
彼への思いが綴られ、京矢のことを心から愛していると、貴方に出会えて良かったと書かれている。
『これから私は、別の方と結婚します。お父様がお決めになったことですから、私には受け入れることしかできませんでした。ですが、貴方を愛するこの心だけは本物です。ごめんなさい、そして、愛しています。どうか、私を忘れて幸せになってください――――――』
千里はそこで耐え切れず、読むのをやめた。
「どういうことよ」
有紗が結婚するだなんて、ひとつも聞いていない。
まさか、今朝直政が有紗の部屋を訪れた時には既に決まっていたのか。
(そういえば、今日は姉さんの支度が不自然に遅かった……まさか、この手紙を書いてかいていたの)
もし、有紗の結婚相手が早瀬亨だとしたら。
千里は今にも目の前が崩れ落ちそうな感覚に襲われた。
不幸な未来を変えてみせると決意したはずなのに、気づいた時には既に手遅れだったなんて。
(どうすればいい? どうしたら、姉さんを助けられる?)
昼間、直政が有紗を早退させたのは、顔合わせのためなのかもしれないと思い至る。
千里が気づいていなかっただけで、縁談は着々と進んでいた。無駄なことを嫌う直政が、興味の対象外である千里にわざわざ話すはずがないのだ。
「大変なことになってしまった、という表情ね」
背後から声をかけてきたのは青だった。
彼女は千里の手から手紙を抜き取った。
しかし、文面を眺めることなくそれを遠野に手渡した。
「これって、京矢くんの恋人の? あんなに幸せそうだったのに急にどうして」
「いつの時代も、政略結婚で引き裂かれる恋人はいるものね」
遠野は驚いているが、青はまるで知っていたかのように淡々としていた。
「京矢くん、どうするんだい」
「……俺は……有紗さんを手放したくはない!」
京矢はぐっと拳を握りしめると、千里に向き直る。
「相手は誰なんだ。妹なんだろう、何か知ってはいないか」
「私だって、今ここで初めて知ったのよ! でも……もしかすると、私の思っている人かもしれない」
「誰だ!」
「早瀬、亨……」
鬼気迫る様子の京矢に、千里は思わず彼の名を告げる。
だが、朝霧家の問題にいたずらに京矢を介入させるわけにはいかない。
それに、もし全てが未来予知の通りであるのならば、京矢を危険にさらすことになる。
「……ごめんなさい、これ以上は言えないわ」
「何故だ! おい、どうした、どこへ行く!」
千里は京矢を振り切り、階段を駆け下り、セイレーンの館を飛び出した。
京矢は千里の未来予知など知る由もない。
これから有紗と結婚する男は吸血鬼かもしれない、なんて荒唐無稽な話、到底信じられないだろう。
「私が何とかしてみせる。絶対、姉さんを解放してみせるから」
千里が駆け出していった後、店内には遠野夫妻と京矢だけが残される。
「京矢くん、君はどうするんだい」
「どんな手を使ってでも、有紗さんの縁談を取り消すしかない」
京矢は千里の言い残した名前について考える。
(早瀬亨……朝霧家と関係が深い人物なのか? 父親と継母は新興宗教に夢中で、政界や多くの企業とも繋がりがある家……)
早瀬という家名に聞き覚えはなかったか、必死で思い出そうとする。
「ねえ青さん。二人の未来について、青さんには何か見えたりしないのかい?」
「いいえ。私にはなんにも。鏡を覗いたってきっと映らないわ」
青は残念そうに首を振るが、京矢はあることを思い出し、あっと声を上げた。
「そうだ! 前に、そんな名前の客がいたはずだ!」
「おお、何か思い出したのかい? 客ってことは、京矢くんの勤め先の写真屋かな」
「そうです。どこかの研究団体が記念用に撮りに来ていて、その中にいたんです。どれだけ撮り直しても、不思議なことにその人だけ写真に写らなかったという奇妙な出来事があって」
「映らない?」
「はい。撮影した先輩が言うには、機材にはどこにも不調がないのになぜか早瀬という人だけ写らず、仕方が無いのでこちらの不手際として謝罪したところ、その団体は大喜びしたと言うんですよ」
普通なら客が激怒してもおかしくは無いのに、彼らはまるで違った。
当時、その先輩が客の団体を気味悪がって同僚たちにしきりに語っていたのだ。
何より異常なのは、彼らが唯一早瀬亨の姿だけ消えた写真を見て言った言葉だ。
「写真に写らないのは、彼がまさしく人智を超えた存在である証拠だ、とか言って……」
ともすると、あの団体客は朝霧家が関わっているという新興宗教まがいの連中だったのかもしれない。
そう思い至った時、遠野が思いがけないことを言う。
「そういえばさっき、あの子にもそんな話をしたばかりだよ」
遠野はカウンターに置かれたままの洋書を手に取った。
「吸血鬼が鏡に映らないのは、実体と魂の結び付きが無いから」
「……え?」
まさか、早瀬亨が人外の化け物とでも言うつもりなのか。
京矢は困惑したまま、青を見る。
彼女はただ、いつもの穏やかな笑顔で頷く。
「鏡にも、写真にも彼らの姿は残らないわ」
それ以上青は何も言わず、ただ黒曜石のような瞳で京矢を見つめた。
「君がか?」
不思議そうな京矢に対してそれをさっと突き出す。
「これ姉さんから! あなたに渡してって、預けられたの」
「あ、有紗さんからか。そうか、ありがとう」
途端ににやけた顔になり、京矢は嬉しそうに封筒を受け取った。
「いつもは郵便でしょ? でも、なんだか姉さん忙しいみたいで。もしかして、今日は約束でもしていたの?」
「いや、今日は違う。早番で時間があったから暇つぶしでもと思ったら、青さんにつかまったんだよ。ああ、九朗は学校だ。このところ授業が忙しいらしい。夜中まで机に向かってばかりで調子も悪そうだから、今度会ったらほどほどに慰めてやってくれ」
「まあ、そうなの……って、なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
聞いてもいないのに急に九朗のことを話題に出され、千里は思わず過剰に反応してしまった。
確かに、今日は九朗はいないのかと考えていたのは事実だが、九朗のことばかり考えていたのが見透かされたようで気に入らない。
もっと言えば、京矢に指摘されてそれに気が付いたことも気に入らなかった。
「君こそ、そんなに一人で外出ばかりして親に怒られないのかね。良いところのお嬢さんらしからぬ行動ばかりだが」
「私はいいのよ別に。家に居たって姉さん以外に話し相手なんていないんだもの。夕飯までに帰れば誰も気付かないぐらいよ」
「そうか。まあ、なんにせよ有紗さんに心配かけるようなことはするなよ」
「あなたに言われる筋合いはないわ」
どうせ有紗から手紙で何か聞かされているのだろうと聞き流す。
それよりも、今重要なのは封筒の中身だ。手紙に書かれている内容を確認するためにわざわざセイレーンの館まで来たのだから。
どうでもいい大したことのない内容であればそれに越したことはない。けれど、夢で見た未来だけでなく、去り際の有紗の表情がどうしても気になってしまうのだ。
にやついた顔で封筒をしまい込もうとする京矢の腕を、させてたまるかとガシッと掴む。
「なんだ」
「見せて」
「嫌だ」
京矢は千里の手を容赦なく振りほどく。
負けじと千里は京矢に言い返した。
「なんでよ、私は姉さんの妹なのよ。検閲する権利はあるわ」
「検閲ってなんだ」
「一番はあなたに読ませてあげるから、二番目は私ね。それでいいでしょ? だからここで今すぐ読んで」
勝手に京矢より先に本文を読んでしまうのは忍びないのなら、今ここで先に京矢に読ませてしまえばよいのだ。
京矢には多少傍若無人な態度を取っても怒りはしないと、千里は分かっていた。
「なんて態度のデカい……。まったく、仕方がないな。少し待て」
京矢はため息をつきながらも、後ろを向いて封を開いた。
一体何が書かれているのかと、千里は緊張しながらもジッと待つ。
しかし、おかしなことに京矢は微動だにせず固まったままだった。
よほど嬉しいのかと呆れながら肩越しにのぞき込もうとした、その時。
「佐倉さん……?」
ぱさり、と彼の手から手紙が落ちた。
京矢はそれを拾い上げもせず、ただ呆然としている。
「京矢くん、どうしたんだい」
まるで魂が抜けてしまったかのような京矢に、遠野たちも怪訝そうにこちらを見た。
だが、遠野の声掛けにも京矢は反応しなかった。
仕方がないので、千里は落ちた手紙を拾う。
「――――――なに、これ」
そこに書かれていた言葉に、千里は目を疑った。
『今日は貴方に、お別れの言葉を伝えます』
いつも通りの整った有紗の字が記していたのは、京矢への別れの言葉だった。
彼への思いが綴られ、京矢のことを心から愛していると、貴方に出会えて良かったと書かれている。
『これから私は、別の方と結婚します。お父様がお決めになったことですから、私には受け入れることしかできませんでした。ですが、貴方を愛するこの心だけは本物です。ごめんなさい、そして、愛しています。どうか、私を忘れて幸せになってください――――――』
千里はそこで耐え切れず、読むのをやめた。
「どういうことよ」
有紗が結婚するだなんて、ひとつも聞いていない。
まさか、今朝直政が有紗の部屋を訪れた時には既に決まっていたのか。
(そういえば、今日は姉さんの支度が不自然に遅かった……まさか、この手紙を書いてかいていたの)
もし、有紗の結婚相手が早瀬亨だとしたら。
千里は今にも目の前が崩れ落ちそうな感覚に襲われた。
不幸な未来を変えてみせると決意したはずなのに、気づいた時には既に手遅れだったなんて。
(どうすればいい? どうしたら、姉さんを助けられる?)
昼間、直政が有紗を早退させたのは、顔合わせのためなのかもしれないと思い至る。
千里が気づいていなかっただけで、縁談は着々と進んでいた。無駄なことを嫌う直政が、興味の対象外である千里にわざわざ話すはずがないのだ。
「大変なことになってしまった、という表情ね」
背後から声をかけてきたのは青だった。
彼女は千里の手から手紙を抜き取った。
しかし、文面を眺めることなくそれを遠野に手渡した。
「これって、京矢くんの恋人の? あんなに幸せそうだったのに急にどうして」
「いつの時代も、政略結婚で引き裂かれる恋人はいるものね」
遠野は驚いているが、青はまるで知っていたかのように淡々としていた。
「京矢くん、どうするんだい」
「……俺は……有紗さんを手放したくはない!」
京矢はぐっと拳を握りしめると、千里に向き直る。
「相手は誰なんだ。妹なんだろう、何か知ってはいないか」
「私だって、今ここで初めて知ったのよ! でも……もしかすると、私の思っている人かもしれない」
「誰だ!」
「早瀬、亨……」
鬼気迫る様子の京矢に、千里は思わず彼の名を告げる。
だが、朝霧家の問題にいたずらに京矢を介入させるわけにはいかない。
それに、もし全てが未来予知の通りであるのならば、京矢を危険にさらすことになる。
「……ごめんなさい、これ以上は言えないわ」
「何故だ! おい、どうした、どこへ行く!」
千里は京矢を振り切り、階段を駆け下り、セイレーンの館を飛び出した。
京矢は千里の未来予知など知る由もない。
これから有紗と結婚する男は吸血鬼かもしれない、なんて荒唐無稽な話、到底信じられないだろう。
「私が何とかしてみせる。絶対、姉さんを解放してみせるから」
千里が駆け出していった後、店内には遠野夫妻と京矢だけが残される。
「京矢くん、君はどうするんだい」
「どんな手を使ってでも、有紗さんの縁談を取り消すしかない」
京矢は千里の言い残した名前について考える。
(早瀬亨……朝霧家と関係が深い人物なのか? 父親と継母は新興宗教に夢中で、政界や多くの企業とも繋がりがある家……)
早瀬という家名に聞き覚えはなかったか、必死で思い出そうとする。
「ねえ青さん。二人の未来について、青さんには何か見えたりしないのかい?」
「いいえ。私にはなんにも。鏡を覗いたってきっと映らないわ」
青は残念そうに首を振るが、京矢はあることを思い出し、あっと声を上げた。
「そうだ! 前に、そんな名前の客がいたはずだ!」
「おお、何か思い出したのかい? 客ってことは、京矢くんの勤め先の写真屋かな」
「そうです。どこかの研究団体が記念用に撮りに来ていて、その中にいたんです。どれだけ撮り直しても、不思議なことにその人だけ写真に写らなかったという奇妙な出来事があって」
「映らない?」
「はい。撮影した先輩が言うには、機材にはどこにも不調がないのになぜか早瀬という人だけ写らず、仕方が無いのでこちらの不手際として謝罪したところ、その団体は大喜びしたと言うんですよ」
普通なら客が激怒してもおかしくは無いのに、彼らはまるで違った。
当時、その先輩が客の団体を気味悪がって同僚たちにしきりに語っていたのだ。
何より異常なのは、彼らが唯一早瀬亨の姿だけ消えた写真を見て言った言葉だ。
「写真に写らないのは、彼がまさしく人智を超えた存在である証拠だ、とか言って……」
ともすると、あの団体客は朝霧家が関わっているという新興宗教まがいの連中だったのかもしれない。
そう思い至った時、遠野が思いがけないことを言う。
「そういえばさっき、あの子にもそんな話をしたばかりだよ」
遠野はカウンターに置かれたままの洋書を手に取った。
「吸血鬼が鏡に映らないのは、実体と魂の結び付きが無いから」
「……え?」
まさか、早瀬亨が人外の化け物とでも言うつもりなのか。
京矢は困惑したまま、青を見る。
彼女はただ、いつもの穏やかな笑顔で頷く。
「鏡にも、写真にも彼らの姿は残らないわ」
それ以上青は何も言わず、ただ黒曜石のような瞳で京矢を見つめた。



