「明治になって、外つ国から大勢の人が来るようになった頃から……いいや、それよりもっと昔からのことだ」
遠野はまるで昔を懐かしむかのように語る。
「戦乱の世の中、鉄砲や他国の文化を積んだ船がいくつも港へやってきた。葡萄牙や西班牙、和蘭なんかからだ。あれは武器や食べ物だけじゃなくて外つ国の宗教や学問といった文化も運んできた。懐かしいねぇ。昔は舶来品と聞けば誰でも興味を持ち、こぞって手に入れたがるようなものだった」
戦国時代、南蛮貿易のことだ。
橙色の灯りが彼の瞳を照らし、妖しげな雰囲気を醸し出している。
「確か、和蘭から来た船だったかなぁ。さる高貴な身分の夫婦の正体は、人喰いの鬼だとか話題になったことがあった。西洋人が怖くて迫害したがっているだけだと思いきや、どうも彼ら夫婦は夜な夜な奇妙な習慣を行っているのだと。それは世にも恐ろしい光景で、目撃者はあまりの恐怖に硬く口を閉ざしてしまうほどだとか――――」
くすり、と彼は笑った。
しかし、彼の語るその内容はあまり穏やかなものではなく、千里は思わず表情を硬くする。
きっと怖い話が待っているのだ。
絶対に怖がったりなんかしないと強がるものの、その表情は怯えを隠しきれていない。
「夜更けに彼らの部屋の前を通ると、人の呻き声のようなものが聞こえるんだと。よくよく耳を澄ましてみると、か細い女の叫びであった。助けて、助けてと今にも消えそうな声で泣いているんだ。恐る恐る障子の向こうを覗いてみると、途端、真っ赤な血が――――」
ドンっ!
「ぎゃぁぁぁっ!?」
突然聞こえた鈍い音に、千里は声を上げながら仰け反った。
見ると、大きな包みを床に置いている京矢だった。いつの間に館に来ていたのか、遠野の語りに夢中になるあまり気がつかなかった。
「なんだ、やかましいな。変な鳥の鳴き声かと思ったぞ」
「あっ、あんたね……!」
呆れたような顔の京矢に言い返そうとした時、京矢の後ろから青が階段を上って姿を現す。
「夫婦が夜にすることなんて、乙女に話すことじゃなくてよ」
「ああっ! 青さん! おかえりなさい、ずっと待ってたんだよ!」
先ほどまでの臨場感たっぷりの語りはどこへやら、遠野は帰宅した妻に喜んで飛びついている。
完全に怪談の空気ではなくなり、続きは……? と千里は一人ぽかんとする。
遠野はまるで別人のようなはしゃぎようで、ついさっきまで自分がドキドキしていた妖艶な男性はどこへ消えてしまったのかと目を疑いたくなるぐらいだ。
「青さんがいない間寂しかったよ。でもお客さんのおもてなしはちゃんとしたからね」
「お留守番ありがとう。じゃ、これも片付けてね」
青は買い物に行っていたようで、端からほうれん草の葉が覗いている手提げかごを遠野に渡す。
彼はそれを受け取り、すぐさまカウンターの向こうへと引っ込んでいった。
「ごめんなさいね、騒がしい人で」
「いえ……」
肩にかけたストールを脱ぎながら、青はにこりと微笑む。
既婚者だとは聞いていたが、夫婦仲がこれほど良いとは思わず、圧倒されてしまった。
遠野に至っては、まるで付き合いたての若い恋人同士のような態度だ。
「というか、何よその昔話に出てくるみたいな大きい風呂敷は……」
「俺のものじゃない、青さんのだ」
こそりと話しかけると、京矢はすっかりくたびれた様子で肩を回していた。
「お得意様からの頂き物よ。今日は大きなものを貰う予感がしたから、途中でこの子を見つけて荷物持ちをお願いしたのよ」
相変わらず青は不思議な言い方をする。まるで、青の方こそ未来予知の能力があるのではないかと思いそうだ。
「かぼちゃのお裾分け。ご実家の方でたくさん採れたのですって。……あら、もう戻ってきちゃった」
戻ってきた遠野がまた青にぴたりとくっついている。
「それはありがたいね。でも青さん、荷物持ちなら僕に頼んでくれればよかったのに」
「あなたがいるとお買い物に時間がかかるもの。いらないものばかり欲しがって、寄り道したがる困ったさんはお断りよ」
「そんなぁ。青さんとのお出かけが嬉しくて、つい。悪気は無いんだよ」
青はしょんぼりしている遠野に見向きもしない。
一喜一憂してころころと表情の変わる遠野を見ていると、なんとなく既視感を覚えてから、その正体に気づく。
九朗だ。
初対面の時からなんとなく二人は似ていると思ったが、今の遠野を見ていると少し大人になった九朗の姿が想像できそうだった。
(ということは、あの語り口調も九朗さんと同じで格好つけてたのかしら……?)
九朗が遠野に憧れて真似をしているなんてことも知らない千里は、ひとりでに納得する。
「それで、何の話をしていたんだ。あんな怪鳥みたいな声を出して」
「くっ……!」
羞恥で地団駄を踏みそうになる千里の代わりに答えたのは、青だった。
「吸血鬼のお話でしょう。うふふ、お年頃の女の子には刺激が強いものね」
青は机に置かれたままの洋書を手に取り、表紙の文字を指でなぞる。
「結局、日本にも吸血鬼がいるというのは……」
「別に、他の妖と大差ないのよ。生まれた土地が違うだけで、この国の土を踏めば、この国の規則に乗っ取った怪異になる。そういうものだと私は定義しているわ」
そうして、はらりと本の頁をいくつか捲ると、挿絵のところで止める。
絵の中ではドレスを纏った巻き髪の女性が、こちらを見て微笑んでいる。
一見して美しい令嬢を描いたように見えるが、口元に牙があり、その唇は血にまみれていた。
「吸血鬼の正体は病に罹り、理性を失った人間とも言われているわ。その他にも様々あるけれど……今この国にいるものは、元は人間であり、何らかの因果により鬼となった生き物よ。あるいは、吸血鬼の血を引く子孫かしら。彼らは長命だから、子を成すのは大変だけれど、やろうと思えばできるものよ」
ということは、早瀬亨が吸血鬼である可能性も十分に考えられるということだ。
朝霧家が妖との異類婚により異能力を手に入れたように、早瀬亨も同様にして吸血鬼の血を引く子孫である。
もしそうだとすれば、千里が見た新たな未来も有り得る道だと言える。
(もしも本当に早瀬さんが吸血鬼なら……)
これまで信頼してきた亨を疑うような真似はしたくない。
だが、九朗が信頼している青の言うことが偽りだとも思いたくはない。
「ね、だから僕と青さんもそろそろ子どもを……」
「あら嫌だ、昼間から元気な人ね。私は体が弱いから、あなたが産んでくださいな」
「ええっ……! でも、青さんが望むのならどうにかしてみせるよ……!」
悩む千里をよそに、遠野夫妻は仲良くふざけ合っている。
「気にするな。この二人はいつもこうなんだ」
「へえ……」
なんだか悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきたと、千里は夫妻から視線を逸らす。
と、まだ床に鎮座したままのかぼちゃたちが視界に入り、ふと有紗を連想した。
有紗はかぼちゃが好きだから、この光景を見たら喜ぶであろうと考えてから、ここに来た本来の目的を思い出して飛び上がりそうになる。
「って、そうじゃなくて! 今日は佐倉さんに大事な用があったのよ!」
遠野はまるで昔を懐かしむかのように語る。
「戦乱の世の中、鉄砲や他国の文化を積んだ船がいくつも港へやってきた。葡萄牙や西班牙、和蘭なんかからだ。あれは武器や食べ物だけじゃなくて外つ国の宗教や学問といった文化も運んできた。懐かしいねぇ。昔は舶来品と聞けば誰でも興味を持ち、こぞって手に入れたがるようなものだった」
戦国時代、南蛮貿易のことだ。
橙色の灯りが彼の瞳を照らし、妖しげな雰囲気を醸し出している。
「確か、和蘭から来た船だったかなぁ。さる高貴な身分の夫婦の正体は、人喰いの鬼だとか話題になったことがあった。西洋人が怖くて迫害したがっているだけだと思いきや、どうも彼ら夫婦は夜な夜な奇妙な習慣を行っているのだと。それは世にも恐ろしい光景で、目撃者はあまりの恐怖に硬く口を閉ざしてしまうほどだとか――――」
くすり、と彼は笑った。
しかし、彼の語るその内容はあまり穏やかなものではなく、千里は思わず表情を硬くする。
きっと怖い話が待っているのだ。
絶対に怖がったりなんかしないと強がるものの、その表情は怯えを隠しきれていない。
「夜更けに彼らの部屋の前を通ると、人の呻き声のようなものが聞こえるんだと。よくよく耳を澄ましてみると、か細い女の叫びであった。助けて、助けてと今にも消えそうな声で泣いているんだ。恐る恐る障子の向こうを覗いてみると、途端、真っ赤な血が――――」
ドンっ!
「ぎゃぁぁぁっ!?」
突然聞こえた鈍い音に、千里は声を上げながら仰け反った。
見ると、大きな包みを床に置いている京矢だった。いつの間に館に来ていたのか、遠野の語りに夢中になるあまり気がつかなかった。
「なんだ、やかましいな。変な鳥の鳴き声かと思ったぞ」
「あっ、あんたね……!」
呆れたような顔の京矢に言い返そうとした時、京矢の後ろから青が階段を上って姿を現す。
「夫婦が夜にすることなんて、乙女に話すことじゃなくてよ」
「ああっ! 青さん! おかえりなさい、ずっと待ってたんだよ!」
先ほどまでの臨場感たっぷりの語りはどこへやら、遠野は帰宅した妻に喜んで飛びついている。
完全に怪談の空気ではなくなり、続きは……? と千里は一人ぽかんとする。
遠野はまるで別人のようなはしゃぎようで、ついさっきまで自分がドキドキしていた妖艶な男性はどこへ消えてしまったのかと目を疑いたくなるぐらいだ。
「青さんがいない間寂しかったよ。でもお客さんのおもてなしはちゃんとしたからね」
「お留守番ありがとう。じゃ、これも片付けてね」
青は買い物に行っていたようで、端からほうれん草の葉が覗いている手提げかごを遠野に渡す。
彼はそれを受け取り、すぐさまカウンターの向こうへと引っ込んでいった。
「ごめんなさいね、騒がしい人で」
「いえ……」
肩にかけたストールを脱ぎながら、青はにこりと微笑む。
既婚者だとは聞いていたが、夫婦仲がこれほど良いとは思わず、圧倒されてしまった。
遠野に至っては、まるで付き合いたての若い恋人同士のような態度だ。
「というか、何よその昔話に出てくるみたいな大きい風呂敷は……」
「俺のものじゃない、青さんのだ」
こそりと話しかけると、京矢はすっかりくたびれた様子で肩を回していた。
「お得意様からの頂き物よ。今日は大きなものを貰う予感がしたから、途中でこの子を見つけて荷物持ちをお願いしたのよ」
相変わらず青は不思議な言い方をする。まるで、青の方こそ未来予知の能力があるのではないかと思いそうだ。
「かぼちゃのお裾分け。ご実家の方でたくさん採れたのですって。……あら、もう戻ってきちゃった」
戻ってきた遠野がまた青にぴたりとくっついている。
「それはありがたいね。でも青さん、荷物持ちなら僕に頼んでくれればよかったのに」
「あなたがいるとお買い物に時間がかかるもの。いらないものばかり欲しがって、寄り道したがる困ったさんはお断りよ」
「そんなぁ。青さんとのお出かけが嬉しくて、つい。悪気は無いんだよ」
青はしょんぼりしている遠野に見向きもしない。
一喜一憂してころころと表情の変わる遠野を見ていると、なんとなく既視感を覚えてから、その正体に気づく。
九朗だ。
初対面の時からなんとなく二人は似ていると思ったが、今の遠野を見ていると少し大人になった九朗の姿が想像できそうだった。
(ということは、あの語り口調も九朗さんと同じで格好つけてたのかしら……?)
九朗が遠野に憧れて真似をしているなんてことも知らない千里は、ひとりでに納得する。
「それで、何の話をしていたんだ。あんな怪鳥みたいな声を出して」
「くっ……!」
羞恥で地団駄を踏みそうになる千里の代わりに答えたのは、青だった。
「吸血鬼のお話でしょう。うふふ、お年頃の女の子には刺激が強いものね」
青は机に置かれたままの洋書を手に取り、表紙の文字を指でなぞる。
「結局、日本にも吸血鬼がいるというのは……」
「別に、他の妖と大差ないのよ。生まれた土地が違うだけで、この国の土を踏めば、この国の規則に乗っ取った怪異になる。そういうものだと私は定義しているわ」
そうして、はらりと本の頁をいくつか捲ると、挿絵のところで止める。
絵の中ではドレスを纏った巻き髪の女性が、こちらを見て微笑んでいる。
一見して美しい令嬢を描いたように見えるが、口元に牙があり、その唇は血にまみれていた。
「吸血鬼の正体は病に罹り、理性を失った人間とも言われているわ。その他にも様々あるけれど……今この国にいるものは、元は人間であり、何らかの因果により鬼となった生き物よ。あるいは、吸血鬼の血を引く子孫かしら。彼らは長命だから、子を成すのは大変だけれど、やろうと思えばできるものよ」
ということは、早瀬亨が吸血鬼である可能性も十分に考えられるということだ。
朝霧家が妖との異類婚により異能力を手に入れたように、早瀬亨も同様にして吸血鬼の血を引く子孫である。
もしそうだとすれば、千里が見た新たな未来も有り得る道だと言える。
(もしも本当に早瀬さんが吸血鬼なら……)
これまで信頼してきた亨を疑うような真似はしたくない。
だが、九朗が信頼している青の言うことが偽りだとも思いたくはない。
「ね、だから僕と青さんもそろそろ子どもを……」
「あら嫌だ、昼間から元気な人ね。私は体が弱いから、あなたが産んでくださいな」
「ええっ……! でも、青さんが望むのならどうにかしてみせるよ……!」
悩む千里をよそに、遠野夫妻は仲良くふざけ合っている。
「気にするな。この二人はいつもこうなんだ」
「へえ……」
なんだか悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきたと、千里は夫妻から視線を逸らす。
と、まだ床に鎮座したままのかぼちゃたちが視界に入り、ふと有紗を連想した。
有紗はかぼちゃが好きだから、この光景を見たら喜ぶであろうと考えてから、ここに来た本来の目的を思い出して飛び上がりそうになる。
「って、そうじゃなくて! 今日は佐倉さんに大事な用があったのよ!」



