朝霧家のわがままな義妹

「千里ちゃん、何かいい事でもあったのかい?」

 亨の声に、千里はハッと顔を上げる。
 少し上で、亨は千里の様子を微笑ましげに暖かく見守っていた。

「ご、ごめんなさい。早瀬さんといるのに、考えごとなんてしちゃって……」
「いいんだよ。楽しいことを思い浮かべていたのなら、それで。私は、千里ちゃんが元気なのが一番嬉しいんだ」


 今日は千里の憧れの人である早瀬亨が、いつものように朝霧家を訪れていた。

 例によって退屈しのぎにと亨は千里のところへ来てくれたが、亨は前回のことを心配してくれているようだった。
 

 あのデートから数週間が経ち、季節も移り変わろうとしていた。

 すっかり気温は肌寒くなったが、京矢と有紗の仲は冷めるどころかますます熱くなるばかりらしい。
 

 どうも有紗と京矢は文通しているようで、よく嬉しそうな顔で手紙を握りしめては自室に引っ込んでいく有紗の姿を見ていた。

 有紗はなかなか外出もせず、手紙以外は目立って変わったところはないため、朝霧家の誰も気づいていないようだった。

 しかし、京矢も京矢で毎日有紗からの手紙を読み返しては浮かれ、友人たちに素敵な恋人だと自慢して回っているらしい。


 とにもかくにも二人は幸せな恋人同士となり、これまでの千里の苦労は報われたわけだ。

 京矢のことを楽しそうに語る九朗を思い出し、自分も浮かれたような気分になっていたのが亨にはしっかり伝わってしまっていたらしい。


「やっぱり、千里ちゃんは笑顔が一番だね」


 亨に優しい笑みを向けられ、千里の頬は熱を持った。
 やっぱり、亨は千里から見て大人っぽくて格好いい人だ。

 子ども相手に優しくしてくれているだけだと分かっていても、すぐに顔に出てしまう。
 
 けれど、何故だか千里の頭には、違う人物の声が浮かび上がってきた。


『無愛想な君も素敵だよ』


 いつだったか、九朗はそんなことを千里に言ってきた。


(なんで今、九朗さんのことなんか……)


 理由が分からず急いでかき消そうと難しい顔をしていれば、横で亨がふふと笑うのだった。
 
 


 
「で、佐倉さんは毎日浮かれていると」
「もうすっかりご機嫌で怖いぐらいだよ。あんなに緩みきった顔の京矢なんてそうそう見られるものじゃない」


 秋風が吹き抜ける街の中を九朗と二人並んで歩く。

 しばらく京矢と有紗の様子を伝え合っていたが、京矢は相変わらずらしい。


「ほんと、倶楽部の皆もびっくりしてたよ。人が変わったとか、騙されてるんじゃないかとかって言ってさ」
「そんなに?」
「女性嫌いというか、同年代の異性に対してやたら警戒心の強い奴だったから尚更そう見えるんだと思う」
「なるほどねぇ。ま、幸せそうなら何よりだわ」


 一時はどうなることかと思ったが、千里の当初の目的は達成されたと思って良いだろう。

 まさか、京矢が有紗に一目惚れをするなんて展開は全くの予想外で、今となっては千里が手を出さずとも二人は仲睦まじくなるなんて思いもしなかったが。


「で、お姉さんの将来は何とかなりそうなんだから、そろそろツンツンした演技はしなくてもいいんじゃない?」
「演技ですって? 私は元々こういう性格よ」

 にやにやした顔の九朗に言い放ち、ふいと顔を背ける。
 九朗はつれないなぁと言いつつも、気を悪くするどころかだらしない顔で笑うばかりだった。


「それに、まだ終わりじゃないわよ。姉さんと佐倉さんが恋仲になったなんて、絶対にうちの母さんが認めないわ。あの人が手出ししてくる前に、佐倉さんには姉さんをうちから連れ去って貰わなきゃ」
「おやおや、京矢はずいぶんな大役みたいだね」
「姉さんは私たちといたら不幸になるのは間違いないもの。佐倉さんには期待してるんだから」


 そう言いつつ、千里たちは目的地の前で立ち止まる。
 騒がしい大通りから一本外れた裏道にある、赤茶色の壁をした洋風の建物。

 今日は九朗と、セイレーンの館に来ていたのだ。


「さ、どうぞ」


 九朗がドアを開けてくれたので、千里は恐る恐る店内に足を踏み入れる。
 橙色の暖かなランプが照らす室内は、意外にも広々としていて、よく分からない西洋画や飾り物が並べられている。


 階段の上から複数人の話し声が聞こえてきて、京矢の言う倶楽部はそこで開かれているのだろうかと察した。


「いらっしゃい。待っていたわ」

 奥から楚々と歩いてきたのは、紫紺の着物を纏った美しい女性だった。

 今どきのモダンガールらしいショートカットの髪型で、口元の鮮やかな紅が彼女の魅力を引き立てている。

 館の雰囲気も相まって、彼女がにこりと微笑む姿はまるで絵画のように美しかった。


「お、お邪魔します……」


 慣れない大人の女性に緊張しつつ千里が挨拶をすると、彼女は驚くことを口にした。

 
「こんにちは、朝霧千里さん」
「えっ」


 まだ名乗ってもいないのに本名を言い当てるなんて、千里は思わず唖然としてしまう。

 九朗が前もって伝えていたのかとも思うが、館に入ってすぐ彼女は待っていたと言っていた。


「九朗くんもいらっしゃい。やっと彼女を連れてきてくれたわね」
「色々お互い忙しかったから、ごめんね。でも、青さんなら僕らがいつ来るかなんてすぐ分かるだろう?」
「ふふ、そうね。さあ、二人とも。こちらへどうぞ」


 独特の雰囲気に呑まれそうになっている千里をよそに、青さんと呼ばれた女性は千里たちを館の奥に案内する。

 九朗と彼女はずいぶん親しげな様子だが、そういえば九朗はいつからここに通っているのだろうか。

 九朗は話し上手で京矢と違って歯の浮くような台詞も簡単に言ってのける男だから、二人が親しく見えるのは何もおかしくは無いのだろう。

 けれども、なぜだが千里は二人の関係がどうしても気になってしまった。


(館にあんなに美人な方がいるなんて、知らなかった……)


 九朗がセイレーンの館に入り浸っているのは彼のオカルト趣味が理由だと分かってはいるが、どうしても勘ぐってしまいそうになる。
 日頃の調子からして忘れそうになるが、九朗も中々の美男だ。

 二人が並ぶと当然絵になるに決まっている。
 

「ここでおかけになって。すぐ戻りますわ」


 通された一室では、中央に四角い焦げ茶色のテーブルがあり、それを挟むように鮮やかな白地のソファが置かれていた。

 壁には大小様々な鏡が置かれており、菱形、八角形、ひときわ高価そうなロココ調のものなど、コレクションのように並べられている。
 壁際にも花瓶が置かれ、鈴蘭の花が生けられていた。

 照明を落としているのか少しだけ薄暗いが、あちこちに並ぶ鏡を見ていると、部屋がどこまでも広がっているかのような錯覚を起こしそうだった。


「緊張してる?」
「……ちょっとだけ」
「素直に答えたってことは、本当に緊張してるんだ。千里さんはかわいいなぁ」


 また浮ついたことを言うものだから、千里はどうにも我慢ならなくなってきた。


「ねぇ九朗さん。あの人とは……」
「ん?」


 だが運悪く青が戻ってきてしまい、千里はそれ以上何も言えなくなった。


「お待たせいたしました。そう緊張なさらないで、どうぞくつろいで」


 青が持ってきたのはティーセットだった。
 白磁の陶器が二つ並べられ、青が紅茶を注げば芳醇な茶葉の香りが広がる。

 仕方なしに二人で並んでソファに座るが、千里は少しだけ九朗から距離を取った。

 それを見て青はくすりと微笑むと、向かいの席に座った。


「初めまして、私は遠野青。この舘で占い師をしております」


 青は千里をじっと見つめると、艶やかな笑みを浮かべる。
 

「それで、あなたは何が知りたいのかしら?」