「じゃあ、さっそくだけどよろしく」
「よろしく……」
翌日の放課後、誰もいない美術室にて。キラキラとしたエフェクトがかかっていそうな笑顔に、俺は引き攣った苦笑いを返した。
「なあ、なんで誰もいないの?」
「今日は活動日じゃないんだよ。特別に鍵貸してもらってる」
「へえ、熱心だな」
天谷ほどの奴なら特例も認められるらしい。できれば俺は巻き込まないでほしかったけど。
でも、ここまで来てしまったのだから、どうせならちゃんとやろうと思う。天谷の才能に触れることで、俺も何か掴めるかもしれない。そもそも一度やると決めたことを投げ出すのは悔しいのだ。
「モデルって何やればいい? ポーズとか取るの?」
「普通にしてくれればいいよ」
「普通……」
「まず座って」
どこに座ればいいのか迷い、とりあえず目の前の椅子を引く。椅子の脚と床の擦れる音がやけに大きく響いた。
天谷は手際よくイーゼルを立て、画板の上に画用紙を置いた。そして鉛筆を手に、右斜め前から俺を真剣な眼差しで見つめてくる。
「加地くんはなるべくこっち見ないで」
「わ、分かった」
とは言ったもののどうしても視線が気になる。普通にしろって言われても、意識すると逆に分からない。いつもどんなふうに座ってたっけ?
脚は開くのか閉じるのか、手の位置はどこなのか、背もたれに寄りかかるのか、それとも背筋を伸ばすのか。ああもう分からん……!
ぐるぐる混乱していたら、「違う」と呟く声が聞こえた。
「今のは俺の描きたい顔じゃない」
天谷は真顔で俺を見ていた。鉛筆を持つ手は全く動いていない。
「そんな変な顔じゃなくて、もっと気の抜けた一般人らしくしてよ。ぼーっと授業聞いてる時の顔がちょうどいいんだけど」
「はあ……!?」
なんなんだ、このナチュラルに失礼な奴は!
反射的に言い返そうとして、はっと口を閉じる。
昨日、竹下先輩から「くれぐれも天谷と仲良くするように」と三回念押しされた。正直なところもう家に帰りたいけど、写真部の未来が懸かっているのかもしれないのなら、喧嘩は避けた方がいい。でもこいつに媚びるのも嫌だ。どうしたものか……。
「変に力まないで。作った表情は描きたくない」
「そんなこと言われても……緊張するんだよ」
「見られてるだけなのに?」
「お前みたいなイケメンと違って、一般人は慣れてないからな」
皮肉を込めてみるが通じなかったようで、天谷は怒りも笑いもしなかった。
「ただ座ってればいいんだよ。そんなに難しい?」
「……」
なんかだんだんイライラしてきた。こいつ、自分の尺度でしか物を考えられないのかよ。人の気持ちとか分からないのか?
「あのさ、いきなりモデルやれって言われて完璧にできる人いないから」
「でも加地くんに協力してほしいんだよ」
「だったら天谷ももっと協力しろよ!」
「……」
天谷は口を閉じて俺をじっと見つめた。お、怒ってる? 天谷の機嫌を損ねたらまずいかも……いやいや、ご機嫌伺いをする方が良くないよな。「仲良くするように」とは言われたけど、「言うこと聞け」とは言われてないし。
沈黙がしばらく続き、俺が気まずさに耐えきれなくなって身動ぎするのと同時に、天谷は渋々「しょうがないな」と言った。
「いい絵を描くためには、対象物の状態も大切だからね」
「うん、まあ……そういうこと。俺も人の写真撮る時は色々気遣うしさ」
なんとなく人間扱いされてなさそうな言い回しだ。しかもこいつ、失礼なことを言ってる自覚がない。
でも、本気で作品に向き合っていることは伝わってきた。絵と写真の違いはあれど、その気持ちは俺にも理解できる。天谷が本気なら、俺もそれなりのものを返したい。
「もう一回やってみるよ。あんま自信ないけど」
「加地くん、そんなに緊張するなら、俺をジャガイモだと思うのはどう?」
こんなに顔がいいジャガイモがあるか。
「前じゃなくて横から描いてみてよ。その方が視界に入らないから」
「うーん……横顔を描く気分じゃないけど……」
「わがまま言うな!」
向きを変えて椅子に座り直し、天谷の存在を極力シャットアウトできるように窓の外を見る。
流れる雲は夕焼けに染まり、暗くなりかけた空にうっすらと三日月が浮かんでいた。今日の空、すごくきれいだ。撮りたいけどカメラがない。もったいないな……。
紙の上を鉛筆が走る音が聞こえ始める。俺、『普通』にできてるのかな。あんまり気にするとまた違うとか言われそうだけど。
「天谷、喋ってもいい?」
「どうぞ」
「前に賞取ったのは花の絵だったよな。他にはどんなの描いてるの?」
天谷のコンクール受賞作品は、しばらく校内に飾られていた。透明な花瓶に生けられた赤い花が印象的な絵だった。
でも周りに散った花びらがどこか物悲しくて、どんな気持ちで描いたんだろうと思ったのだ。絵心がなさすぎて、深くは考えなかったのだけど。
「得意なのは静物画かな。どっちかって言うと、人物画は苦手」
「俺は人撮るの結構好きだよ。いい表情撮れると嬉しいし」
「それが難しいんだよ」
天谷は手を止めずに続ける。
「人間はなかなか俺の求める表情してくれない。感情も複雑で難しい」
「……天谷って、最近人間界に生まれたロボットかなんかなの?」
「ちょっと何言ってるか分からないけど」
マジで返されると俺がスベったみたいになるからやめてほしい。
「苦手なことをそのままにしておくのは嫌なんだ。描けないものがあるなら、練習すればいい」
「ストイックだな」
「妥協したくないだけだよ」
空が暗くなるにつれ、外の景色は見えづらくなっていく。窓ガラスに映る俺は大した特徴もなく、どこにでもいる顔をしていた。俺の顔なんかで、天谷は苦手を克服できるんだろうか。
「終わりにしよう」
座り続けて腰と尻が痛くなってきた頃、天谷は鉛筆を置いた。
「加地くん、お疲れ様」
「はあ、マジで疲れた……全身バッキバキだ」
途中で休憩は挟んでいたが、じっとしているのは動き回るより疲れるかもしれない。凝り固まった背中を反らしたり腕を肩から回したりすると、血の巡りが良くなった気がした。
「本当はもう少し描き込みたいけど、そろそろ戸締まりの時間だしね」
心配するのは戸締まりだけかよ。やっぱり天谷はどこかズレている。
画用紙を覗き込んでみれば、俺の胸から上の横顔が描かれていた。顔の凹凸や陰影、髪の毛の一本一本まで細かく表現されている。
「これで苦手……? ていうか俺、こんなに猫背だった?」
「見たまま描いたよ」
「そこは再現しなくて良くない?」
「それじゃ練習にならないだろ。それに、そういう不完全さが人形とは違うところだよ」
褒められてるんだか貶されてるんだか分からない。複雑な心境の俺を物ともせず、天谷は道具を片づけて荷物をまとめた。
「それじゃ、今日はありがとう。またよろしく」
「う、うん……」
一緒に帰ろう、みたいな提案は全くなく、鍵を返しに行く天谷とは美術室の前で別れた。
これ、あと一ヶ月続くのか……仲良くできんのかな。
「よろしく……」
翌日の放課後、誰もいない美術室にて。キラキラとしたエフェクトがかかっていそうな笑顔に、俺は引き攣った苦笑いを返した。
「なあ、なんで誰もいないの?」
「今日は活動日じゃないんだよ。特別に鍵貸してもらってる」
「へえ、熱心だな」
天谷ほどの奴なら特例も認められるらしい。できれば俺は巻き込まないでほしかったけど。
でも、ここまで来てしまったのだから、どうせならちゃんとやろうと思う。天谷の才能に触れることで、俺も何か掴めるかもしれない。そもそも一度やると決めたことを投げ出すのは悔しいのだ。
「モデルって何やればいい? ポーズとか取るの?」
「普通にしてくれればいいよ」
「普通……」
「まず座って」
どこに座ればいいのか迷い、とりあえず目の前の椅子を引く。椅子の脚と床の擦れる音がやけに大きく響いた。
天谷は手際よくイーゼルを立て、画板の上に画用紙を置いた。そして鉛筆を手に、右斜め前から俺を真剣な眼差しで見つめてくる。
「加地くんはなるべくこっち見ないで」
「わ、分かった」
とは言ったもののどうしても視線が気になる。普通にしろって言われても、意識すると逆に分からない。いつもどんなふうに座ってたっけ?
脚は開くのか閉じるのか、手の位置はどこなのか、背もたれに寄りかかるのか、それとも背筋を伸ばすのか。ああもう分からん……!
ぐるぐる混乱していたら、「違う」と呟く声が聞こえた。
「今のは俺の描きたい顔じゃない」
天谷は真顔で俺を見ていた。鉛筆を持つ手は全く動いていない。
「そんな変な顔じゃなくて、もっと気の抜けた一般人らしくしてよ。ぼーっと授業聞いてる時の顔がちょうどいいんだけど」
「はあ……!?」
なんなんだ、このナチュラルに失礼な奴は!
反射的に言い返そうとして、はっと口を閉じる。
昨日、竹下先輩から「くれぐれも天谷と仲良くするように」と三回念押しされた。正直なところもう家に帰りたいけど、写真部の未来が懸かっているのかもしれないのなら、喧嘩は避けた方がいい。でもこいつに媚びるのも嫌だ。どうしたものか……。
「変に力まないで。作った表情は描きたくない」
「そんなこと言われても……緊張するんだよ」
「見られてるだけなのに?」
「お前みたいなイケメンと違って、一般人は慣れてないからな」
皮肉を込めてみるが通じなかったようで、天谷は怒りも笑いもしなかった。
「ただ座ってればいいんだよ。そんなに難しい?」
「……」
なんかだんだんイライラしてきた。こいつ、自分の尺度でしか物を考えられないのかよ。人の気持ちとか分からないのか?
「あのさ、いきなりモデルやれって言われて完璧にできる人いないから」
「でも加地くんに協力してほしいんだよ」
「だったら天谷ももっと協力しろよ!」
「……」
天谷は口を閉じて俺をじっと見つめた。お、怒ってる? 天谷の機嫌を損ねたらまずいかも……いやいや、ご機嫌伺いをする方が良くないよな。「仲良くするように」とは言われたけど、「言うこと聞け」とは言われてないし。
沈黙がしばらく続き、俺が気まずさに耐えきれなくなって身動ぎするのと同時に、天谷は渋々「しょうがないな」と言った。
「いい絵を描くためには、対象物の状態も大切だからね」
「うん、まあ……そういうこと。俺も人の写真撮る時は色々気遣うしさ」
なんとなく人間扱いされてなさそうな言い回しだ。しかもこいつ、失礼なことを言ってる自覚がない。
でも、本気で作品に向き合っていることは伝わってきた。絵と写真の違いはあれど、その気持ちは俺にも理解できる。天谷が本気なら、俺もそれなりのものを返したい。
「もう一回やってみるよ。あんま自信ないけど」
「加地くん、そんなに緊張するなら、俺をジャガイモだと思うのはどう?」
こんなに顔がいいジャガイモがあるか。
「前じゃなくて横から描いてみてよ。その方が視界に入らないから」
「うーん……横顔を描く気分じゃないけど……」
「わがまま言うな!」
向きを変えて椅子に座り直し、天谷の存在を極力シャットアウトできるように窓の外を見る。
流れる雲は夕焼けに染まり、暗くなりかけた空にうっすらと三日月が浮かんでいた。今日の空、すごくきれいだ。撮りたいけどカメラがない。もったいないな……。
紙の上を鉛筆が走る音が聞こえ始める。俺、『普通』にできてるのかな。あんまり気にするとまた違うとか言われそうだけど。
「天谷、喋ってもいい?」
「どうぞ」
「前に賞取ったのは花の絵だったよな。他にはどんなの描いてるの?」
天谷のコンクール受賞作品は、しばらく校内に飾られていた。透明な花瓶に生けられた赤い花が印象的な絵だった。
でも周りに散った花びらがどこか物悲しくて、どんな気持ちで描いたんだろうと思ったのだ。絵心がなさすぎて、深くは考えなかったのだけど。
「得意なのは静物画かな。どっちかって言うと、人物画は苦手」
「俺は人撮るの結構好きだよ。いい表情撮れると嬉しいし」
「それが難しいんだよ」
天谷は手を止めずに続ける。
「人間はなかなか俺の求める表情してくれない。感情も複雑で難しい」
「……天谷って、最近人間界に生まれたロボットかなんかなの?」
「ちょっと何言ってるか分からないけど」
マジで返されると俺がスベったみたいになるからやめてほしい。
「苦手なことをそのままにしておくのは嫌なんだ。描けないものがあるなら、練習すればいい」
「ストイックだな」
「妥協したくないだけだよ」
空が暗くなるにつれ、外の景色は見えづらくなっていく。窓ガラスに映る俺は大した特徴もなく、どこにでもいる顔をしていた。俺の顔なんかで、天谷は苦手を克服できるんだろうか。
「終わりにしよう」
座り続けて腰と尻が痛くなってきた頃、天谷は鉛筆を置いた。
「加地くん、お疲れ様」
「はあ、マジで疲れた……全身バッキバキだ」
途中で休憩は挟んでいたが、じっとしているのは動き回るより疲れるかもしれない。凝り固まった背中を反らしたり腕を肩から回したりすると、血の巡りが良くなった気がした。
「本当はもう少し描き込みたいけど、そろそろ戸締まりの時間だしね」
心配するのは戸締まりだけかよ。やっぱり天谷はどこかズレている。
画用紙を覗き込んでみれば、俺の胸から上の横顔が描かれていた。顔の凹凸や陰影、髪の毛の一本一本まで細かく表現されている。
「これで苦手……? ていうか俺、こんなに猫背だった?」
「見たまま描いたよ」
「そこは再現しなくて良くない?」
「それじゃ練習にならないだろ。それに、そういう不完全さが人形とは違うところだよ」
褒められてるんだか貶されてるんだか分からない。複雑な心境の俺を物ともせず、天谷は道具を片づけて荷物をまとめた。
「それじゃ、今日はありがとう。またよろしく」
「う、うん……」
一緒に帰ろう、みたいな提案は全くなく、鍵を返しに行く天谷とは美術室の前で別れた。
これ、あと一ヶ月続くのか……仲良くできんのかな。



