俺しか知らない顔見せて

 誰かのために何かをすると、自分も嬉しくなれると思っていた。
 でも。
加地(かじ)くんは俺の理想なんだ」
「加地、写真部の存続はお前にかかってるんだよ!」
 暖かな春の日差しとともに迫りくる、イケメン同級生からの謎アプローチと、お世話になっている先輩からの圧力。
 この状況で喜べる奴がいたら、ぜひ連れてきてほしい。



 四月半ばのよく晴れた放課後。ずっとこのくらいの気温でいてほしいと思うくらい過ごしやすい日には、カメラのシャッターを切る動きも軽快になる。
 グラウンドの中央でパス練習中のサッカー部、周りのトラックを走る陸上部、専用コートでラリーを続けるテニス部……被写体には事欠かない。
「加地、どう?」
「結構撮れました。竹下(たけした)先輩は?」
「俺も。そろそろ休憩するか」
「あの、加地くん。ちょっといいかな」
 竹下先輩と話していたせいで、俺は後ろから近づいてくる人影に気づかなかった。振り返った先に立っていたのは同級生の天谷(あまがい)だ。
「今、写真部の撮影中?」
「休憩しようと思ってたから大丈夫だよ。なに?」
「実は頼みがあるんだ」
「俺に?」
 天谷とは今年同じクラスになり、席は隣同士。しかし挨拶しかしたことがない。そんな接点の薄い同級生からの突然の申し出に困惑してしまう。
「加地くんにしか頼めないんだよ。一生のお願い」
「そ、そこまで?」
 俺には特別な能力も才能もない。写真を撮るのは好きだけど、竹下先輩の方がよっぽど上手い。でもそこまで言うからには何か重大なことなのかと、つい背筋が伸びる。
 すると天谷は形の良い眉を悩ましげに寄せ、恭しく頭を下げた。
「絵のモデルになってください」
「……は?」
 この世に生まれて十七年、初めて向けられたその言葉は、俺の頭の中でぐわんぐわんと反響した。
「えっと……モデル……?」
「そう、モデル」
「はあ、モデル……」
 状況が飲み込めず、ただオウム返しをする。絵のモデル? 誰が? 俺が? なんで?
 意味が分からなすぎて良いも悪いもない。
「とりあえず顔上げてよ。どういうこと?」
 そう声をかけると、天谷の身体が垂直に戻った。表情には必死さが滲み出ている。
「俺、美術部なんだ」
「ああ、それは知ってるけど」
 というか天谷を知らない人はいないだろう。多数の部員を抱える美術部内でも飛び抜けて絵が上手く、絵画コンクールで受賞した時に全校集会で表彰されていたからだ。
 そしてなによりこの容姿だ。
 色素の薄いサラサラの髪と切れ長の瞳、白い肌、高い鼻にシャープな輪郭。背が高くてスタイルも良く、まるで絵画から飛び出してきたようだった。
 そんな天谷が俺なんかにモデルを頼んでくるとは、何かの間違いとしか思えない。
「俺よりももっとイケメンとか、可愛い女子とかの方がモデル向きだと思うけど」
「それじゃダメなんだよ。毎日石膏像みたいに整ったものばかり描いてたら、物足りなくなってきた。もっと自然体で不完全なものが描きたくなったんだ」
「えーと……つまり?」
「加地くんはいわゆる『どこにでもいる普通の人』だよね。平均的な身長も、眠そうな一重まぶたも、高くも低くもない鼻も、全部理想の一般人だ」
「……それ、悪口?」
「いや、褒めてる」
 どこが? やばい、こいつよく分からない。ていうか俺、さりげなく不完全って言われたよな。別に自分を完全体だとは思ってないけど、他人に言われるのはちょっと違う。
「とりあえず一ヶ月間でいいから協力してくれない? もちろん写真部の活動の邪魔はしないよ」
「悪いけど他の人に頼んで。天谷の頼みならみんな喜んで聞くと思うよ。それじゃ」
 なんかもう怖い。こんな時はさっさと逃げるに限る。しかし背を向けかけた俺の右腕はしっかりと掴まれてしまった。掴んでいたのはずっと静かに話を聞いていた竹下先輩だった。
「加地、俺は受けた方がいいと思う。ていうか絶対受けろ。部長命令」
「な、なんでですか!?」
 竹下先輩は俺の肩に腕を回し、耳打ちをした。
「よく考えろ、向こうは部員三十人の美術部。でも俺たちの写真部は何人だ?」
「……俺と先輩の二人ですけど」
「そう、俺が卒業したらお前一人だし、その後は最悪廃部だ。でもあいつと仲良くしておけば、そのツテで部員が入るかもしれないだろ」
「竹下先輩って長い物に巻かれるタイプだったんですね……」
「世渡り上手って言えよ。とにかく人を増やさなきゃいけないんだ。だったらこれはチャンスだろ!」
 いつもは頼りになる先輩のこんな一面、知りたくなかった。廃部になるのは俺も嫌だけど……でもモデルなんて荷が重い。絶対やりたくない。どうにか断らないと。
「加地くん、お願い。理想の一般人モデルになって」
 天谷が左側から俺の顔を覗き込んでくる。
「加地、お前にかかってるんだよ! がんばれ!」
 右側には鬼気迫る表情の竹下先輩。逃げ場がない。こ、困った……。
 そのうち、運動部の部員が俺たちの周りに集まり始めた。
「あれって天谷くんだよね。ビジュ良すぎ」
「でもなんか揉めてる?」
 ひそひそと話す声が聞こえる。もしかして、まずい雰囲気じゃないだろうか。カーストトップの天谷と対立してると誤解されたら、俺の立場が危うくなるのでは……!?
「加地くん」
「加地!」
 両サイドからの不協和音みたいな二重奏と、俺を取り囲む囁き声のオーケストラ。
 ここには俺の味方はいなかった。
「……分かりました……」
 俺はちょっとだけ泣きそうになりながら、がっくりと項垂れた。
 どうやら、俺も長い物に巻かれるタイプだったようだ。