たとえ愛されなくても

死にたいと思った。何か不幸に見舞われたわけでもなく、ただ、死にたいと思った。思い立ったが吉日、車を運転して海まで行き。駐車場とも言えない場所に車を停めて、ザーザーと聞こえる波の元へと近付いていく。誰もいないと思った。あと少しで台風が上陸するし。強くなった風の影響で波が、いつも以上に荒立っていて、これなら死ねそうな勢い。「死ぬんですか」と、話しかけられた。今にも死にそうな女性が横から。「はい、死にます」と他人に言うのは少し恥ずかしかった。「私もね、死のうと思ってたんです」と、女性はどこか嬉しそうな表情になり、僕の手を掴んできた。引っ張られて、波のほうへと進んでいく。

波が靴に触れ、やがて靴下に海水が染み込み、履いていたズボンは重くなった。荒れている波に入ると、身動きが取れなくなって女性の手を放してしまった。意識が遠のいていく、過去の幸せだった一瞬が映画みたいに流れ出す。忘れていた匂いや感触も思い出していく。気が付くと海岸へと流されていた。遠くに女性が見え、おぼつかない足取りで女性に近付き、肩を揺すると。「あれ、生きてるの」と女性は目覚めた。「生きてるみたいです」と答えて、女性の横に座り、「どうして死のうと思ったんですか」と訊ねた。

「それ、普通訊かないよ」と女性はクスッと笑い、「生きていても楽しくないの」と答えてくれた。「君はなんでここに来たの」と訊ね返される。「人生で死ぬ経験って1回じゃないですか。気になったからですかね」と嘘を吐いて、「水買ってきますね」と自販機へ向かう。財布は車の中だった。車へと行き、財布を取り、自販機で水を買い、女性が待つ場所へと戻る。「水飲みますか」と買った水を差しだしたのだけど、振り返らない女性。「どうしたんですか」と少し不安で、ただ問いかけてみると。

泣いていた。けど、雨が降り始めていて、涙か分からなかった。僕は横に座り、「今も死にたいって思う人はこの世にいるんですよね。逆に死にたくないけど死んでしまう人もいる」と話し。「ここで死ねなかったのはきっと運命ですね」と続けた。「運命ね。出会えたことも運命だしね」と女性は言い、僕が持っていた水を求めてくる。「はい」と手渡して、女性が水を飲むのを見てから僕も飲んだ。「また、死にたくなったら会おうね」と言ってくる女性。立ち上がり、僕の知らない道を進んでいった。女性に雨が降り注いでいて、でも、女性に雨が当たっていないように見えた。

女性が見えなくなるまで眺めてから、僕も立ち上がって車に戻った。濡れていて少し気持ち悪いけど、家に帰る。誰もいない部屋は暗くて、でも電気をつけることなく真っ先にお風呂場へ向かった。温かいお湯が体を包んでいく。すぐに上がり、リビングで髪を拭きながらテレビをつける。作り上げられた番組に面白みを感じなくて、消した。また、あの女性に会いたい。連絡先を交換していなかった。でも、死にたくなったらあの海へ行こうと思う。あの女性はいつも、あの海で待っている気がする。

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