たとえ愛されなくても

人を傷付けるってしてはいけないことだけど、意外と気付かないでしていたりする。ただ思ったことを言っただけだとして、その言葉が相手の傷付く言葉だったらとか。自分は優しさでしたことだとして、それが相手の求めていないことだったらとか。深く考えずに生きていると、気付かないうちに人を傷付けている。自分がこれまでに傷付いたことを思い返してみると、相手は何食わぬ顔でいることが多かった。それが当たり前で、傷付いていると気付いてすらいなかった。自分がこれまでに、誰を傷付けたかなんて思い出せないけど、これから出会う人と真摯に向き合いたいと思った。

今日、Xで「あなたが傷つけた人にも、愛してくれる人がいるんだよ」という言葉を投稿した。ふと思いついた言葉だったのだけど、それなりに気付けていない人も多そうで、文字として綴った。僕が誰かに傷付けられたとき、愛してくれる人が心配をしてくれるのと同じで、僕が誰かを傷付けたとき、きっとその人を愛している人は心配してしまう。対面で会う人だけではなく、その人と関わっている人のことまで考えてみると、傷付けようなんて思えなくなる。「この人にどんな言葉をかけたら、後で笑って友達と話してくれるだろう」とか、「この人にどんなことをすれば、より人生が豊かになるだろう」とか、そんなことばかりで悩んでいたい。

つい先日、「僕に言いたかったこと」と題して意見を募集した。質問が送られてきたり、最近出た本の感想を送ってきたり、色々な意見が見られて嬉しいのだけど。「死ぬまでに会ってどうでもいい会話がしたい」という意見だけは、流し見をすることができなかった。「会うまでは死なないでね」と返信文を打ち込んだけど、それを送信することはなく、消した。他の意見に目を通す。「愛してる」とか「寂しかった」とか、その人の感情が直で書かれているものがあった。それを、好きな人に言えればいいのに。

この活動を始めて、その人が普段言うことのできない本音に触れる機会が増えた。何か返事をするわけでもなく、ただ受け身で、その人が言いたかったことだけを見つめてきた。きっと誰もが寂しがり屋で、そして誰かを心底愛している。たまに拗ねたりするし、妬んだりもするけれど、やっぱり寂しいに戻る。友達から、「色んな人から連絡が来て羨ましい」と言われることがあった。「それはそれで、悩んでしまうこともあるよ」と言ったけど、「誰からも連絡が来ないのは寂しいもんだよ」と友達は言った。どの言葉をかけてあげればいいか分からなくて、ただ隣に座ることしかできなかった。

SNSを見ていると、相手のことを考えずに発言する人がいて、少しだけ悲しくなる。発言する人にも愛する人がいて、愛してくれる人もいるだろうに。「気持ち悪いんだよ」と、DMに連絡が来たことがある。「どの辺が気持ち悪いですか」と訊ねると、「そういうところだよ」と返ってきて、「それでは分からないので、詳しく教えてください」と返した。その人から返信が来ることはなく、僕はアカウントを覗いた。「誰も私を愛してくれない」とか「寂しいから誰か会おう」とか、感情を呟いている人だった。

「やっぱり、教えなくてもいいです。どうか、幸せになってください」と、僕はメッセージを送った。

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