大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

「安心なさいな。澄乃さんの刺繍のほうが、ずうっと上等ですわよ」

 思わず苦笑しそうになるのを会釈でごまかし、澄乃は夫人とともに最新式の昇降機(エレベーター)に乗り込んだ。


 
 呉服売場は下階(した)に比べ、ゆったりと落ち着いた雰囲気だった。値の張るものが多いせいか、冷やかしのような客は見当たらず、じっくりと品定めする身なりの良い客ばかりだ。

 反物や帯地が色ごとに並び、半襟、帯揚げ、帯締めなどの小物は硝子の台に並べられている。金属や象牙などで作られた高価そうな帯留も、宝飾品のように展示されていた。

 ここでも篠田夫人は上得意客らしく、売場主任とおぼしき中年の男性店員が急いで出てきて深々とお辞儀した。軽く会釈を返し、夫人は周囲を眺めながら呟いた。

「今日は洋装で来てしまったけれど……春らしさの感じられる帯揚げと帯締めはないかと思っていますの。いくつか見せていただけて?」

「もちろんでございます。帯はどのようなお品物をお考えでしょうか」

「黒地に金茶の唐草を織り出した帯なのよ。モダーンな趣があって気に入っているのだけど、お色が少し重たいから、小物で春らしさを出せないかと思って」

 店員は頷き、傍らに控えていた部下の店員に言いつけて似たような帯を何本か持ってこさせた。その中から夫人が選んだ帯を売場の畳に広げると、今度は何種類もの帯揚げと帯締めを出してきて、帯の上で組み合わせ始めた。

「このような取り合わせはいかがでございましょう。帯の重厚さを損なわず、春らしく軽やかになるかと存じます」

 そう言って示したのは、淡い藤色の帯揚げと朱を一筋交えた焦茶の帯締めだった。

 黒地の帯の上に藤色を覗かせると、重厚な雰囲気が良い塩梅にやわらいだ。そして帯締めに含まれる朱色の細い線が、きりりと引き締まった表情を与える。

 色の組み合わせ次第で印象はおのずと変わることを、澄乃は改めて意識した。

 淡い色の隣に強い色を少し置けば互いが引き立つ。半襟の小さな刺繍が顔の近くにあるだけで、装い全体を変えるのと同じだ。

 ふと、帯締めに添えられた小さな値札が目に入った。見回すと並べられた小物すべてに値札がついている。

(この値段、どのように決まるのかしら……?)

 澄乃が要求するのは材料費と手間賃、図案料だが、これらの品物の価格に含まれるのはそれだけとは思えない。

 舶来品なら輸送費が上乗せされ、百貨店で売るための費用も加わるはずだ。それは、いったいどのように決められるのか。

 そんなことをぼんやり考えていると、篠田夫人が立ち上がった。結局、今日はやめたらしい。それでも店員たちは最敬礼でうやうやしく見送った。

「買わないのですか?」