大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

 一月も終わりに近い昼前。

 篠田伯爵家の自動車が錦華屋(きんかや)百貨店の正面に停まった。洒落た制服姿の運転手が後部ドアーをうやうやしく開けると、冬晴れの光を受けた車窓がきらりと輝く。

 降りた途端、冷たい空気が鼻先に触れ、澄乃は書類挟みを抱え直して白い息を吐いた。

 留め金のついた革張りの書類挟みは朔也が用意してくれたものだ。中には自分用に作った半襟と手巾(ハンケチ)、いくつかの下絵が収められている。雪持ち椿の図案も、原画の写しを持ってきた。

「さ、参りましょう」

 悠々と後から降りてきた篠田夫人が、先に立って歩き出す。今日は洋装で、銀狐の襟をあしらった黒い羅紗の外套に、羽飾りのついた深い葡萄酒色の帽子をかぶっている。

 硝子扉を抜けると、暖かな空気にふわりと包まれた。高い天井から吊り下げられた装飾電灯が、磨かれた床を明るく照らしている。正面には色とりどりの花を活けた大きな壺が据えられ、その向こうに広々とした売場が続いていた。

 予想以上の人の多さに、澄乃は思わず立ちすくんだ。

 買物客だけではない。着物の上に揃いの紺の上っ張りを羽織った女性店員も大勢いて、客からの質問に答えたり、求められた品物を取り出して見せたりしている。

(──品物ごとに、売場が分かれているのね)

 感心して眺めていると、傍らで男性の声がした。

「篠田様、お待ちしておりました」

 振り向くと、黒い背広姿の年配の男性が深々と頭を下げている。

「申し訳ございません、瀬田常務はただいま商談が長引いておりまして……。お待ちのあいだ、どうぞ店内をご覧くださいませ」

「かまいませんわよ。せっかくですから、ゆっくり拝見いたしましょう」

 夫人は心持ち顎を上げて頷いた。

「外套をお預かりいたします。こちらへどうぞ」

 男性の案内で入り口からほど近い応接室へ向かう。売場の店員たちと同じ格好の女性店員がいて、篠田夫人の外套と澄乃の道行を受け取った。

 篠田夫人は帽子と揃いの深い葡萄酒色のワンピース姿だ。澄乃は水仙を控えめにあしらった淡い白茶地の訪問着に、深い納戸色の帯を締めている。

「案内係として、この者をお付けいたします。なんでもお尋ねください」

 男性がそう言うと、外套を掛け終わった女性店員が深々とお辞儀をした。