大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

「多少、勝手は違うかもしれないが、仕事自体は変わらないでしょう。これまでどおり、注文主の意向に沿った上で、あなたの『好き』を表現すればいい」

「それで、いいのでしょうか」

「それがいいと、私は思います。厭なら引き受けなければいいのです。むしろ、そのほうが篠田夫人はあなたの刺繍を独占できて喜ぶかもしれませんよ」

 悪戯っぽく言われ、思わず笑みがこぼれた。

「──ただし、用心を怠るべきではありません」

 朔也の声が、また真面目になる。澄乃は眉をひそめた。

「どういうことですか?」

「名刺にあるとおり、錦華屋百貨店の正式名称は錦華屋呉服店です。この店の経営母体は瀬田商会といって、日露戦争のおり、繊維関係の軍需品を取り扱うことで急成長しました。利一氏はその三代目にあたります。私は職務上の必要から、瀬田商会との取り引きを調べたことがあるのです」

「何か、問題でも……?」

 朔也はわずかに眉を寄せた。

「詳しくは申し上げられません。ただ、商いの才は確かでも、無条件に信用してよい相手とは言いかねます」

「では、お会いしないほうがいいでしょうか」

「──いや、ご自分の目で確かめるべきでしょう」

 朔也は名刺を指で軽くはじいた。

「あなたの刺繍に目をつけたとなれば、見る目があることは確かですし。商品になると踏んだのでしょうね。まぁ、当然ですが」

 さらっと言われて思わず頬を染める。

「澄乃さんは、ご自分の刺繍が百貨店で売られることをどう思われますか」

「よく、わかりません……。お金を出して買っていただけるのは、もちろん嬉しいのですけど」

 それだけなら、今の注文仕事と変わらない。

「……ただ、百貨店で売られるとなると、どんな方がお求めになるのかわからないので……」

 朔也は、納得した顔つきで頷いた。

「それは大きな違いだ。澄乃さんが不安を感じているのは、おそらくその点ではないでしょうか」

 澄乃は考え、ゆっくりと頷いた。

「たぶん……そうだと思います」

「それならば、なおのこと実際に百貨店を見学するのは良いことだと思います。これまで足を運んだことは?」

「いえ、ほとんど……」

「ではまず実地検分からですね」

 朔也はきびきびと言った。

「まずは最新の百貨店を見物しよう、くらいの軽い気持ちで行かれると良いでしょう。刺繍を見せるのもいい。図柄の見本として下絵を何枚か見せてもいいと思います。ただし、見せるだけ。けっして預けないように」

「は、はい」

「その場での約束や署名も避けてください。夫に止められているとでも言えばいい。私を言い訳に使ってかまいません」

 澄乃はびっくりして朔也を見た。

「止めないのですか?」

「止めはしませんが、やめたほうがいいと強く言わせていただきます」