澄乃は息を呑んだ。
まさか、そこまで読み取れる人がいるとは思わなかった。
「作り手はどなたかと訊かれたのだけれど、特別にお願いしている方ですから、軽々しく御紹介するわけにはまいりませんわ、と申し上げましたの」
夫人は得意気に胸を張った。
「そうしたら、『これほどの作り手を見出されるとは、夫人のお目はやはり確かでいらっしゃいますね』なんて、言われてしまって。まぁ、そうでしょうとも。ほほほ」
どうやら篠田夫人は自尊心と虚栄心を大いにくすぐられたらしい。
「それでね、澄乃さんという方だと、お名前だけ教えて差し上げましたの。かまいませんわよね」
かまうもかまわないも、すでに教えてしまったのだから後の祭りだ。
夫人はしれっとして上品にお茶を飲んでいる。立て板に水の勢いで喋って喉が渇いたようだ。澄乃は電鈴を鳴らして佐和を呼び、お茶のお代わりを言いつけた。
佐和が新しい茶と塩羊羹を運んでくる。夫人もようやく一息ついたらしく、先ほどまでの勢いが少し落ち着いた。
「で、瀬田さんが仰ったの。ぜひ一度その方とお話ししたいと」
「……え。わたしのことですか……!?」
「もちろん澄乃さんに決まってるでしょ。これほどの腕を埋もれさせておくのは惜しいって、いくつか刺繍作品を見せてほしいそうよ。ついでにぜひ錦華屋の美術工芸売場を案内したいのですって」
夫人はハンドバッグから取り出した名刺を卓上に置いた。
株式会社 錦華屋呉服店
常務取締役 瀬田利一
「そういうわけで、澄乃さんを錦華屋へお連れすることになりましたの」
勝手に独り決めされて澄乃は目を白黒させた。
「百貨店へ、ですか?」
「ええ。わたくしがご一緒しますから、ご心配には及びません。わたくしが見出した方ですもの、責任を持ってちゃんとお引き合わせしなければね」
夫人の中ではすでに筋書きが出来上がっているようだ。当然、悪気は少しもない。
さすがに日取りは澄乃の都合で決めてよいと言われたが、行かないという選択肢は用意されていないらしい。絶対行きたくない、というわけでもないので、そこは追及しなかった。
篠田夫人を送り出し、ふたたび応接室に戻ってソファに座る。
卓上に、瀬田利一の名刺が残されていた。
澄乃はそれを手に取り、「錦華屋」の三文字を指先でなぞった。
正直、少し……いや、かなり興味がある。
そして、急に思い出した。糸箱の蓋裏に挟んだ、あのチラシ。あれは錦華屋百貨店の前で配られていたものだ。
描かれていた、舶来品の花模様の手巾を見るたび、もやもやした思いに駆られていた。
わたしなら、もっと素敵に繍えるのに、と。
密かな対抗心を抱きながら遠く眺めていた世界から、こちらの仕事を見たいと求められた。
そう考えただけで、胸が震えるような高揚感を覚える。
だけど──。
百貨店の担当者に作品を見せるのは、顔見知りからの注文仕事とはまるで勝手が違う。何を求められるのか、どのような話になるのか、見当もつかない。
ふと、朔也の冷静な面差しが頭に浮かんだ。
この話を聞いたら、彼はなんと言うだろう。
喜んでくれるのか、それとも、止められるのか。
(……ただ、百貨店に行くだけよ)
見物ついでに、自分の刺繍をちょっと見せるだけ。
いずれにしても、黙っているわけにはいかない。いや、朔也に内緒でこっそり出かけるのが、なんだか厭なのだ。
澄乃は名刺を見つめ、そっと溜め息を洩らした。
まさか、そこまで読み取れる人がいるとは思わなかった。
「作り手はどなたかと訊かれたのだけれど、特別にお願いしている方ですから、軽々しく御紹介するわけにはまいりませんわ、と申し上げましたの」
夫人は得意気に胸を張った。
「そうしたら、『これほどの作り手を見出されるとは、夫人のお目はやはり確かでいらっしゃいますね』なんて、言われてしまって。まぁ、そうでしょうとも。ほほほ」
どうやら篠田夫人は自尊心と虚栄心を大いにくすぐられたらしい。
「それでね、澄乃さんという方だと、お名前だけ教えて差し上げましたの。かまいませんわよね」
かまうもかまわないも、すでに教えてしまったのだから後の祭りだ。
夫人はしれっとして上品にお茶を飲んでいる。立て板に水の勢いで喋って喉が渇いたようだ。澄乃は電鈴を鳴らして佐和を呼び、お茶のお代わりを言いつけた。
佐和が新しい茶と塩羊羹を運んでくる。夫人もようやく一息ついたらしく、先ほどまでの勢いが少し落ち着いた。
「で、瀬田さんが仰ったの。ぜひ一度その方とお話ししたいと」
「……え。わたしのことですか……!?」
「もちろん澄乃さんに決まってるでしょ。これほどの腕を埋もれさせておくのは惜しいって、いくつか刺繍作品を見せてほしいそうよ。ついでにぜひ錦華屋の美術工芸売場を案内したいのですって」
夫人はハンドバッグから取り出した名刺を卓上に置いた。
株式会社 錦華屋呉服店
常務取締役 瀬田利一
「そういうわけで、澄乃さんを錦華屋へお連れすることになりましたの」
勝手に独り決めされて澄乃は目を白黒させた。
「百貨店へ、ですか?」
「ええ。わたくしがご一緒しますから、ご心配には及びません。わたくしが見出した方ですもの、責任を持ってちゃんとお引き合わせしなければね」
夫人の中ではすでに筋書きが出来上がっているようだ。当然、悪気は少しもない。
さすがに日取りは澄乃の都合で決めてよいと言われたが、行かないという選択肢は用意されていないらしい。絶対行きたくない、というわけでもないので、そこは追及しなかった。
篠田夫人を送り出し、ふたたび応接室に戻ってソファに座る。
卓上に、瀬田利一の名刺が残されていた。
澄乃はそれを手に取り、「錦華屋」の三文字を指先でなぞった。
正直、少し……いや、かなり興味がある。
そして、急に思い出した。糸箱の蓋裏に挟んだ、あのチラシ。あれは錦華屋百貨店の前で配られていたものだ。
描かれていた、舶来品の花模様の手巾を見るたび、もやもやした思いに駆られていた。
わたしなら、もっと素敵に繍えるのに、と。
密かな対抗心を抱きながら遠く眺めていた世界から、こちらの仕事を見たいと求められた。
そう考えただけで、胸が震えるような高揚感を覚える。
だけど──。
百貨店の担当者に作品を見せるのは、顔見知りからの注文仕事とはまるで勝手が違う。何を求められるのか、どのような話になるのか、見当もつかない。
ふと、朔也の冷静な面差しが頭に浮かんだ。
この話を聞いたら、彼はなんと言うだろう。
喜んでくれるのか、それとも、止められるのか。
(……ただ、百貨店に行くだけよ)
見物ついでに、自分の刺繍をちょっと見せるだけ。
いずれにしても、黙っているわけにはいかない。いや、朔也に内緒でこっそり出かけるのが、なんだか厭なのだ。
澄乃は名刺を見つめ、そっと溜め息を洩らした。
