大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

 朔也はますます無表情になって、そっけなく答えた。

「誘ったのは私です。澄乃さんに、綺麗な椿を見てもらいたくて」

 冴子の視線が鋭くなる。朱を差した唇が、完璧な曲線を描いた。

「お睦まじくて結構ですこと」

 冴子は軽く顎を上げて婉然と微笑み、くるりと(きびす)を返して連れの婦人たちの元へ戻っていった。そのしぐさは澄乃が女学校でよく見かけた彼女のふるまいそのままだ。

 連れのふたりはこちらに会釈して冴子の後に続いた。そんな様子も女学校時代を思い出させる。上品な古代紫の道行が遠ざかってゆくのを、澄乃は黙って見送った。

「──行きましょう」

 朔也の声に頷き、冴子たちに背を向ける。

 なんとなく黙ったまま小径を進んでいくと、出口が見えてきた。澄乃は手に持ったままだった写生帳を手提げにしまった。

「もういいのですか」

 朔也に問われ、澄乃は頷いた。

「はい。もう充分描きました」

 じっと見つめられ、小さく苦笑する。

「本当です。見るべきほどのことは見つ、です」

 目を瞠った朔也が、軽く噴き出した。冗談が通じてホッとする。

「では、『今は何をか期すべき』ですね」

「はい」

 心は決まった。どんな刺繍にすべきか、道筋は見えている。

 ただ。

 今度は別のことが、やけに気になり始めていた。

「──あの。伺ってもよろしいでしょうか」

「なんでしょう」

「以前、高宮家のことを口にされていましたよね。それって、もしかして──」

 朔也は黙ったまま何歩か進み、低く答えた。

「父が望んだことです」

 静かだが、強い口調だった。澄乃はいつか玄関口で村瀬と交わしていた彼の言葉を思い出した。

『知ったことか。届け出は済んでいる』

 あのときも、強い口調だった。洋食店での会食のときも。

 彼は言った。

『私が一条家へ婿入りしたのは、ただ単に澄乃さんと結婚したかったからです』

 その言葉も、彼の気持ちも、疑うつもりはない。きっとそれは本当だ。父が言ったように、朔也は自分を見初めて結婚を望んだのだ。

 いつどこで、どのように見初められたのかは、わからないけれど。

 それでもやはり、気になってしまう。

 高宮侯爵が政界に大きな影響力を持つことくらい、澄乃も知っている。侯爵の愛娘である冴子と結婚したほうが、朔也にとって社会的にも軍においても、きっと有利だったはず。

 いつだって自信に満ちあふれている冴子の姿が、いやでも脳裏に浮かんだ。

 あの人が朔也の隣に立っていたかもしれないと思うと、お腹の底が冷たくなるような、頭の芯がちりちりするような、落ち着かない心持ちになってしまう。

 唇を噛んでうつむいていると、いきなり手を握られた。

「帰りましょう」

 ぶっきらぼうに言って、朔也は足を速めた。引っ張られるように後に続きながら、気がつけば澄乃は彼の手を握り返していた。しっかりした手応えに、胸が震える。

 どうしよう。

 どうしよう、わたし、この人のこと──。

 門をくぐる。待ち構えていたように、村瀬が自動車の傍らに立っていた。

 朔也が後部座席の扉を開け、澄乃は黙って乗り込んだ。車が発進すると、ふたたび朔也が手を握った。

 おずおずと、その手を握り返す。

 前を向いたまま、座席に背を預けて。ほんの少し、肩が触れ合っている。

 朔也の掌の大きさが、今はとても心強かった。