見れば園路の先に、休み処が設けられている。緋毛氈を敷いた縁台が庭木の下に置かれ、客たちに薄茶がふるまわれていた。
「ずっと歩きどおしで、冷えたのではありませんか」
確かに剥き出しの手はかなり冷たくなっている。澄乃は頷いて休み処へ足を向けた。
空いていた縁台に並んで腰を下ろすと、すぐに女中が薄茶と干菓子を運んできた。茶碗を両手で持ち、思った以上に指先が冷えていることを実感する。
指先を温めながらゆっくりと薄茶を飲み、干菓子を口に運んだ。
薄茶を飲み終えた澄乃は、写生帳を膝に置いて最初から頁をめくってみた。ここまで描いた素描を順に眺める。
すべて鉛筆描きだが、見ればすぐに元の花が思い浮かぶ。
様々な色や形があった。白や赤、薄桃色、濃桃色。斑入りのもの、絞り柄。一重、椀咲き、猪口咲き。八重、千重、牡丹咲きに獅子咲き。
雄蕊の色も、黄色だけでなく、白っぽいものや紅色のものまで。
見ているうちに目が回りそうになり、澄乃は眉間を押さえた。
「大丈夫ですか?」
気づかわしげに問われ、気を取り直して微笑む。
「少し、圧倒されてしまって」
「かえって混乱させたかな」
「そんなことは」
澄乃は急いでかぶりを振った。
もう一度、素描の数々を眺める。華やかな椿は、いくらでもあった。薔薇のような椿も、百合のような椿も。白地に濃桃色の絞りが入った椿など、刺繍絵にしたらとても素敵だと思う。
でも。やっぱりそれは違う。
帝劇で篠田夫人に注目を集めるには、それではいけない。椿の刺繍は、あくまで夫人を引き立てるものでなければ。
半襟や手巾が単体でどれほど美しく、見栄えがよかろうとも、そればかりが前面に出るようではいけない。
篠田夫人の望みは、自分が称賛されることであって、品物そのものへの称賛ではない。それを選び、身につけた自分こそが、美意識も品格も他に抜きん出ていると周囲に知らしめることなのだ。
そのためには、流行りの薔薇のような椿でも、百合を思わせる椿でもいけない。
豪華絢爛な帝劇で、華麗な園芸種の椿を競わせても、互いの美を打ち消しあってしまうだけだ。
澄乃は最初に描いた白侘助と、赤い藪椿を交互に眺めた。
一条家の庭にもあるものだが、手入れの違いは一目瞭然。それでも共通するものは、確かにある。
特に、古くから日本に自生している真っ赤な藪椿。人が手を加えなくても、それだけで充分に美しい。たとえ薄暗がりでも、視界の隅でも、確実に視線を捉える。
そこにあるだけで。
注目を集めるために生み出された美ではない。人が見出した、見出さずにはいられなかった、自然の美だ。
澄乃の頭の中で、しんしんと降る雪をかぶりながらも毅然と咲いている、赤い藪椿の光景が鮮明に立ち上がった。そして、その椿に手をさしのべる、艶やかな黒髪の、青磁色の着物姿の女性──。
「──決まりそうですか」
静かな朔也の声に、澄乃はゆっくりと頷いた。
「……少し、見えてきた気がします」
顔を上げて視線を合わせると、彼は目許をやわらげた。
「それは、よかった」
先ほどかけられた朔也の言葉が、心にしみこんでくる。
『あなたの好きなものは、きっと良いものですから』
「──わたし、やっぱり藪椿が好きです」
写生帳を見ながら呟くと、朔也が恬淡と応じた。
「私も好きですよ」
「ずっと歩きどおしで、冷えたのではありませんか」
確かに剥き出しの手はかなり冷たくなっている。澄乃は頷いて休み処へ足を向けた。
空いていた縁台に並んで腰を下ろすと、すぐに女中が薄茶と干菓子を運んできた。茶碗を両手で持ち、思った以上に指先が冷えていることを実感する。
指先を温めながらゆっくりと薄茶を飲み、干菓子を口に運んだ。
薄茶を飲み終えた澄乃は、写生帳を膝に置いて最初から頁をめくってみた。ここまで描いた素描を順に眺める。
すべて鉛筆描きだが、見ればすぐに元の花が思い浮かぶ。
様々な色や形があった。白や赤、薄桃色、濃桃色。斑入りのもの、絞り柄。一重、椀咲き、猪口咲き。八重、千重、牡丹咲きに獅子咲き。
雄蕊の色も、黄色だけでなく、白っぽいものや紅色のものまで。
見ているうちに目が回りそうになり、澄乃は眉間を押さえた。
「大丈夫ですか?」
気づかわしげに問われ、気を取り直して微笑む。
「少し、圧倒されてしまって」
「かえって混乱させたかな」
「そんなことは」
澄乃は急いでかぶりを振った。
もう一度、素描の数々を眺める。華やかな椿は、いくらでもあった。薔薇のような椿も、百合のような椿も。白地に濃桃色の絞りが入った椿など、刺繍絵にしたらとても素敵だと思う。
でも。やっぱりそれは違う。
帝劇で篠田夫人に注目を集めるには、それではいけない。椿の刺繍は、あくまで夫人を引き立てるものでなければ。
半襟や手巾が単体でどれほど美しく、見栄えがよかろうとも、そればかりが前面に出るようではいけない。
篠田夫人の望みは、自分が称賛されることであって、品物そのものへの称賛ではない。それを選び、身につけた自分こそが、美意識も品格も他に抜きん出ていると周囲に知らしめることなのだ。
そのためには、流行りの薔薇のような椿でも、百合を思わせる椿でもいけない。
豪華絢爛な帝劇で、華麗な園芸種の椿を競わせても、互いの美を打ち消しあってしまうだけだ。
澄乃は最初に描いた白侘助と、赤い藪椿を交互に眺めた。
一条家の庭にもあるものだが、手入れの違いは一目瞭然。それでも共通するものは、確かにある。
特に、古くから日本に自生している真っ赤な藪椿。人が手を加えなくても、それだけで充分に美しい。たとえ薄暗がりでも、視界の隅でも、確実に視線を捉える。
そこにあるだけで。
注目を集めるために生み出された美ではない。人が見出した、見出さずにはいられなかった、自然の美だ。
澄乃の頭の中で、しんしんと降る雪をかぶりながらも毅然と咲いている、赤い藪椿の光景が鮮明に立ち上がった。そして、その椿に手をさしのべる、艶やかな黒髪の、青磁色の着物姿の女性──。
「──決まりそうですか」
静かな朔也の声に、澄乃はゆっくりと頷いた。
「……少し、見えてきた気がします」
顔を上げて視線を合わせると、彼は目許をやわらげた。
「それは、よかった」
先ほどかけられた朔也の言葉が、心にしみこんでくる。
『あなたの好きなものは、きっと良いものですから』
「──わたし、やっぱり藪椿が好きです」
写生帳を見ながら呟くと、朔也が恬淡と応じた。
「私も好きですよ」
