大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

「……え?」

 訝しげな視線に、彼はかすかな笑みを浮かべる。

「誰かのために作るものでも、澄乃さんの『好き』を入れていいと思います。あなたの好きなものは、きっと良いものですから」

 頬が熱くなって、澄乃は目を泳がせた。

「……そうでしょうか」

「私は、そう思います」

 淡々とした声音は、お世辞には聞こえなかった。

 もう一度写生帳を眺める。どの花も、なんだか気張って見えた。

 澄乃は新しい(ページ)をめくり、赤い藪椿を見つめた。一重咲きの、美しい花弁の重なり。まるで、謎めいた微笑のような……。

 澄乃は鉛筆を握り直し、角度や距離を変えて幾通りもの素描をした。

 しばらく写生に没頭し、ふと視界の隅で影が動いた気がして顔を上げる。

 いつのまにか朔也が背後に回り、行き交う人の流れをさりげなく遮っていた。園路をそぞろ歩く客は何組もいたが、おかげで澄乃の近くまでは誰も来ない。そうでなかったら、椿を鑑賞する客が好奇心から澄乃の写生帳を覗き込んだだろう。

 朔也は澄乃と目が合うと、「そのまま」と言うように小さく顎を引いた。

 頷いて椿に視線を戻し、気の済むまで写生すると、今度は自分の歩調で進み始めた。

 目を引く椿に出会うたび、足を止めて描く。

 淡桃色の小ぶりな椿。花弁の先だけにほんのり紅を差す白椿。まだ堅く閉じた暗紅色の蕾。

 枝の伸び方や分かれ方。若い枝と古い枝の色味の違い。

 奥へ進んでいくと、頭上で枝が重なって陰になったところへ出た。ちょうど石段になっていて、湿気が多いせいかかなり苔むしている。下りようとしたとき、横からすっと手が差し出された。

 見上げれば朔也がかすかに微笑んでいる。

 一瞬ためらい、そっと右手を預けた。やわらかな革手袋越しに、しっかりした指の感触が伝わった。

 祝言の日に見た、万年筆を握る武骨な手が、ふいに思い浮かぶ。熱くなる頬を隠すように澄乃は顔をうつむけ、短い石段を下りた。

 下りきると朔也は何も言わず、ごく自然に手を離した。

 ほっとするよりも、何故か寂しいような心持ちになってしまって、どぎまぎする。手袋越しの指の感触がいつまでも消え残り、鉛筆を握る指がなんだかくすぐったかった。

 ぽつぽつと写生を続けながら歩くうち、ずっと黙っていた朔也が静かに声を上げた。

「少し、休憩しませんか」