大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

 我に返って応ずると、軍服姿の朔也が戸口に立っていた。外套を左腕に掛け、軍帽はその手に持っている。

「戻りました」

「あ、お帰りなさいませ」

 澄乃は慌てて立ち上がった。

「申し訳ございません、お出迎えもせず」

「気にしないでください。それより、これ」

 白い革手袋を嵌めた手で、封筒が差し出される。

 首を傾げて受け取ると、朔也が仄かに微笑した。

「明日、一緒に行きませんか」

「えっ……」

 どこへ? と急いで中身を確かめると、長方形の紙片が二枚出てきた。何かの券らしい。

「明日は午前だけ出仕します。午後から椿を見に行きましょう」

「つ、椿?」

 混乱して朔也の顔と券を交互に眺め、澄乃は目を丸くした。

 ご招待券。観椿の会。椿山御殿(つばきやまごてん)

 それだけが、長方形の厚手の鳥の子紙に印刷されている。

「椿山御殿って……関口の? でも、あそこは──」

 高台に広がる男爵家の名園で、様々な種類の椿が揃っていることで有名だ。

 まだ両親ともに健在だった頃に一度だけ行ったことはあるが、子どもの時分なのであまりよく覚えていない。

 朔也は浅く頷いた。

「椿が見頃になるこの時季だけ、招待客に庭を開いているそうです。須藤中佐から招待券を二枚譲っていただきました」

「須藤様はお出かけにならないのですか?」

「奥方が風邪を召されたので、当分外出を控えたいとのことです」

「まぁ……」

 祝言の折に媒酌人を務めてくれた、誠実で穏やかな中佐夫妻の姿が思い浮かぶ。

「それは残念ですね。でも、いただいてよろしいのでしょうか。具合がよくなってから出かけられても」

「奥方は男爵夫人とお稽古仲間だそうで、頼めばまたもらえるからと中佐は言っていました」

 澄乃は招待券を軽く押しいただいた。

「ありがとうございます。でも、わざわざお休みを取っていただかなくても……」

「省で聞いたのですが、明後日から天気が崩れる見込みだそうです。明日まではよさそうなので、午後から出かけましょう。見るなら早いほうがいい。──では、また夕餉のときに。仕事中、邪魔をしました」

 朔也は会釈すると(きびす)を返し、すたすたと歩み去った。

「いえ……」

 中途半端に呟いて、澄乃は招待券を両手で持ったまま朔也の背中を眺めた。

(……気にしてくれた?)

 昨夜の澄乃の様子から、図案で悩んでいると察して──。

 本当に、たまたま須藤中佐から譲ってもらったのだろうか。ずいぶんと都合のいい偶然に思える。もしかしたら、譲ってくれたというより、頼み込んで譲ってもらったのかもしれない。

 廊下の向こうから、帰宅に気づかなかったことを詫びる佐和の声と、気にしないよう答える朔也の声が聞こえてきた。

 急に気恥ずかしくなって、澄乃は慌てて扉を閉めた。