夫人が欲しがっているのは、帝国劇場の豪華な客席で舶来の手巾を自慢げに広げる婦人たちに対し、和の品格を見せつけられるものなのだから。
澄乃は写生帳をぱらぱらとめくった。
花も葉も正確に形は取れているが、ただ正確なだけに思える。
『あら、綺麗な椿ですこと』
それくらいで終わってしまうだろう。
篠田夫人が望むのは、その先の感嘆だ。もう一度見たいと思わせ、目を離せなくなる、華やぎ。
流行の薔薇に負けないくらい艶やかでありながら、毅然としている。
凛とした、孤高の美──。
澄乃は鉛筆を握る指に力を込めた。
掴めそうで、掴めない。
悔しい。
吐息をつき、澄乃はもう一度藪椿を見つめた。
赤い花は、冬の陽を受けて静かに咲いている。
充分に鮮やかでも、何かが足りない気がする。
いったい何が足りないのか……。
それがわからないことが、もどかしくてたまらなかった。
悩んでいると、渡り廊下のほうから佐和の声が聞こえてきた。
「お嬢様。篠田様から訪問着が届きました」
「……えっ、もう?」
思わず声に出てしまう。
昨日の今日で届けるとは、夫人のただならぬ意気込みが感じられる。
「お嬢様?」
「わかりました。今行きます」
澄乃は声を張って答え、写生帳を閉じた。
いったん切り上げて、訪問着の色合いを確かめよう。
母屋に引き返す澄乃の後ろで、赤い藪椿が冬の陽射しを静かに受け止めていた。
澄乃は受け取った訪問着を持って自室へ戻った。
衣桁に掛け、しばらく眺める。
青磁色の上品な訪問着だが、これだけだとややおとなしすぎる。
半襟で赤い椿を見せれば一気に華やぎが出るだろう。しかし、ただの椿ではなく雪持ち椿であることが肝要だ。花や葉に雪を載せれば色味の強さをほどよくやわらげられる。
考え方は間違っていないという確信があるのに、肝心の椿の輪郭がはっきりと頭に浮かばない。
(こんなあやふやな考えでは、下絵なんてとても描けないわ)
溜め息をついた澄乃は、己の頬を掌でぴたぴた叩き、ふたたび写生帳を持って庭へ出た。
結局、その日は満足のいく素描ができなかった。
椿のことばかり考えて上の空の澄乃に対し、朔也は何も言わなかった。彼は散歩から戻ると、部屋で読書をしたり、篤之の碁に付き合ったりして、静かに休日を過ごしていた。
夕食後、澄乃は挨拶もそこそこに自室へ引きこもり、机に肘をついて写生帳を何度もめくった。
反故紙に図案を描いては、気に入らなくて丸めて屑籠に放り込む。
いつしか屑籠がいっぱいになって、紙屑が床に散らばっていたが、それにも気付かない。
頬杖をつき、しかめ面で鉛筆をもてあそんでいると、扉が軽く敲かれた。澄乃は我に返って振り向いた。
「はい、どうぞ」
返事をすると静かに扉が開き、御召に羽織姿の朔也が戸口に姿を見せた。彼は外出時は仕事以外でも基本的に洋装だが、家では着物を好んでいる。
「邪魔をして申し訳ない。洋燈の油は足りていますか」
澄乃は写生帳をぱらぱらとめくった。
花も葉も正確に形は取れているが、ただ正確なだけに思える。
『あら、綺麗な椿ですこと』
それくらいで終わってしまうだろう。
篠田夫人が望むのは、その先の感嘆だ。もう一度見たいと思わせ、目を離せなくなる、華やぎ。
流行の薔薇に負けないくらい艶やかでありながら、毅然としている。
凛とした、孤高の美──。
澄乃は鉛筆を握る指に力を込めた。
掴めそうで、掴めない。
悔しい。
吐息をつき、澄乃はもう一度藪椿を見つめた。
赤い花は、冬の陽を受けて静かに咲いている。
充分に鮮やかでも、何かが足りない気がする。
いったい何が足りないのか……。
それがわからないことが、もどかしくてたまらなかった。
悩んでいると、渡り廊下のほうから佐和の声が聞こえてきた。
「お嬢様。篠田様から訪問着が届きました」
「……えっ、もう?」
思わず声に出てしまう。
昨日の今日で届けるとは、夫人のただならぬ意気込みが感じられる。
「お嬢様?」
「わかりました。今行きます」
澄乃は声を張って答え、写生帳を閉じた。
いったん切り上げて、訪問着の色合いを確かめよう。
母屋に引き返す澄乃の後ろで、赤い藪椿が冬の陽射しを静かに受け止めていた。
澄乃は受け取った訪問着を持って自室へ戻った。
衣桁に掛け、しばらく眺める。
青磁色の上品な訪問着だが、これだけだとややおとなしすぎる。
半襟で赤い椿を見せれば一気に華やぎが出るだろう。しかし、ただの椿ではなく雪持ち椿であることが肝要だ。花や葉に雪を載せれば色味の強さをほどよくやわらげられる。
考え方は間違っていないという確信があるのに、肝心の椿の輪郭がはっきりと頭に浮かばない。
(こんなあやふやな考えでは、下絵なんてとても描けないわ)
溜め息をついた澄乃は、己の頬を掌でぴたぴた叩き、ふたたび写生帳を持って庭へ出た。
結局、その日は満足のいく素描ができなかった。
椿のことばかり考えて上の空の澄乃に対し、朔也は何も言わなかった。彼は散歩から戻ると、部屋で読書をしたり、篤之の碁に付き合ったりして、静かに休日を過ごしていた。
夕食後、澄乃は挨拶もそこそこに自室へ引きこもり、机に肘をついて写生帳を何度もめくった。
反故紙に図案を描いては、気に入らなくて丸めて屑籠に放り込む。
いつしか屑籠がいっぱいになって、紙屑が床に散らばっていたが、それにも気付かない。
頬杖をつき、しかめ面で鉛筆をもてあそんでいると、扉が軽く敲かれた。澄乃は我に返って振り向いた。
「はい、どうぞ」
返事をすると静かに扉が開き、御召に羽織姿の朔也が戸口に姿を見せた。彼は外出時は仕事以外でも基本的に洋装だが、家では着物を好んでいる。
「邪魔をして申し訳ない。洋燈の油は足りていますか」
