大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

一夜明けた日曜、朝食を済ませた澄乃は、写生帳と鉛筆を持って庭に出た。

 吐く息が白い。飛び石には霜が消え残り、草履で踏むたびさくさく鳴った。

 朔也は篤之に付き添って散歩に行っている。父は落馬事故で身体が不自由になってから家に引きこもりがちだったが、近くを少し歩きませんかと朔也に誘われて以来、時折外出するようになった。

 澄乃が散歩に誘ったときは渋って出ようとしなかった。一人で出かけるのは億劫、かといって娘や女中に付き添われて外出するのも、年寄りじみて嫌──という心境だったのかもしれない。

 その点、婿なら散歩のお供にちょうどよい。加えて朔也が人目を惹く好男子であることも、実はまんざらではないようだ。今では日曜日の朝食後の散歩を楽しみにしている。

 庭を歩きながら、ふふっと澄乃は小さく思い出し笑いをした。朔也が来てから、この家は明るくなった。寡黙な人だし、陽気な性格とは言い難いのに、何故なのだろう。

 澄乃は離れの前を回って築山へ足を運んだ。そこには椿が植わっている。母が好きだった白侘助(わびすけ)と、赤い藪椿(やぶつばき)

 篠田伯爵夫人に依頼された半襟と手巾(ハンケチ)の図案を起こす前に、実際の椿をきちんと見ておかないと。

 まず、手前の白侘助の全体を眺めた。

 花は掌に収まってしまうほどの大きさで、純白の一重咲きだ。ぽつぽつと咲いてはいるものの、だいぶ枝が混んでいる。

 細い枝が絡み合い、日の当たらない部分の葉は茶色っぽくなっている。つぼみはまばらで、咲いている花も先端が傷んでちぢれていた。

 澄乃はしょんぼりと肩を落として椿を見つめた。

 思えば庭師が入らなくなってから、もう五年近くが経つ。

 建物は、朔也の指示で村瀬が屋根や雨戸の補修をしてくれたけれど、さすがに庭木の手入れまでは手が回らない。

 かつては母の好みに合わせて丁寧に刈り込まれていた枝が、今はすっかり伸び放題だ。

 気を取り直して写生帳を開くと、いちばん綺麗な花を選んで鉛筆で形を写し始めた。

 五弁の小ぶりな花からは芯の黄色が覗いている。蕊は短く、つつましい。

 鉛筆が、ふと止まる。

 今必要なのは植物画ではない。華やかな椿だ。

 篠田夫人が帝劇で身につける半襟と手巾(ハンケチ)にふさわしいものでなければ。

 白侘助は茶花としては大変好ましい。けれど、遠くから目を惹くものではない。

 澄乃はもう一度白侘助を眺めてから藪椿のほうへ足を向けた。

 真っ赤な花弁に黄色の蕊。つやつやした葉。いかにも『椿』という彩りだ。

 しかし、こちらも枝が伸び放題で花の質はいまひとつだった。足元には、半分開いただけで落ちてしまった花が散乱している。

 角度を変えて椿の花や葉、枝ぶりをひととおり写生すると、かがみ込んで落ちた花を拾い上げた。

 落ち椿の風情は、嫌いではない。

 緑の苔の上に赤い花が点々と転がる様は、どこか幻想的で、枝についている時とはまた違った美しさがある。

 けれど、それは篠田夫人が求める椿ではない。