大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

 じっと見返されて澄乃はきまりが悪くなった。

「立ち聞きするつもりはなかったのですが、つい、耳に入りまして……」

「なんでもありません」

 肯定も否定もしない言い方だが、口調は穏やかだった。

「そう、ですか」

 澄乃は目を伏せた。それ以上尋ねてはいけない気がした。

 拒絶されたと感じたわけではなく、踏み込むにはまだ朔也のことを知らなすぎる。

 会話の(いとぐち)が掴めないまま向き合っていると、佐和が遠慮がちに呼びかけた。

「夕餉の支度が整いました」

 朔也が頷いて澄乃を促した。

「行きましょう」

 澄乃はほっとした心持ちで頷き返した。

 食堂には久しぶりに天井の電気がついていた。擦り硝子越しに、やわらかな電灯が白いテーブルクロスをかけた食卓を照らしている。

 上座を挟んで左右の席に食器が整えられている。これまでは父の左手側に座っていたが、夫を迎えた今はどうするべきなのか。

 逡巡していると、篤之がステッキをついて食堂に入ってきた。

「待たせたか、すまんな」

 篤之は朔也に、左手側の席に着くよう手振りで示した。

 佐和が椅子を引き、悠然と篤之が上座に収まる。

 ほっとして右手側の席へ向かうと、朔也が無言で歩み寄り、ごく自然に椅子を引いた。

 一瞬、気後れしたが、会釈して腰を下ろした。

「ありがとうございます」

 朔也は軽く返礼すると自分の席に着いた。

 あまりに自然な動作だったので、かえってびっくりしてしまった。

 将校として、洋式の席にも慣れているのだろう。外地にいたこともあると聞いている。

 篤之は満足げに朔也を見やり、佐和に頷きかけた。

 控えていた佐和が給仕を始める。お櫃から布巾を外し、炊きたての御飯をよそい、各自の前に置いた。

「いただきます」

 篤之の言葉にふたりも唱和する。

 黒塗りの吸物椀の蓋を取ると、澄んだ出汁に浮いた手鞠麩(てまりふ)と三つ葉の香りがふわりと立ち上った。

 菊花かぶらの酢の物。こんがりと焼いて大根おろしを添えた(ぶり)の切り身。箸を入れるとほろりとほぐれ、脂の甘味が口中に広がった。

 旬のものはやはり美味しい。

 ここ数年は食費も切り詰めていたので、器は立派でも上に載っている魚は手頃な(さば)の切り身や(いわし)の丸干し、(あじ)の干物などが多かった。

 乏しい家計の中から佐和が懸命に遣り繰りしてくれたのだ。

 美味しそうに鰤を食べている父を見て澄乃は嬉しくなった。

 朔也への当惑はまだ消えていないけれど、この食卓を父に用意できたことだけは素直に感謝しなければ。

 向かいの朔也に目を向けると、彼は端正に箸を進めていた。祝言の時にも思ったが、元は武士だった旧家の出身だけあって、何をするにも折り目正しく所作が整っている。

 旧家の出というだけでなく、性格的なものなのだろう。軍人という職業も関係しているのかもしれない。

 佐和におかわりを頼む朔也を、篤之は好もしそうに眺めた。

 ねぎらいの口調で朔也に話しかける。

「今日は、いろいろと忙しかったろう。任せきりで申し訳ない」

「いえ」

 佐和から受け取った茶碗を置き、朔也は礼儀正しく篤之に目礼した。