有能すぎる押しかけ婿様に完全包囲されました

 夫人は嬉しそうに、帝劇へ行く話を繰り返した。

 舶来の刺繍に和の品格を見せつけるべく、澄乃に半襟と手巾(ハンケチ)を頼んでいることも。

「日本の芸術品は、欧羅巴(ヨーロッパ)亜米利加(アメリカ)の博覧会で大層な評判を取っていると言うじゃありませんか。ですからね、そういう洋物かぶれの皆様がたに、日本の素晴らしさを思い出させてあげなくてはと思いまして」

 夫人はどこまでも、悪意なく上から目線だ。

 彼女は媚を含んだ目を朔也に向けた。

「朔也様ならおわかりいただけますわね。お国のためにお勤めの方でいらっしゃいますもの」

「──帝劇へお出かけになるのは、十五日でしたか」

 持ち上げたつもりがあっさり無視されて、夫人はいささかムッとした。

「ええ、そうですけど?」

「半襟と手巾(ハンケチ)を揃いの意匠で、ということでしたね。図案から新しく起こして」

 夫人の視線を受け、澄乃は遠慮がちに頷いた。

「今回のご依頼内容ですと、そうなるかと」

「あら、そうなの?」

「篠田様のご希望は、よくある古典柄ではございませんし……」

「そんなのじゃつまらないわ! 帝劇にふさわしい、エレガントでモダーンなものでなくっちゃ」

 夫人は意気軒昂に胸を張る。

 朔也は淡々と続けた。

「なるほど。つまり、ご希望どおりのものを作るために必要な図柄と材料は、すべてこちらが用意させていただく……ということですな」

「ええ、すべて澄乃さんにおまかせしますわ。()()()()()()()

「では、価格は澄乃さんが決めてかまいませんね」

「……えっ?」

 篠田夫人は口ごもった。

 これまで夫人が依頼の場で具体的な金額を口にしたことは一度もない。いつだって『いつものように』で済ませてきた。女学校時代の澄乃に初めて頼んだときの、お礼に少し小遣いを渡すような感覚が、そのまま続いていたのかもしれない。

 夫人は口許をわずかに引き攣らせて笑みを浮かべた。

「あらあら。まるで商人(あきんど)みたいな仰りようですわね」

「失礼。兵站(へいたん)局で物資の調達に関わっておりますので」

「あら、でしたらなるべくお安く購入できたほうがよろしいのではなくて?」

「もちろんです。しかし、ものには適正な価格がある。安いだけで品質の悪いものを用いれば、軍では兵が死にます。品質と価格を適正な天秤にかけねばなりません」

 ぐ、と夫人は押し黙った。悔しげに睨まれても、朔也は眉ひとすじ動かさない。

「夫人がお求めなのは、単なる半襟と手巾(ハンケチ)ではないと思うのですが……」

「──は?」

「帝劇で、ご友人がたと集うとき、最も目を惹く品をお求めなのですよね。舶来品に対して和の品格で上回るもの。さらには夫人おひとりだけのために描き起こされた意匠。それが、今回のご注文の意図です。違いますか?」

「そ、そのとおりですわ」

 夫人は反発も忘れ、こくこくと頷いた。

「そのご期待に応えるためには、図案の独創性と、ご要望に合わせた材料の選定が必要です。しかも納期は十日足らず。常識的に考えて、材料費と少しばかりの手間賃では到底間尺に合わない。品質を保持した上で納品を急がせれば、当然それなりの追加料金がかかる。軍の物資調達でも同じことです」

 眉を上げ下げしながら、夫人は不機嫌そうにしばし思案していた。

 高い手間賃は払いたくないが、澄乃の刺繍は欲しい。

 澄乃の刺繍は欲しいが、呉服屋お抱えの刺繍職人に支払うほどのお金は出したくない。

 夫人がそんなふうに考えを巡らせているであろうことが、手にとるように澄乃にはわかった。

 思案の末、見栄と欲望が財布の紐の固さに勝ったらしい。夫人は溜め息まじりに頷いた。

「わかりましたわ。澄乃さんの言い値で支払いましょう。で、いかほど?」

 澄乃は言葉に詰まった。横目でそろりと朔也を窺う。彼はちらと澄乃を見ただけだったが、その目ははっきりと言っていた。

 自分で決めろ、と。

 澄乃は膝の上で拳を握った。決意して顔を上げる。

「材料費とは別に、図案料と急ぎの手間賃を頂戴したく存じます」

「結構ですわ。で、おいくら?」

 夫人は気短に急かした。こうなったからには、ここで金額をはっきりさせておきたいのだろう。それ以上は払うまいという気配が、ありありと見て取れた。

「じゅうえ……二十円、頂戴いたします……!」

 夫人の眉がぴくりと動く。

「……半襟と手巾(ハンケチ)で?」

「篠田様だけのために、お作りするものですから……」

 事実ではあるが、夫人の自尊心をくすぐったらしい。得意気な笑みが口の端に浮かんだ。

「でしたら仕方がありませんわね」

「材料費は、別です」

 傍らで朔也が恬淡と言い、夫人は横目で彼を睨んだ。

「別なの?」