大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

 十円札が三枚、五円札が一枚。合わせて三十五円。

『少し、ですか』

 ふと、橘少佐の声がよみがえった。責める響きはなく、ただ静かな声だった。

 その声を追い払うようにかぶりを振り、台所へ行く。佐和は篤之の白いワイシャツに電気アイロンを当てていた。

「佐和、これ」

 包み直した二十円を差し出す。

 アイロンを置いた佐和は懐紙を開いて目を瞠った。

「お嬢様──」

「お給金です。三か月分」

「これでは多すぎます」

「遅くなったお詫びよ」

「そのようなお気遣い、無用にございます」

「佐和には仕立て直しをしてもらってるでしょう。わたしがいただいた手間賃には当然、佐和の分も入っているわ」

 しばし沈黙し、佐和は懐紙に包まれた紙幣を押しいただいた。

「ありがとうございます、お嬢様」

 佐和の潤んだ瞳から目を逸らすように頷いて台所を出る。

 足早に二階の自室へ行くと、机の抽斗を開けた。奥から小さな手提げ金庫を取り出す。

 入っているのは十円札が一枚と一円札が三枚。そこに、十五円分の紙幣を丁寧に重ね、ふたたび抽斗の奥にしまい込んだ。

 なんとか年が越せそう……と安堵し、年内に祝言を挙げることを思い出して苦い笑みが浮かんだ。

 あの話がなければ、年は越せても後が続かなかったのだと、いやでも思い出してしまう。

 だからといって、素直に喜ぶことはどうしてもできなかった。



 夕方、橘少佐がふたたび訪れた。

 呼ばれて書斎へ行くと、父は机の上に広げられた何枚かの書類を代わる代わる手に取っては眺めていた。

 机の脇に立っていた少佐は澄乃を見ると慇懃に会釈した。

「役所が年末休みに入る前に、届出を済ませておかねばなりません」

「届け出?」

「婚姻届です」

 そっけない口調で少佐は言った。にわかに現実が押し寄せて、黙って指を握り込む。

「祝言は、二十八日に行ないます」

 事務的な口調だった。澄乃は思わず頭の中で日付を思い浮かべた。

 今日は……二十三日よね。ということは──。

「──五日後、ですか?」