しばし沈黙し、佐和は懐紙に包まれた紙幣を押しいただいた。
「ありがとうございます、お嬢様」
佐和の潤んだ瞳から目を逸らすように頷いて台所を出る。
足早に二階の自室へ行くと、机の抽斗を開けた。奥から小さな手提げ金庫を取り出す。
入っているのは十円札が一枚と一円札が三枚。そこに、十五円分の紙幣を丁寧に重ね、ふたたび抽斗の奥にしまい込んだ。
なんとか年が越せそう……と安堵し、年内に祝言を挙げることを思い出して苦い笑みが浮かんだ。
あの話がなければ、年は越せても後が続かなかったのだと、いやでも思い出してしまう。
だからといって、素直に喜ぶことはどうしてもできなかった。
夕方、橘少佐がふたたび訪れた。
呼ばれて書斎へ行くと、父は机の上に広げられた何枚かの書類を代わる代わる手に取っては眺めていた。
机の脇に立っていた少佐は澄乃を見ると慇懃に会釈した。
「役所が年末休みに入る前に、届出を済ませておかねばなりません」
「届け出?」
「婚姻届です」
そっけない口調で少佐は言った。にわかに現実が押し寄せて、黙って指を握り込む。
「祝言は、二十八日に行ないます」
事務的な口調だった。澄乃は思わず頭の中で日付を思い浮かべた。
今日は……二十三日よね。ということは──。
「──五日後、ですか?」
「急がせて申し訳ない」
その言葉に嘘はないのだろうが、だからといって日取りを改めるつもりもないらしい。
書類を置いた篤之は考え込むように呟いた。
「母屋の座敷が使えるな。襖を外せば──」
「あの。離れではいけませんか」
思わず口をはさんでしまう。父は怪訝そうな顔になった。
「離れか」
「お母様が、お好きだった場所ですので……。できましたら」
そう言うと、篤之は合点した様子で頷いた。
「そうだな。綾子も喜ぶだろう。──かまわんかね? やや手狭になるが」
問われた朔也は表情を変えることなく頷いた。
「差し支えありません。内々の祝言ですから」
相変わらず、婿入りしようという人とは思えない口ぶりだ。
「必要なものがあれば、こちらで手配します」
「いや、家にあるものでなんとかなる」
父の声音は静かだが、どこか苦い響きがあった。
下がってよいと父に言われ、澄乃は一礼して書斎を出た。
冷え冷えとした廊下を静かに歩む。
二十八日に祝言。
あと、五日。
やはり他人事みたいに思えてしまう。
現実感は、かえって日増しに遠のいてゆくようだった。
「ありがとうございます、お嬢様」
佐和の潤んだ瞳から目を逸らすように頷いて台所を出る。
足早に二階の自室へ行くと、机の抽斗を開けた。奥から小さな手提げ金庫を取り出す。
入っているのは十円札が一枚と一円札が三枚。そこに、十五円分の紙幣を丁寧に重ね、ふたたび抽斗の奥にしまい込んだ。
なんとか年が越せそう……と安堵し、年内に祝言を挙げることを思い出して苦い笑みが浮かんだ。
あの話がなければ、年は越せても後が続かなかったのだと、いやでも思い出してしまう。
だからといって、素直に喜ぶことはどうしてもできなかった。
夕方、橘少佐がふたたび訪れた。
呼ばれて書斎へ行くと、父は机の上に広げられた何枚かの書類を代わる代わる手に取っては眺めていた。
机の脇に立っていた少佐は澄乃を見ると慇懃に会釈した。
「役所が年末休みに入る前に、届出を済ませておかねばなりません」
「届け出?」
「婚姻届です」
そっけない口調で少佐は言った。にわかに現実が押し寄せて、黙って指を握り込む。
「祝言は、二十八日に行ないます」
事務的な口調だった。澄乃は思わず頭の中で日付を思い浮かべた。
今日は……二十三日よね。ということは──。
「──五日後、ですか?」
「急がせて申し訳ない」
その言葉に嘘はないのだろうが、だからといって日取りを改めるつもりもないらしい。
書類を置いた篤之は考え込むように呟いた。
「母屋の座敷が使えるな。襖を外せば──」
「あの。離れではいけませんか」
思わず口をはさんでしまう。父は怪訝そうな顔になった。
「離れか」
「お母様が、お好きだった場所ですので……。できましたら」
そう言うと、篤之は合点した様子で頷いた。
「そうだな。綾子も喜ぶだろう。──かまわんかね? やや手狭になるが」
問われた朔也は表情を変えることなく頷いた。
「差し支えありません。内々の祝言ですから」
相変わらず、婿入りしようという人とは思えない口ぶりだ。
「必要なものがあれば、こちらで手配します」
「いや、家にあるものでなんとかなる」
父の声音は静かだが、どこか苦い響きがあった。
下がってよいと父に言われ、澄乃は一礼して書斎を出た。
冷え冷えとした廊下を静かに歩む。
二十八日に祝言。
あと、五日。
やはり他人事みたいに思えてしまう。
現実感は、かえって日増しに遠のいてゆくようだった。
