大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

「なんでしょうか」

「わたくしは、仕事として刺繍をいたしております。手(すさ)びではございません。対価をいただいて、お引き受けしております。結婚してもその仕事をこれまでどおり続けたく存じます」

 橘少佐は目を瞬いた。

「それは、私が許可する筋合いではないと思いますが」

「……はい?」

「あなたの仕事は、あなた自身が決めること。あれこれ指図するつもりはありません」

 澄乃は面食らって少佐を眺めた。

 彼はしごく真面目な顔つきだ。

 澄乃の機嫌を取っているわけではないらしい。

 彼はもう一口茶を飲んで、澄乃に目を戻した。

「他にご要望は。若輩の身ですが、できる限りのことはいたします」

「……いえ、それだけです」

 気を呑まれた態で澄乃は答えた。

 少し間が空いた。

 息苦しさを覚える寸前、少佐が考え深げな声音で尋ねた。

「失礼を承知で、ひとつ伺ってもよろしいか」

「はい」

「その仕事──刺繍の仕事は、どのように受けているのですか。馴染みの呉服店からの紹介ですか」

「それもありますが、大抵は以前からお付き合いのあるご家庭の奥様や、お嬢様がたからのご依頼です」

「仕事というからには、当然代金は受け取られていますね?」

「もちろんです」

「いかほど」

 澄乃は少し言葉に詰まった。

「……使用した材料の実費と、手間賃を少し」

「少し、ですか」

「皆様、昔からよくしてくださる方々ばかりですので……」

 橘少佐は何か言いたそうに眉根を寄せたが、結局呟くように「そうですか」と口にしただけだった。

 父が、こほんと咳払いをする。

「他に聞きたいことはあるかね?」

「いえ、これで十分です」

 彼はきっぱりと答えた。

 父の目線を受け、澄乃は黙ってかぶりを振る。

「それでは、今日はこれで。すぐに返済手続きに入ります。年内には式を挙げたい。ごく内々のものでかまいません」

「……え?」

 立ち上がった少佐を、唖然と澄乃は見上げた。

 年内に挙式? 今日はもう──十二月の二十日なのだけど……!?