「また道明さんは。すぐそうやって揶揄うんだから」
「揶揄ってなんかいませんよ」
優しく睨まれて道明は照れ笑いをする。
一方、しげしげと観察するように半襟を眺めていた修治郎はぼそりと呟いた。
「これはまた、たいそう手の込んだ品物ですな」
その言葉に潜む棘を、澄乃は敏感に察した。
どうして非難されるのかがわからなくてとまどっていると、朔也が静かに返した。
「兄さん。それは買ったのではなく、澄乃さんが手ずから繍ったものですよ」
修治郎は面食らい、聡子は目を輝かせた。
「まぁ、澄乃さんがご自分で? すごい腕前ですわね。本職の刺繍職人さんに引けをとりませんわ。てっきりお店で買ったのだとばかり」
それを聞いて、すっと胸に落ちた。
修治郎がおもしろくなさそうな顔をしたのは、澄乃が朔也のお金で高価な半襟を買い、義姉への贈り物にしたと思ったからに違いない。
一条家が困窮の極みにあったことは、修治郎も承知していたはず。
一六八銀行は筆頭債権者だったのだから。
「これほどのものをご自分で作ってしまわれるなんて素晴らしいわ。ね、あなたもそうお思いでしょう?」
ウキウキと妻に同意を求められ、修治郎は気まずそうな顔で口ごもった。
「そ、そうだな。うん、実に立派なものだ」
「義姉さん、それ、今度のお茶の集まりに着けていったらいいですよ」
「そうね、そうするわ」
道明の勧めに聡子は嬉しそうに頷き、にっこりと澄乃に笑いかけた。
「澄乃さん、ありがとう存じます」
「お気に召していただけて、嬉しいですわ」
ホッとして澄乃は微笑んだ。
折よく給仕たちが現れた。
ひとりが銀のスープ入れを持ち、もうひとりが蓋を開けると湯気とともに美味しそうな匂いが立ち上った。
三人目が銀の長柄杓子で各自のスープ皿にコンソメスープを静かに注いでいく。
久々の洋食なので少し緊張したが、手順に迷うほどではない。
子どもの頃には洋食を作れる料理人が家にいたし、女学校でも改めてお作法を学んだ。
久しぶりのコンソメスープはとても美味しかった。
父にもこういうものを飲ませたい。
自分で作れるだろうか。
スープ皿が下げられると、修治郎は白い布ナフキンで軽く口許をぬぐい、斜め向かいの朔也に目を向けた。
「しばらく顔を見なかったが、変わりないか」
「問題ありません」
淡々と朔也が返答すると、修治郎はフンと鼻息をついた。
「おまえの『問題ない』は昔から当てにならん」
給仕がサラダを運んできて会話が途切れる。
硝子の器に盛られたサラダにはレタスの上に胡瓜と蕪の薄切りが乗り、酸味のある白いソースがかかっている。
「朔也兄さんは、昔からこうなんですよ」
サラダを口に運びながら道明が言い出した。
「熱が出ても『問題ない』、怪我をしても『支障ない』。本人が平然としてるもんだから、いっそう周りは慌てるんです」
「問題があるなら、はっきり言う」
「これだもんなぁ」
はぁっと道明は嘆息し、訴えるように澄乃を見た。
「こういう人なので、朔也兄さんの言うことは義姉さんも信用しすぎないほうがいいですよ」
突然の『義姉さん』呼びに思わず目を瞠る。
修治郎がたしなめた。
「初対面でなれなれしいぞ」
「いや、僕は二回目なんで。あ、すみません。まだ早かったですかね」
澄乃は急いでかぶりを振った。
「いいえ、そんなことは。そんなふうに呼ばれたことがないので、少し驚いてしまって……」
聡子が取り持つように微笑む。
「道明さんは末っ子で、まだ学生だから子どもっぽいところがおありなの。悪気はありませんのよ」
「甘えているだけだ。二十五にもなって」
容赦ない長兄の言葉に、道明はしゅんと肩をすぼめた。
続いて白身魚のバター焼きが運ばれてきた。
淡い焼き色のついた魚に刻んだパセリが散らされている。
グラスに白葡萄酒が注がれた。
澄乃はやわらかな舌平目にナイフを入れながら尋ねた。
「道明さんは医学校に通われているのでしたね」
「ええ、千駄木の東都医専です。うちは湯島なんで、近くて便利なんですよ」
「近いからとぎりぎりまで寝ているから、しょっちゅう遅刻するんだ。今度落第したら郷里に送り返すぞ」
「こんな時までお説教は勘弁してくださいよ」
情けない顔で懇願され、修治郎は肩をすくめた。
フフと隣で聡子が笑っている。
しょっちゅうこんな遣り取りが繰り返されているのだろう。
魚料理の次は仔牛のカツレツが出た。
薄く叩き伸ばした牛肉にパン粉をつけて揚げ焼きにしたもので、付け合わせは馬鈴薯と人参だ。
道明はこれが好物らしく、待ってましたとばかりにナイフとフォークを掴んだ。
修治郎は赤葡萄酒を飲みながらカツレツを口に運んでいたが、やがて低い声音で言い出した。
目許がほんのり赤らんでいる。
少し酔ったのかもしれない。
「朔也。おまえ、今回の件で父上のご機嫌をひどく損ねたと、わかっているのだろうな」
「もちろんわかっています」
平然と朔也は答えた。
兄と違って彼の目許は相変わらず涼しげだが、声色にはやや無遠慮な響きが感じられる。
澄乃はグラスから赤葡萄酒をちょっぴり口に含んだ。
お酒は強くないので食事の合間にほんの少ししか飲んでいない。
道明はすでにカツレツを完食し、パンにバターを塗り付けている。
隣の聡子はもう満腹のようで、室内に給仕がいないことを確かめると道明に耳打ちし、半分残ったカツレツの皿をそっと押しやった。
嬉しそうに道明は皿を取り替えて食べ始めた。
思わず澄乃は自分の皿を見た。
残っている量は聡子よりは少ないが、これ以上は食べられそうにない。
朔也の横顔を窺っていると、視線に気付いて澄乃を見た。
おずおずと目線でカツレツを示すと、彼は頷いて皿を交換してくれた。
ホッとしてパンに手を伸ばす。
朔也は背が高いだけでなく、軍人らしく鍛えられた体格をしている。
朝は竹刀を持って庭に出て、半刻ほどの素振りを欠かさない。
食事量も体格相応だ。
修治郎は、妻の残りを平然と口にする朔也を渋い顔で見やり、また一口赤葡萄酒を飲んだ。
「……ふん。本当にわかっているのか怪しいものだ。
父上は少佐の昇進祝いにと、おまえにご自分の自動車を譲っただろう。まだ二年ほどしか乗っていない、お気に入りだったのに」
「揶揄ってなんかいませんよ」
優しく睨まれて道明は照れ笑いをする。
一方、しげしげと観察するように半襟を眺めていた修治郎はぼそりと呟いた。
「これはまた、たいそう手の込んだ品物ですな」
その言葉に潜む棘を、澄乃は敏感に察した。
どうして非難されるのかがわからなくてとまどっていると、朔也が静かに返した。
「兄さん。それは買ったのではなく、澄乃さんが手ずから繍ったものですよ」
修治郎は面食らい、聡子は目を輝かせた。
「まぁ、澄乃さんがご自分で? すごい腕前ですわね。本職の刺繍職人さんに引けをとりませんわ。てっきりお店で買ったのだとばかり」
それを聞いて、すっと胸に落ちた。
修治郎がおもしろくなさそうな顔をしたのは、澄乃が朔也のお金で高価な半襟を買い、義姉への贈り物にしたと思ったからに違いない。
一条家が困窮の極みにあったことは、修治郎も承知していたはず。
一六八銀行は筆頭債権者だったのだから。
「これほどのものをご自分で作ってしまわれるなんて素晴らしいわ。ね、あなたもそうお思いでしょう?」
ウキウキと妻に同意を求められ、修治郎は気まずそうな顔で口ごもった。
「そ、そうだな。うん、実に立派なものだ」
「義姉さん、それ、今度のお茶の集まりに着けていったらいいですよ」
「そうね、そうするわ」
道明の勧めに聡子は嬉しそうに頷き、にっこりと澄乃に笑いかけた。
「澄乃さん、ありがとう存じます」
「お気に召していただけて、嬉しいですわ」
ホッとして澄乃は微笑んだ。
折よく給仕たちが現れた。
ひとりが銀のスープ入れを持ち、もうひとりが蓋を開けると湯気とともに美味しそうな匂いが立ち上った。
三人目が銀の長柄杓子で各自のスープ皿にコンソメスープを静かに注いでいく。
久々の洋食なので少し緊張したが、手順に迷うほどではない。
子どもの頃には洋食を作れる料理人が家にいたし、女学校でも改めてお作法を学んだ。
久しぶりのコンソメスープはとても美味しかった。
父にもこういうものを飲ませたい。
自分で作れるだろうか。
スープ皿が下げられると、修治郎は白い布ナフキンで軽く口許をぬぐい、斜め向かいの朔也に目を向けた。
「しばらく顔を見なかったが、変わりないか」
「問題ありません」
淡々と朔也が返答すると、修治郎はフンと鼻息をついた。
「おまえの『問題ない』は昔から当てにならん」
給仕がサラダを運んできて会話が途切れる。
硝子の器に盛られたサラダにはレタスの上に胡瓜と蕪の薄切りが乗り、酸味のある白いソースがかかっている。
「朔也兄さんは、昔からこうなんですよ」
サラダを口に運びながら道明が言い出した。
「熱が出ても『問題ない』、怪我をしても『支障ない』。本人が平然としてるもんだから、いっそう周りは慌てるんです」
「問題があるなら、はっきり言う」
「これだもんなぁ」
はぁっと道明は嘆息し、訴えるように澄乃を見た。
「こういう人なので、朔也兄さんの言うことは義姉さんも信用しすぎないほうがいいですよ」
突然の『義姉さん』呼びに思わず目を瞠る。
修治郎がたしなめた。
「初対面でなれなれしいぞ」
「いや、僕は二回目なんで。あ、すみません。まだ早かったですかね」
澄乃は急いでかぶりを振った。
「いいえ、そんなことは。そんなふうに呼ばれたことがないので、少し驚いてしまって……」
聡子が取り持つように微笑む。
「道明さんは末っ子で、まだ学生だから子どもっぽいところがおありなの。悪気はありませんのよ」
「甘えているだけだ。二十五にもなって」
容赦ない長兄の言葉に、道明はしゅんと肩をすぼめた。
続いて白身魚のバター焼きが運ばれてきた。
淡い焼き色のついた魚に刻んだパセリが散らされている。
グラスに白葡萄酒が注がれた。
澄乃はやわらかな舌平目にナイフを入れながら尋ねた。
「道明さんは医学校に通われているのでしたね」
「ええ、千駄木の東都医専です。うちは湯島なんで、近くて便利なんですよ」
「近いからとぎりぎりまで寝ているから、しょっちゅう遅刻するんだ。今度落第したら郷里に送り返すぞ」
「こんな時までお説教は勘弁してくださいよ」
情けない顔で懇願され、修治郎は肩をすくめた。
フフと隣で聡子が笑っている。
しょっちゅうこんな遣り取りが繰り返されているのだろう。
魚料理の次は仔牛のカツレツが出た。
薄く叩き伸ばした牛肉にパン粉をつけて揚げ焼きにしたもので、付け合わせは馬鈴薯と人参だ。
道明はこれが好物らしく、待ってましたとばかりにナイフとフォークを掴んだ。
修治郎は赤葡萄酒を飲みながらカツレツを口に運んでいたが、やがて低い声音で言い出した。
目許がほんのり赤らんでいる。
少し酔ったのかもしれない。
「朔也。おまえ、今回の件で父上のご機嫌をひどく損ねたと、わかっているのだろうな」
「もちろんわかっています」
平然と朔也は答えた。
兄と違って彼の目許は相変わらず涼しげだが、声色にはやや無遠慮な響きが感じられる。
澄乃はグラスから赤葡萄酒をちょっぴり口に含んだ。
お酒は強くないので食事の合間にほんの少ししか飲んでいない。
道明はすでにカツレツを完食し、パンにバターを塗り付けている。
隣の聡子はもう満腹のようで、室内に給仕がいないことを確かめると道明に耳打ちし、半分残ったカツレツの皿をそっと押しやった。
嬉しそうに道明は皿を取り替えて食べ始めた。
思わず澄乃は自分の皿を見た。
残っている量は聡子よりは少ないが、これ以上は食べられそうにない。
朔也の横顔を窺っていると、視線に気付いて澄乃を見た。
おずおずと目線でカツレツを示すと、彼は頷いて皿を交換してくれた。
ホッとしてパンに手を伸ばす。
朔也は背が高いだけでなく、軍人らしく鍛えられた体格をしている。
朝は竹刀を持って庭に出て、半刻ほどの素振りを欠かさない。
食事量も体格相応だ。
修治郎は、妻の残りを平然と口にする朔也を渋い顔で見やり、また一口赤葡萄酒を飲んだ。
「……ふん。本当にわかっているのか怪しいものだ。
父上は少佐の昇進祝いにと、おまえにご自分の自動車を譲っただろう。まだ二年ほどしか乗っていない、お気に入りだったのに」
