身上書をたたみ、机にそっと置く。
「どう思う?」
父の問いに、澄乃は静かに繰り返した。
「大変ご立派な経歴です」
そう、立派すぎる。
今の一条家の婿としては、あまりにも。
篤之は居心地悪そうに身じろぎし、座れと手振りで示した。
澄乃は応接用のソファに浅く腰掛けた。
父はステッキをついて立ち上がり、机のこちら側に回って軽くもたれた。
「昨日も話していて感じたが、悪い男ではないと思う」
澄乃は黙ったままでいた。
悪人ではない、という意味なら確かにそうだろう。
かたくなな娘の表情に、篤之はかすかな溜め息を洩らした。
「決めるのはおまえだ。ただ、今の私には、これ以上の縁談を用意してやれない。すまない、澄乃」
澄乃は驚いて顔を上げた。
「お父様が詫びられるようなことではございません」
「おまえには、天下一の夫を取ってやるつもりだった。おまえが生まれたときに、そう決めたのだ。嫁入りでも婿取りでも、誰より立派な、最高の相手を……と」
澄乃は絶句し、机の上に置かれた身上書を見た。
父と母がともに壮健で、一条家が昔のように華やいでいたら。
そのような時に橘少佐が婿入りを望んだとしたら、父は撥ねつけたのだろうか。
伯爵令嬢にはふさわしくない、と。
何が『立派』で、何が『最高』なのだろう。
それは、その時々の経済状況で変わるようなものなのだろうか。
自分を見つめていた橘少佐の凛としたまなざしを、澄乃は思い浮かべた。
少なくとも、あのまなざしは野卑ではなかった。
下劣でもなければ、ただ人を値踏みするような計算高さも感じなかった。
身上書を見ても、彼が没落華族に婿入りしたがる理由は、やはりわからなかった。
財産目当てでないのは確かだ。
かといって社会的地位や権威を欲しているのかと言うとそれも違う。
理由は、きっとあるのだろう。
橘少佐にとって、何かとても大切な理由。
借財を肩代わりしてまで一条家に婿入りしようという、切実な理由が。
そして澄乃には、なんとしても守りたいものがある。
ならば……取り引きの余地はある。
澄乃は立ち上がり、父に軽く頭を下げた。
「橘様は、またいらっしゃると仰いました。お返事はそのとき直接申し上げたいと思います。よろしいでしょうか」
「もちろんだ」
篤之は、複雑そうな微笑を浮かべて頷いた。
澄乃はもう一度頭を下げ、静かに書斎を出た。
作業部屋に戻り、正座してふたたび針を持つ。
繍い終えた南天の赤い実を見つめ、澄乃はゆっくりと絹地に針を刺した。
難を転ずる。
そう、自分自身で。
それが、どれほど零落しようと絶対に手放せない、澄乃の矜持だった。
「どう思う?」
父の問いに、澄乃は静かに繰り返した。
「大変ご立派な経歴です」
そう、立派すぎる。
今の一条家の婿としては、あまりにも。
篤之は居心地悪そうに身じろぎし、座れと手振りで示した。
澄乃は応接用のソファに浅く腰掛けた。
父はステッキをついて立ち上がり、机のこちら側に回って軽くもたれた。
「昨日も話していて感じたが、悪い男ではないと思う」
澄乃は黙ったままでいた。
悪人ではない、という意味なら確かにそうだろう。
かたくなな娘の表情に、篤之はかすかな溜め息を洩らした。
「決めるのはおまえだ。ただ、今の私には、これ以上の縁談を用意してやれない。すまない、澄乃」
澄乃は驚いて顔を上げた。
「お父様が詫びられるようなことではございません」
「おまえには、天下一の夫を取ってやるつもりだった。おまえが生まれたときに、そう決めたのだ。嫁入りでも婿取りでも、誰より立派な、最高の相手を……と」
澄乃は絶句し、机の上に置かれた身上書を見た。
父と母がともに壮健で、一条家が昔のように華やいでいたら。
そのような時に橘少佐が婿入りを望んだとしたら、父は撥ねつけたのだろうか。
伯爵令嬢にはふさわしくない、と。
何が『立派』で、何が『最高』なのだろう。
それは、その時々の経済状況で変わるようなものなのだろうか。
自分を見つめていた橘少佐の凛としたまなざしを、澄乃は思い浮かべた。
少なくとも、あのまなざしは野卑ではなかった。
下劣でもなければ、ただ人を値踏みするような計算高さも感じなかった。
身上書を見ても、彼が没落華族に婿入りしたがる理由は、やはりわからなかった。
財産目当てでないのは確かだ。
かといって社会的地位や権威を欲しているのかと言うとそれも違う。
理由は、きっとあるのだろう。
橘少佐にとって、何かとても大切な理由。
借財を肩代わりしてまで一条家に婿入りしようという、切実な理由が。
そして澄乃には、なんとしても守りたいものがある。
ならば……取り引きの余地はある。
澄乃は立ち上がり、父に軽く頭を下げた。
「橘様は、またいらっしゃると仰いました。お返事はそのとき直接申し上げたいと思います。よろしいでしょうか」
「もちろんだ」
篤之は、複雑そうな微笑を浮かべて頷いた。
澄乃はもう一度頭を下げ、静かに書斎を出た。
作業部屋に戻り、正座してふたたび針を持つ。
繍い終えた南天の赤い実を見つめ、澄乃はゆっくりと絹地に針を刺した。
難を転ずる。
そう、自分自身で。
それが、どれほど零落しようと絶対に手放せない、澄乃の矜持だった。
