大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~

「いいえ。瀬田様には大変よいご提案をいただきました。ただ……その後、篠田夫人と昼食を摂っていると……冴子様がお見えになって。篠田夫人は先にお帰りになって、冴子様と百貨店を見て回ったのですけれど……」

 朔也の眉間が険しくなる。

「何を言われたのです」

 澄乃はためらい、おずおずと口にした。

「朔也さんは、義務的にこの屋敷に帰って来ているだけではないかと。その……わたしたちが戸籍上の夫婦にすぎないと、察したようで……」

 羞恥心で言葉が尻すぼみになり、赤らんだ頬を隠すように深くうつむく。ふと、朔也が膝の上で拳を握りしめるのが見えた。腱が浮き上がり、皮膚が白っぽくなるほどに、強く。

 はっとして顔を上げると、朔也は憤怒の形相で歯を食いしばっていた。

「……勘違いも甚だしい。あなたを侮辱する権利など、あの婦人(おんな)にはない。誰にも、ない……!」

 侮辱。

 そうか、自分は侮辱されたのか。そのことを、今になって鮮明に自覚した。あのときは、どうしてだか、自分が悪いように感じてしまった。

 朔也が怒っている。澄乃が侮辱されたと、怒っているのだ。それは彼が澄乃を大切に想っているからこそ──のはず。

 彼は憤激を湛えた瞳で澄乃を見据えた。

「私はあなたを守ると誓った。あなたと、あなたが大切にしているものすべてを。それは私がそうしたいからで、義務感からではない。決してそうではありません。あなたが大切だから──」

 朔也はふいに言葉を切り、顔をゆがめて絞り出すように呟いた。

「──いつまでも、待とうと決めた。あなたが私を信頼してくれるまで」

 澄乃は絶句し、激情を秘めた朔也の瞳を見つめた。

 手を伸ばし、握りしめられた彼の拳にそっと触れる。びくりと彼が身じろぎした。澄乃は彼の拳を両手で包んだ。

「とうに、信頼しております……」

 朔也は放心したように澄乃を見返した。まるで、知らない外国語でも聞いたかのように。

 澄乃は微笑み、彼の手を引き寄せ、自分の頬にそっと押し当てた。

「あなたの手が、どんなに優しいか。とうに気付いておりました。なのに、冴子様に揶揄されて、きまりが悪くなってしまって……。あなたが辛抱強く待ってくれているのだとわかっていながら、距離を置かれているのが自分に何か足りないせいのように思えてしまって」