放課後の調理室は、甘い甘い香りで満たされている。
オーブンから漂う、バターが焦げた香ばしい匂い。こういう焼き立ての香り、お菓子をつくる醍醐味だと思う。
今日のスイーツ部のメニューは「砂糖控えめだけどめちゃくちゃおいしいマドレーヌ」だった。
少し冷ましてる間に、調理器具をせっせと洗っていると、後ろから声を掛けられる。
「澪ちゃん、今日も彼氏にお届け?」
「健気だねぇ~」
オレは岸村 澪。高校一年。スイーツ部唯一の男子部員。
そのオレをからかうことを趣味にしている部長の愛梨先輩と、若菜先輩の声に、ぴく、と反応しながらも、オレは最後の洗い物を済ませて、水を止めてから振り返った。
「だから彼氏じゃないですってば」
「でも大好きなんでしょ~」
「大好きじゃ無かったら、毎回持っていったりしないよねえ?」
「…………」
はあ。とため息。
周りの部員たちも皆、くすくす笑ってる。
どれだけ否定しても、オレが幼馴染の黒内 翔斗を好きなことが、公然の秘密みたいになっている。……もう半分諦めているけど。
「澪、もう冷めたよ~ラッピングしたら?」
たぶんお助けの声かけは、クラスも一緒の陽菜だった。返事をしながら陽菜のいるところに歩く。
粗熱のとれたマドレーヌを袋にいれて、マスキングテープでとめていく。もうすぐ翔斗に食べさせられると思うと、わくわくしてきて、顔がほころんでしまう。ふと気づくと、陽菜がニヤニヤオレを見ていた。
「澪、分かりやすいよねえ」
「……何が」
「もうすぐ翔斗にあげられる~とか思ってたでしょ」
「……思ってないし、別に」
あまりに図星すぎて認めるのはちょっと嫌で、オレはそう返したのだけれど、陽菜は、ふふっと笑って肩を竦めた。
「翔斗くん、めっちゃモテるのに誰とも付き合わないのって、そういうことだと思うんだけどなぁ。こないだも、めっちゃ可愛い子に告られてたけど、その場で断ったみたいだよ」
「え。そうなの?」
「告られたの知らなかった?」
「うん。 ……ていうか、よくあることだから」
本当によくある。小学校から一緒にいるけど、告られた数なんか数えきれないくらいで。
「カッコいいし、サッカーも強豪のうちで、1年でレギュラーだし、頭もいいし、人気者、とか――漫画の主人公みたいだもんね」
「……ほめすぎじゃない?」
もしかして陽菜も、実は、翔斗のこと……。
ポニーテールの似合う、小柄で可愛い陽菜をちらっと見てしまうけれど、オレはすぐにマドレーヌに視線を戻した。
「あっ違うから。私は澪の好きなひと、奪ったりしないからね! それに私は、あんまりイケメンすぎるのはちょっとー」
そんなこと言いながら、陽菜はあははっと笑った。
「かわいーなあ、澪。私なんかにヤキモチ妬かなくて大丈夫なのにー」
くすくす笑ってる陽菜に「ヤキモチじゃないし」と言って、ビニールに入れたマドレーヌを紙袋に詰めた。
「じゃあお先に!」
「嬉しそ~」
「行ってらっしゃーい」
皆のからかうような笑顔などもうどうでもいい。
翔斗のとこに向かうのがただ嬉しい。――まあどうせ。オレが翔斗を好きなの、皆は知ってるけど、部活以外では郊外しないでくれているのも、分かっているから、どうでもいいって言ってるのだけど。
調理室から出たオレは、階段を軽やかに駆け下りていく。靴を履いて、サッカー部の練習場所へと駆けだした。
グラウンドに降りるコンクリートの階段の端に、オレは腰を下ろした。
頬杖をつきながら見下ろす先では、夕焼けのオレンジ色に染まったグラウンドを誰より元気に駆けまわっているのは、オレの小学校からの幼馴染の、黒内翔斗。
高校に入ってクラスは違ってしまったけれど、家が近いので、いつも一緒に帰るのは変わらない。それは、小学校からずっとだし。自他ともに認める、親友、でもある。
遠くに聞こえる、スパイクの音。ボールを蹴る音。お互いを呼ぶ声。
その全部の中心に、翔斗がいる。誰よりも楽しそうに笑ながら、生き生きと、サッカーをしている。
額の汗をぬぐう動作とか、全力でボールを追いかけるのを見ていると、胸の奥が妙に熱くなる。
ほんと――どうしようもなく、カッコいい。
恋なのかすら分からないような小学生のときからずっと翔斗のことだけが好きなまま、ここまで来てしまった。
翔斗がドリブルで相手を抜いた。わっと歓声が上がる。そのまま、迷いもなくゴール前に切り込み、その勢いのままシュートを放つ。
キーパーは止められず、ゴールのネットが揺れた。わっと歓声が゛上がって、翔斗は眩しいくらいに笑っている。
先輩たちに、背中を叩かれて、めっちゃ笑顔で頷いている。
一年でレギュラーを取っても、やっかまれることなく仲もいいみたい。
……ていうか、翔斗はいつも、誰にでも、好かれる。
さっきの陽菜の言葉が、頭によぎる。
カッコいいし、サッカーも強豪のうちで、1年でレギュラーだし、頭もいいし、人気者。
……うん。合ってるなあ。とは思うのだけれど。けどもういっこ、足しときたい。
――そんな風にすごいのに。
翔斗は誰よりも優しくて、いいやつなのだ。
そんな風な、べた惚れ一直線なことを想っていると、ふっと翔斗がこっちを向いた。
めっちゃ笑顔の翔斗は、オレに向けて、手を小さく振った。
……なんだか、喉が、かすかに鳴った。胸がきゅっと、しめつけられる。
……かっこよ。
ぽつりと漏れた声は、誰にも届かない。
けれど、オレだけは。
自分の胸が今どんなふうに騒いでいるのか、嫌というほど分かってしまっていた。
◆◇◆
サッカー部が終わり解散すると、翔斗がオレめがけて、駆け寄ってくる。
……この瞬間が、生きてて一番、好きだってオレは思ってる。
お菓子作りが趣味の母さんの影響で、小学生のころから俺にとっての趣味は、お菓子を作ることだった。
すぐ泣いてしまう泣き虫なオレと、勉強も運動も万能な翔斗。
でこぼこすぎるオレたちはなぜか気が合って、周りが不思議に思うほどいつも一緒にいた。
何で仲良しなの? という周囲の不思議そうな問いかけも、もう聞き慣れすぎて、傷つくことすらなくなった。
翔斗は、オレが作るお菓子が大好きだ。
もしかしたら、オレのお菓子が食べたくてオレといるのだったりして……と思うくらい。
趣味とはいえ、高校でわざわざスイーツ部に入るのとは、ちょっとわけが違う。帰宅部でいいかな~とやる気のなかったオレが、女子ばかりの部室で週一回お菓子作りに勤しんでいるのは、すべて翔斗のためだ。
昔から甘党で、「太りたくないし、あんまり甘いものは食べちゃダメなんだよな~」とか言いながら、オレのおやつを食べてた翔斗だったけど、高校でレギュラーになってサッカーを本気でやってる翔斗にとっては砂糖の摂りすぎは、ほんとに禁物になるみたい。
そんな折、部活紹介で「甘くないけど美味しいスイーツ」を研究しているというスイーツ部の存在を知った。
こんなのあるんだ、と思っていたオレの横で、「スイーツ部に入って、オレのために作ってよ」と翔斗が言った。
――もう、迷う理由なんてなかった。
男子はオレ一人。女子の中でスイーツづくりに勤しんでいるのも、翔斗のため。
「澪、おまたせ! すげー腹減った! 」
キラキラな笑顔でそう言うと、翔斗はオレの隣に座った。――近い。ドキ、と心臓が揺れる。
翔斗のことが、大好きだけど、まさか言えないし、そういう意味では、うまくいくわけがないと思っている。
だから、オレが作ったもの、おいしいって食べてくれるだけで、嬉しい。それだけでいい。
「今日もうまいー」
オレのあげたマドレーヌ、早くもひとつ食べ終えて、翔斗が嬉しそうに笑う。
「砂糖は超控えめなんだよ、これ」
「そうなの? でもすげえうまい」
すてべに二個目。「早や」と笑いながらも、すごく嬉しい。
「よかったよかった」
ふふ、と笑うと。ふっとオレを見つめた翔斗がその瞳をきらめかせる。
「いつか店出して? 毎日通うから」
「んー? またそれ? ……出せたらね~?」
軽く冗談ぽく笑いながら、最近はちょっと本気で、調理の専門学校とかのパンフレットを見てたりするのは内緒。
……まあちょっと自分でも、それは行き過ぎかなとは思うけど。
でも、翔斗のことがなくても、パティシエはありかも、とは思っていたりもする。
「家で作ってくれてもいいけどなー?」
「……家で?」
「そう。一緒に暮らすとかさ」
「オレと? 一緒に?」
「そう」
えーと……これは初めて言われたかも。
え。スイーツのために??
……うーん、もう、なんか。嬉しいような……好きすぎるから、スイーツの為っていうのは、微妙なような。
「――スイーツ作ってくれる女子と、付き合えばいいじゃん」
あ。また言ってしまった。ついつい、思ってないこと――普通の男友達なら言うだろうなと思うことを、言ってしまう。
間違っても、好きなんてバレないように、オレが懸命に張っている予防線だ。
すると、翔斗がムッとして、口を尖らせた。
「何でだよ。お前が作るのが、うまいのに」
あ。また、この感じ。いっつも、オレの予防線に対して、すごくうれしい返事を返してくれてしまうのだ。
それを本気にするわけじゃないけど。
……いつも嬉しいこと言ってくれる、優しいとこも、めちゃくちゃ好き。
「ごちそーさま。めっちゃうまかった。生き返った」
「あはは。よかった。帰ろっか」
「だな」
立ち上がった瞬間、膝に乗せてた紙袋が落ちた。あ、と掴もうとしたら転びかけて――ヤバ、と思った瞬間、とっさに、翔斗に抱き留められてしまった。
ひえ……!
一瞬で顔は熱いし、心臓はドキドキで。
ごめん、と、腕の中から慌てて起き上がろうとしたとき。
ふ、と笑った翔斗に――もう一度。ぎゅ、と抱き締められ、た、ような気がした。
――えっ……??
ぎゅ、とされたあと、翔斗は、オレを見下ろした。
「いーにおい、お前」
至近距離で、微笑まれる。
「……え? ……???」
「甘い匂いする」
「つ……作って、たから??」
ドキド キドキドキ。心臓が、ものすごく速い。
「さあ。いつもいい匂いするけど」
クスクス笑う翔斗は、そっとオレを離した。
「帰ろ?」
夕焼けの綺麗に空の下。
なんだかちょっと照れたみたいな笑顔で、オレを見ながら、翔斗は階段に足をかける。
頷いて、隣に並んで階段をのぼりながら、心臓バクバクで、持っていた紙袋を握りしめた。
「いい匂いって……」
もー。ドキドキしちゃうだろ。もうもう。困るんだよ、ほんとに、もう。
「あのさ、澪」
「……ん?」
「ずーっと作って、オレのためにさ」
「……ずーっとって?」
「死ぬまでずっと」
そんなこと現実的じゃない。離れるよねえ。絶対さ。
スイーツはレシピどおりにすれば、ある程度はうまく作れるけれど。
――初恋は。しかも、幼なじみの男への、初恋は。
レシピなんかないし、あったとしても、うまくいくはずがないのだ。
そう思いながらも。
「……考えとく」
オレは、そう言っていた。
「うん。そーして」
クスクス笑う翔斗に、不思議に思いながらも。
なんだかよく分かんないけど――本当に、ずーっと、作れたらいいなと思ったり、する。



