嘘寝は猫にバレる



 「最近楽しそうね」と母に言われる。
 自覚は……少しあった。絵本の読み聞かせを頑張れていることも、桃田と両想いだとわかったことも嬉しくて心が浮き立つ気持ちだ。母に見抜かれたことで気恥ずかしく、目を逸らす。

「普通だよ」
「そう? 最近楽しそうなのは、絵本を買うほど好きになったからかと思ったの」

 ——そっちか……
 父が言ったのだろう。
 ため息ひとつつく。

「隠すことないじゃない。文芸部なんだから」

 あのことがあって以来、父とは話していない。家に戻ったときは、すでに父はおらず仕事で出ていった後だった。

「隠してたつもりはないよ……父さんにはバレたくなかったけど」
「もー。あなたたちは、いつまですれ違うのよー」

 母が、俺と父の関係について言及してくるのは初めてではない。
 その度に避けてきたが、自然と口が開く。
 ——俺にも夢中になれるものができたから?

「父さんが俳優になるって言った時に応援できなかった。むしろ……」

 家に帰ってこないことが、「本当は寂しくて応援したくなかった」という言葉を飲み込む。

「あら、それはママも雪乃も、きっと優光もそうよ」
「え?」

 雪乃は姉、優光は兄だ。

「最初から全面的に応援していたつもりも、成功したから応援しているわけでもない。ただ、真っ直ぐに頑張っている姿を見たら背中を押したくなっただけよ。まさか、イケおじなんて言われて売れるとは思いもしなかった」

 まっすぐに頑張っている姿……頭によぎったのは紛れもなく桃田だ。
 ——わかるな。その気持ち。
 父と話さなくなったのは、サッカーを辞めてからの方が酷かったと思う。それは、俺が好きなモノを否定して何も頑張れなかったときに父が売れて、好きなモノに真っ直ぐな姿を目にしたから。
 俺の気持ちに反して、近所の人からかけられる言葉は「お父さんすごいわね」ばかり。頻度は減っても今でも消えないし、俳優の息子という肩書きも消えない。それが、昔はしんどくて仕方なかった。けど、今は自慢まではいかずとも、俺も頑張りたいとは思えるかもな。
 ——父さんにも、桃田にも同じことをしてしまった。

「そっか。俺は、父さんのまっすぐな姿に嫉妬してしまったんだ。そのせいで余計話せなくなった」

 ——そう思うと……

「……マジで子供っぽすぎるなー」

 自分の情けなさに顔を覆い、天井を見上げる。

「そう。いつだって、あなたはわたしたちの子よ」
「そういう意味じゃない……」

 母は小さく笑った。

「いつかあなたが今言った言葉を直接言えると良いわね。そして、パパって昔みたいに呼んであげなさい」
「え?」
「結構傷ついてたみたいよ」

 距離を置くように、変えた呼び方。
 ——気にしてたとは考えたことなかった。でも……

「今なら言えるかも、な」

 今の俺は“好き”でいる自分を好きになれている。父に嫉妬ではなく、尊敬もある。
 ——新しいことを始めるのは、怖いから。

 新しく大切にしたいと思えた好きなモノがあるから。絵本が好きとか口にするのは正直まだ怖い。結局、発表するときに「ハレらしくない」って笑われたらとか、「練習したの?」って言われたらと思うと進むのを躊躇してしまいそうだ。
 ——それでもやるのは、頑張ろうと思ったときに、そばで頑張ってくれる人がいる心強さを知ってしまったから。
 俺の素直な言葉に、母が目を丸くさせる。

「ハレが変われたのは、絵本のおかげ? それとも誰か素敵な人がいるのかしら」
「……どっちも」

 母に隠しごとなど通用しないのだ。それを知っている俺は肯定した。

「いつか紹介してね」
「いつか、な」

 明言はせずに、ぼかして言った。まだ付き合ってもなければ『好き』と口にもしていない。

 教室を入ると一気に視線を感じる。いや、登校中からずっとだった。体育祭のときもしばらくは大変だったが、もう収まってきたはずだ。
 ——なんだ?

「あれ絶対そうだよ」

 教室でコソコソ話す声に反応する。

「何の話?」
「え? えーと……」

 あまりにも歯切れが悪い。

「ハレー、早く帰る理由ってこれだったんだな」

 ——そもそも帰ってないし……
 スマホの画面をこちらに向けられ、覗く。
 俺は入っていないメッセージチャットのグループだった。
 《YUYUSAとハレだよ‼︎》と書かれたすぐ下に、お札を男子高校生から渡される姿。もう一つ下には手首を握られている姿が撮られていた。
 ——なん、だよ。これ……
 YUYUSAは父の芸名だ。というか、父に勝手に支払われてた絵本の代金を、俺が渡したときの写真。
 ——あの時、撮られていた。誰に? というか、関係性は知っているのか?
 思考がぐるぐるとする。

「もしかして……放課後とか……」
「違う!」

 俺の否定と同時にガタッと、大きな音がしたと思ったら桃田が立ち上がっていて、俺の方へ向かおうとした。
 ——桃田だけは誤解されたくない!

「あれ? もしかして桃田も同じ?」
「最近一緒にいるもんな」
「違う!」

 否定だけで精一杯だったその時だ。校内放送が響く。

『二年三組、榊さん至急校長室へ来てください。繰り返します。二年三組の榊さん、校長室へ来てください』

 すでに、学校中に広まった記事は、学校の問題にもなっていると理解できた。
 ここで行かない方が拗れてしまう。
 ——桃田にひと言だけでも言いたかった。嫌われたらどうしてくれるんだ……
 それでも、真実を学校から伝えてもらう方が安全だと、俺は校長室に向かった。
 視線が痛い。
 嘲笑も聞こえる。どんな声より鮮明に聞こえて息が苦しい。
 ——一度も来たことのない校長室にこんな形で来ることになるなんて。
 意を決して扉を開けた。

「失礼します」
「ここに座ってね」

 あぁ、事実を信じてもらえるだろうか。

「大丈夫かい?」
「え?」

 ここでようやく顔を上げた俺は、気づいた。校長室にいるのが校長先生ではなかったと。

「増先……担任……」
「分かっていますよ。増田先生やあなたの担任の田中先生も」
「教室にいては注目を浴びすぎてしまうと、放送で呼び出してすまなかった」

 先生たちなりの気遣いだったらしい。
 それから、正式に学校から生徒に事実を知らせることと、SNSの使い方について強く注意することの二点を約束してくれた。
 後者については、SNSで誰かが発信していないと今回ここまで広まることはなかったはずだからだ。

「ありがとうございます」

 深く頭を下げる。
 すると、バタバタと騒がしい足音が聞こえた。
 ——また何かあるのか。
 その場にいる全員が警戒をした。

「校長先生! 正門にっ……俳優のっ……!」

 開け放たれた扉から、ひとりの先生が息を切らしている。
 全容を聞けなかったものの、《俳優が来ている》という事実だけで皆が校則を無視して走った。校則を管理している生徒指導の田中先生さえも全力の早歩きだ。

 正門が近づくにつれて、息が荒くなる。と、一緒に走っていた増先がコソコソと耳打ちしてくる。

「先ほど、お母さんに連絡してしまったので、もしかしたら……」

 俺の母さんということだろう。そして、母が父へ連絡してしまった可能性があるということも理解できた。

「もしかしなくても、だろ。だって、父さんなんだから……」

 正門に着くとメガネをかけ、マスクをかけた長身の男が正門で警備員に止められてる。
 俺はそれが誰なのか一瞬で見抜けた。

「父さん」

 父は、メガネもマスクも外し素顔を見せた。
 教室から見える位置だとしても、顔まで見えるのかわからない。けど、立ち振る舞いやスタイルの良さは隠せないだろう。授業中でも学校中が人気俳優『YUYUSA』に釘付けであることは、視線が刺さっていたのですぐに分かった。
 「見るな」と言いたくても、俺はこの何も考えずに動く父に問いかけるしかなかった。

「な、んで、来てんだよ」
「サ……ハレが心配で」

 サニーと言いかけたが、ハレと言い直される。
 ——アンタが付けた名前だろ。
 胸がざわつく。
 ぷつりと、糸が切れた音がした。

「いつも、いつも考えなしに行動して!」

 声が大きくなり、視界が狭まる。
 視界の中央で、父が動揺を見せた。

「ハ、ハレ?」
「ふざけんなよ‼︎」

 もう止まれなかった。

「いつも家族置いて行って、仕事だけして……何が休みだ! 数時間のくせに……」

 思ってもないことまで、すべて出ていく。
 いや、心のどこかでは思っていたのかもしれない。

「帰ってくるな……」

 ——寂しい気持ちが増えて、いつまでも満たされないから。
 言ってすぐに、後悔した。最低なことを言ったことは消えないのに、口を手で塞ぐ。本気じゃない。それに、言葉が足りなさすぎる。
 父は、腰を屈めて俺と視線を合わせた。

「帰るよ。数時間でも」

 優しく微笑まれ、胸が痛い。

「俺が頑張れるのは、大好きな家族が待っててくれるから。もちろんファンも好きだし、お芝居も好き。それ以上に大切な家族が、ママも雪乃も優光も……晴天もいるあの家が大好きだから、家でくらいパパのわがまま聞いてよ。晴天のわがままも聞くからさ!」

 今度はニッカリと笑った。
 ——ほんと、思春期真っ只中みたいに騒いだ自分が恥ずかしい。
 恥ずかしいのに、父の言葉でホッとする自分がいた。

「……ごめん。ひどいこと言った」
「帰ってもいい?」
「勝手にしなよ」

 ひと段落ついた頃、騒ぎを聞きつけた母とマネージャーが、父を連れて帰っていった。

 俺は正門で呆然と立ちすくむ。
 結局、午前中の授業はすべて“家族喧嘩”で潰れてしまった。
 ——教室戻りたくない。
 そう思っても、足は二年三組の前まで着いていて、開け放たれた扉から顔を出した。
 すると、一気に囲まれる。

「さっきYUYUSA来てなかった⁉︎」
「あ、あぁ……」
「どう言うこと⁉︎ やっぱり……」

 ——『やっぱり』何?
 どう足掻いても離れらない人なんだ。
 自分勝手で、優しくて自慢のパパなんだよ。
 子供を守ろうと、学校まで来ちゃうようなパパなんだ。
 奥歯を噛み締める。

「俺の家族だから!」

 大きな声が出た。
 放ったひと言で驚きの渦に巻き込まれた俺は抜け出すことが不可能だ。

「ハレ! 話聞かせろー!」
「いや……」
「家族ってことはお父さん⁉︎」
「あぁ……」
「おい。昼飯、食べんぞ」
「え、あ……」

 桃田が突如、声をかけてきた。一緒にいたいのは山々だが、クラスメイトに囲まれてしまい上手く返事ができない。
 その人たちが、YUYUSAのことを聞きたいという下心は見え見えだった。
 でも、俺に断れる勇気はどこにもなく口籠ると、一人が口を開く。

「やっぱ、目つけられて……!」
「ない‼︎」

 また大きな声が出た。
 ——なんでこうなるんだ。

「桃田はそんなことしない」

 俺の体裁守りたいとか、どうでもいい。
 好きな人を守れればそれでいい。という思いを震える声に込めた。
 ——桃田、俺見えてたから。さっき止めようとしてたのも。
 今までもずっと、そうだった。俺のことを守ろうとしてくれた桃田と同じように俺だって、守りたいんだ。

 正直、今にも泣きそうなくらい怖い。
 すると、桃田に俺の顔を胸に埋め隠すようにハグされる。
 ——なっ……!

「桃……」

 口を開くと、今度はブレザーを頭に乗せられた。と同時に、ヒョイと持ち上げられ、身体と足が宙に浮く。
 ——お姫様だっこじゃん‼︎
 今の自分が他人から見られていると分かっていても抵抗はしない。
 ——もちろん、普段だったら全力で抵抗するだろう。
 教室を出るときの背中に刺さった視線は痛かった。
 けど、それ以上に桃田のことを悪く言う人がいる空間にいたくなかったから。

 ——むしろ、一緒にいれて、桃田の心臓の音が聞こえそうな距離にいれて嬉しいとまで思ってる。
 俺は、桃田の胸に頭を預け、できるだけ近くにいたいと頬擦りをした。
 ——また守られちゃったな。