嘘寝は猫にバレる

 『同じ好きを持つ同士でも、こだわりがあれば好きは別物』桃田の言った言葉を心に刻む。
 繰り返せば繰り返すほど心が軽くなって、俺なりのこだわりを持ちたいと思うようになった。
 ——好きなモノができたみたいだ。
 不確定要素を持つのは、ここまでしても上達があまり見られないことがまだ本当は好きじゃないんじゃないかと思うことと、好きなモノにするのが怖いという気持ちの双方が心の底に埋まっているから。

「桃田、今のはどう?」

 いつもの放課後、絵本を描き進めながらも、俺が聞けば手を止めてくれる。「ここが良かった」とか「イントネーションがどう」とか。
 いろんな絵本を読むことで発見も多かった。すべての文が一箇所にあるわけではない。斜めに書いてある擬音は読むべきか悩ましくて、悩んでる時間も聞いてもらう人のことを考ることが『良くしよう』としている方に自然と傾いている。
 時より、白瀬さんが聞きにきてくれる。俺は椅子に座り、白瀬さんには体育座りをして見えるかどうかなど、桃田が作業中に見れない部分を重点的に見てもらっている。赤根さんはというと、「カップルに首突っ込みたくない」の一点張りで来ないが、応援はしてくれている。
 ——カップルってなんだよ。カップルじゃない。……そうなりたいけど。

「今日は何読むの⁉︎」

 嬉しそうに白瀬さんが顔を出す。白瀬さんのタイミングでここに来たら、俺が読み聞かせをして読み終われば意見をくれるのがいつもの流れだ。真剣に聞いてくれている白瀬さんに感謝しかない。
 ——クラスメイトとかには絶対頼めないから。

「その絵本、少し大きめで薄いからすぐ斜めになってたかな」
「なるほど」

 絵本の材質、大きさ……すべてが俺の持ち方ひとつに反映される。

「これは?」
「いいねぇ」

 俺はその場で直して、白瀬さんに確認を取る。俺たちが意見交換している間、桃田は口を挟まない。ちょっと不機嫌そうに、絵の具でイラストを描いているだけだ。



 部活に行くようになっても教室で桃田と話すことはなく、挨拶も交わさない。
 ——これでいいのかな。
 クラスメイトに囲まれながら、視線を桃田にやっても気付きもしない。本人の悪い噂も絵本を俺の席に置いてから、加速した気さえする。それは気にしていないようだけど、俺が気にする。
 噂を払拭できたら、皆と話せるようになる? いや、それはそれで嫌だ。
 ——一緒に過ごす時間、増やせたら嬉しいんだけどな。
 結局のところ、俺は俺自身を守るためにしか動けていないことに気づけていない。

 今日も今日とて、白瀬さんが来てくれたが、一回読み終えたところで帰ると言った。どうやら予定がある中、時間を縫ってきてくれたらしい。
 俺は白瀬さんを昇降口まで送る、と部室を後にした。

「文芸部なんていつから入ってたの? 話したのは最近だけどハレくんて目立ってるでしょ? なのに聞いたことなかったなぁ」
「一年からいたけど、部室にいるようになったのは今年入ってから」
「そうなんだぁ。 みんなに隠してるの?」
「まぁ」

 ——隠していると言われると悪い気分になる。

「みんなも勘付いてないみたいだよー。聞いたからね。教室で桃田くんに絵本乗せられた事件! みーんな、桃田くんに『ハレくんが目つけられた』って言ってるー」
「事件て……」

 つい一ヶ月前の出来事を思い出し笑いする。
 ふと、もしかして、白瀬さんも怖がりながら来てくれていたのでは? と思考がよぎり誤解を解こうとした。

「白瀬さん! 桃田は別に……」
「わかってるよぉ。元から噂なんて信用していないからね」

 ホッと胸を撫で下ろす。
 俺が信頼している人くらいは、誤解されたくなかったのかもしれない。

「あ! 赤根ちゃん!」

 昇降口で待っていたのは赤根さんだった。

「あら、読み聞かせはいいの?」
「今から戻る」
「そう。そう言えば最近の噂は聞いてる?」
「増えた、よな」

 赤根さんも気にしてはくれているらしい。

「増えたも増えたんだけど、その中のひとつに桃田くんが——」

 赤根さんの言葉に頭が真っ白になる。「知らないと思った」と、ボソッと言われた。
 ——そんなわけない。
 俺が目を泳がせたことで動揺した、と見抜かれ白瀬さんは「あれ? 知らなかったの? さっきの噂の話ってこのことかと思ってたぁ」と、びっくりされ続けて言う。

「桃田くんと同じ中学なら知ってると思ったのにぃ」
「同じ?」
「うん! ハレくん同じでしょ?」
「え? それ本当……」
「言われるまで気づかないなんて……ちゃんと話し、した方がいいと思うよ。……この件に関しては、ね」

 俺の会話は赤根さんによって、ぐっと捻じ曲げられ収束してしまい、真相は聞けなかった。というか、これ以上は桃田に聞かないとダメそうだった。

 部室で読み聞かせの練習をしようと思って絵本を開けて閉じてを繰り返す。赤根さんの言葉が耳に残って消えない。

 ——『中学生の頃に人を壊した』か。

 あまりにも抽象的な言い方が引っかかる。
 噂はこれだけじゃないけど、これは一段とひどい。それに、赤根さんも噂は信じていないはずだが、俺に聞けと強く言ったことが引っかかりを増した。
 ——桃田はこのこと知っているのか?

「なぁ、桃田」
「んー? もう少し待って」

 夢中になって絵本のイラストを描く桃田は耳だけをこちらに向ける。

「桃田って中学同じだった?」

 筆の動きがピタリと停止する。

「……なんで?」
「いや、なんとなく気になっただけ」

 ヘラヘラする俺に「俺に愛想笑いすんな」と、強めの口調で言われる。桃田の動揺するみたいな動きが噂を知っているようで、俺の方が信じたくなくて動揺してしまう。

「白瀬さんに言われたか?」
「いや、まぁ……それだけじゃないけど。なんかあったのかなって」
「な、なんでよく知りもしない人に話さなきゃいけない……」

 グサリと胸を突き刺されたみたいだった。
 自分に返ってきた“拒絶”。関係値が変わっただけでこんなにも意味が変わってしまう言葉を憎んだ。それと同時にヘラヘラして誤魔化したときのことを怒っているのだと、わかる。
 桃田は怒るのが下手だ。怖がるみたいに怒る。

「もうそれを言っていい関係か? だとしたら結構傷つく」
「あ……」

 露骨に傷ついた顔をする桃田は、ただ人付き合いが下手なんだと思い知らされる。
 勝手に器用に生きている人だと勘違いしていた。
 ——それなら……会話をしなくちゃ。

「いや、言い方が悪かった。桃田の噂が気になって探る真似した。でも意味もなくやるはずないし、信じたいから話してほしい」

 桃田は、手に持っていた筆を置き、悲しそうな顔をして話し出した。

「中学生の時だよ。放課後は図書室で本を読むのが日課だった。校庭で運動部が掛け声を出したり、吹奏楽部が楽器を奏でたりする音を聞くのが心地よくなっていたからだ」

 話そうとしてくれている桃田に相槌を打つ。

「それに、窓際で本を読んでると、サッカー部で一所懸命に練習する人がいたんだ。その人は、何度も何度も繰り返していて、ひとつのことができたら、目一杯笑うんだ」

 ——サッカー部。俺がいたときか?

「それがこっちまで嬉しくて、いつからかサッカー部のその人を見たいから窓際の席に座ってたと言っても過言ではなかったな」
「……好きじゃん」

 同じ部活に桃田の好きな人がいたと思うと複雑な気持ちになる。
 ——好きなら、脈なさすぎる。
 桃田は少し考えた後、口角を上げる。

「うん。その時からかもな」

 ——今も好きなんだ。
 俺の心にヒビが入っていくのを感じた。
 ——痛い……
 そんなことは知らない桃田は、「ある時、その人がチームメンバーに心無い言葉を言われているのを目撃したんだ」と、小さく言う。

「『センスない』とか。『変わってない』とか。言われた本人と俺は話したことも同じクラスにもなったことなかったから友達でもない。本人が反論する様子もなくて、それにムカついてつい……暴言を吐いたし手も出た」
「いくら好きでも、知らない人によくそんなに感情移入できたな」


 自分のことを言われたみたいでドキリとした。しかし、それは確信に変化する。

「確かに。好きって恐ろしいな。ま、今は知らない人どころか、同じ部活だけどね」

 俺の唇が微かに震えるのを感じる。
 ——それって……

「結局、やりすぎてその人を壊したらしい。らしいっていうのもそいつの強がりで表面上は変わんなかったから。その『人を壊した』て言うのも最近になって言われ始めたからね」

 ——ほら。桃田は理由もなく行動するやつじゃない。なんとなくとか、気分とかで左右されない。考えて考えて……言葉にしていないだけでずっと見ていてくれている。
 あの時、誰にも頼れなかったこと。突然、全部救われた気がした。見てくれていた人がいること。一人で諦めただけだと思ってた。ドッと押し寄せた感情は俺の器を満帆にする。

「……さっくんが上手くなっているのサッカーを知らない俺でさえも分かったんだ。ちゃんと見てればわかるんだぞって言ってやりたかった。自分のできないことを嫉妬して八つ当たりをするチームメンバーなんて見ていて心が痛んだんだ」

 いつか聞いたことがある。俺がサッカー部を辞めてから、言ってきた奴の一人が怪我をしたと。その言ってきた本人とは、俺が部活を辞めたと同時に話さなくなったから何があったかまではハッキリ知らなかったし、知ろうともしなかった。
 ——そんなことがあったんだ。


「さっくん泣いてる?」

 俺の方へ近づき顔を覗かれる。

「泣いてない‼︎ 見んな……」

 本当は、ポロポロと大粒の涙は止まらない。そんな俺は涙を拭いながら、桃田の裾をクイと引っ張る。
 
「桃田、ありがとう」

 くしゃくしゃと、俺を愛おしそうな目をしながら頭を撫でられる。

「感謝されることはできてないよ」

 ——俺にとっては、感謝してもしきれない。いくら好きな人のためだからって……
 あれ……? その時の人が好きってことは……

「……ちょっと待って」
「あ?」
「桃田って、俺のこと好き、なの?」
「あ…………そうだな。そういうことだ」

 パッと俺の手を離し、両手を小さく上げ一歩一歩、俺から距離をとっていく。

「気持ち悪い、よな。さすがに」

 ——そんなわけない。でも、今は言えないんだ。
 自分勝手なことをし続けてでも、好きなモノはもう否定したくないし好きな人は諦めたくないという思いが積もりに積もる。

「気持ち悪くない。気持ち悪くないから」

 今の俺、多分めっちゃ顔赤い。

「そんな顔されたら期待すんだけど……」
「期待……とか……」

 素直に言うことなんてできない。
 桃田は、微量に口角を上げた。

「とりあえず、これからも部活一緒にいいか?」
「別に。部活だし、当たり前」

 俺が好きだとは明言できなかった。
 普通は、自分のことを好きだと言われたら一緒にいられない。
 昔から告白してくる子の中に、友達もいた。だけど、今関係を問われたら友達だった人だ。
 振っても友達でいてもいいかと聞いてくるが、友達でいれるかは別問題だ。結局、周りに茶化されたり何かある度に二人きりにされたり、嫌になっていき自然と離れる。
 それを分かっておきながら、桃田が俺みたいな経験がないと思い、気持ちは伝えず部活を理由に一緒にいることを選んだ。
 ——ほんとは、好き同士じゃないとキツイっつーの。