『同じ好きを持つ同士でも、こだわりがあれば好きは別物』桃田の言った言葉を心に刻む。
なんだか心が軽くなって、俺なりのこだわりを持ちたいと思うようになった。
——好きなモノができたみたいだ。
不確定要素を持つのは、ここまでしても上達があまり見られないことがまだ本当は好きじゃないんじゃないかと思うことと、好きなモノにするのが怖いの双方が心の底に埋まっているから。
「桃田、今のはどう?」
いつもの放課後、絵本を描き進めながらも、俺が聞けば手を止めてくれる。「ここが良かった」とか「イントネーションがどう」とか。
いろんな絵本を読むことで発見も多かった。すべての文が一箇所にあるわけではない。斜めに書いてある擬音は読むべきか悩ましくて、悩んでる時間も聞いてもらう人のことを考ることが”良くしよう”としている方に自然と傾いている。
時より、白瀬さんが聞きにきてくれる。白瀬さんには体育座りをして見えるかどうかなど、桃田が作業中に見れない部分を重点的に見てもらっている。赤根さんはというと、「カップルに首突っ込みたくない」の一点張りで来ないが、応援はしてくれている。
——カップルってなんだよ。カップルじゃない。……そうなりたいけど。
「今日は何読むの⁉︎」
嬉しそうに白瀬さんが顔を出す。白瀬さんのタイミングでここに来たら、俺が読み聞かせをして読み終われば意見をくれるのがいつもの流れだ。真剣に聞いてくれている白瀬さんに感謝しかない。
——クラスメイトとかには絶対頼めないから。
「その絵本、少し大きめで薄いからすぐ斜めになってたかな」
「なるほど」
絵本の材質、大きさ……すべてが俺の持ち方ひとつに反映される。
「これは?」
「いいねぇ」
俺はその場で直して、白瀬さんに確認を取る。俺たちが意見交換している間、桃田は口を挟まない。ちょっと不機嫌そうに、絵の具でイラストを描いているだけだ。
*
部活に行くようになっても教室で桃田と話すことはなく、挨拶も交わさない。
——これでいいのかな。
クラスメイトに囲まれながら、視線を桃田にやっても気付きもしない。本人の悪い噂も絵本を俺の席に置いてから、加速した気さえする。それは気にしていないようだ。
噂を払拭できたら、皆と話せるようになる? いや、それはそれで嫌だ。
——一緒に過ごす時間、増やせたら嬉しいんだけどな。
結局のところ、俺は俺自身を守るためにしか動けていないことに気づけていない。
今日も今日とて、白瀬さんが来てくれたが、1回読み終えたところで帰ると言った。どうやら予定がある中、時間を縫ってきてくれたらしい。
俺は白瀬さんを昇降口まで送る、と部室を後にした。
「文芸部なんていつから入ってたの? 話したのは最近だけどハレくんて目立ってるでしょ? なのに聞いたことなかったなぁ」
「1年からいたけど、部室にいるようになったのは今年入ってから」
「ふーん? みんなに隠してるの?」
「まぁ」
——隠していると言われると悪い気分になる。
「みんなも勘付いてないみたいだよー。聞いたからね。教室で桃田くんに絵本乗せられた事件! みーんな、桃田くんに『ハレくんが目つけられた』って言ってるー」
「事件て……」
つい1ヶ月前の出来事を思い出し笑いする。
ふと、もしかして、白瀬さんも怖がりながら来てくれていたのでは? と思考がよぎり誤解を解こうとした。
「白瀬さん! 桃田は別に……」
「わかってるよぉ。元から噂なんて信用していないからね」
ホッと胸を撫で下ろす。
俺が信頼している人くらいは、誤解されたくなかったのかもしれない。
「あ! 赤根ちゃん!」
昇降口で待っていたのは赤根さんだった。
「あら、読み聞かせはいいの?」
「今から戻る」
「そう言えば最近の噂は聞いてる?」
「増えた、よな」
赤根さんも気にしてはくれているらしい。
「その中のひとつに桃田くんが——」
赤根さんの言葉に頭が真っ白になった。
——そんなわけない。
俺が目を泳がせたことで動揺した、と見抜かれ白瀬さんは「あれ? 知らなかったの? さっきの噂の話ってこのことかと思ってたぁ」と、びっくりされ続けて言う。
「桃田くんと同じ中学なら知ってると思ったぁ」
「同じ?」
「うん! ハレくん同じでしょ?」
「え? それ本当……」
「言われるまで気づかないなんて……ちゃんと話し、した方がいいと思うよ。……この件に関しては、ね」
俺の会話は赤根さんによって、ぐっと捻じ曲げられ収束してしまい、真相は聞けなかった。というか、これ以上は桃田に聞かないとダメそうだった。
部室で読み聞かせの練習をしようと思って絵本を開けて閉じてを繰り返す。赤根さんの言葉が耳に残って消えない。
——『中学生の頃に人を壊した』か。
あまりにも抽象的な言い方が引っかかる。
噂はこれだけじゃないけど、これは一段とひどい。それに、赤根さんも噂は信じていないはずだが、俺に聞けと強く言ったことが引っかかりを増した。
——桃田はこのこと知っているのか?
「なぁ、桃田」
「んー? もう少し待って」
夢中になって絵本のイラストを描く桃田は耳だけをこちらに向ける。
「桃田って中学同じだった?」
筆の動きがピタリと停止する。
「……なんで?」
「いや、なんとなく気になっただけ」
ヘラヘラする俺に「俺に愛想笑いすんな」と、強めの口調で言われる。桃田の動揺するみたいな動きが噂を知っているようで、俺の方が信じたくなくて動揺してしまう。
「白瀬さんに言われたか?」
「いや、まぁ……それだけじゃないけど。なんかあったのかなって」
「な、なんでよく知りもしない人に話さなきゃいけない……」
グサリと胸を突き刺されたみたいだった。自分に返ってきた“拒絶”。関係値が変わっただけでこんなにも意味が変わってしまう言葉を憎んだ。それと同時にヘラヘラして誤魔化したときのことを怒っているのだと、わかる。
桃田は怒るのが下手だ。怖がるみたいに怒る。
「もうそれを言っていい関係か? だとしたら結構傷つく」
「あ……」
「いや、言い方が悪かった。桃田の噂が気になって探る真似した。でも意味もなくやるはずないし、信じたいから話してほしい」
桃田は、手に持っていた筆を置き、悲しそうな顔をして話し出した。
「中学生の時だよ。放課後は図書室で本を読むのが日課だった。校庭で運動部が掛け声を出したり、吹奏楽部が楽器を奏でたりする音を聞くのが心地よくなっていたからだ」
話そうとしてくれている桃田に相槌を打つ。
「それに、窓際で本を読んでると、サッカー部で一所懸命に練習する人がいたんだ。その人は、何度も何度も繰り返していて、ひとつのことができたら、目一杯笑うんだ」
——サッカー部。俺がいたときか?
「それがこっちまで嬉しくて、いつからかサッカー部のその人を見たいから窓際の席に座ってたと言っても過言ではなかった」
「……好きじゃん」
同じ部活に桃田の好きな人がいたと思うと複雑な気持ちになる。
——今もだったら、脈なさすぎる。
桃田は少し考えた後、口角を上げる。
「うん。その時からかもな」
——今も好きなんだ。
俺の心にヒビが入っていくのを感じた。
——痛……
そんなことは知らない桃田は、「ある時、その人がチームメンバーに心無い言葉を言われているのを目撃したんだ」と、小さく言う。
「『センスない』とか。『変わってない』とか。言われた本人と俺は話したことも同じクラスにもなったことなかったから友達でもない。本人が反論する様子もなくて、それにムカついてつい……暴言を吐いたし手も出た」
「いくら好きでも、知らない人によくそんなに感情移入できたな」
自分のことを言われたみたいでドキリとした。しかし、それは確信に変化する。
「確かに。好きって恐ろしいな。ま、今は知らない人どころか、同じ部活だけどね」
俺の唇が微かに震えるのを感じる。
——桃田が俺のために怒った?
「結局、やりすぎてその人を壊したらしい。らしいっていうのもそいつの強がりで表面上は変わんなかったから。その『人を壊した』て言うのも最近になって言われ始めたからね」
あの時、誰にも頼れなかったこと。突然、全部救われた気がした。見てくれていた人がいること。ひとりで諦めただけだと思ってた。ドッと押し寄せた感情は俺の器を満帆にする。
「……さっくんが上手くなっているのサッカーを知らない俺でさえも分かったんだ。ちゃんと見てればわかるんだぞって言ってやりたかった。自分のできないことを嫉妬して八つ当たりをするチームメンバーなんて見ていて心が痛んだんだ」
いつか聞いたことがある。俺がサッカー部を辞めてから、言ってきた奴の1人が怪我をしたと。その言ってきた本人とは、俺が部活を辞めたと同時に話さなくなったから何があったかまではハッキリ知らなかったし、知ろうともしなかった。
——そんなことがあったんだ。
「さっくん泣いてる?」
俺の方へ近づき顔を覗かれる。
「泣いてない‼︎ 見んな……」
本当は、ポロポロと大粒の涙は止まらない。そんな俺は涙を拭いながら、桃田の裾をクイと引っ張る。
「桃田、ありがとう」
くしゃくしゃと、俺を愛おしそうな目をしながら頭を撫でられる。
「感謝されることはできてないよ」
——俺にとっては、感謝してもしきれない。いくら好きな人のためだからって……
あれ……? その時の人が好きってことは……
「……ちょっと待って」
「あ?」
「桃田って、俺のこと好き、なの?」
「あ……そうだな。そういうことだ」
パッと俺の手を離し、両手を小さく上げ一歩一歩、俺から距離をとっていく。
「気持ち悪い、よな。さすがに」
——そんなわけない。でも、今は言えないんだ。
自分勝手なことをし続けてでも、好きなモノはもう否定したくないし好きな人は諦めたくないという思いが積もりに積もる。
席を立ち桃田の手をぎゅっと握って覚悟を決める。
「気持ち悪くない。……それと、発表のあとに伝えたいことある」
「うん? わかった」
「待たせちゃうけど……」
俺の伝えたいことは察しがついたようで、握った手を恋人繋ぎにし、握り返される。
「いつでもいい。いつでもいいけど期待していい?」
「もちろん」
安心したのか、手を握ったまま、かがみ込んで丸くなる桃田が床に向かって叫ぶ。
「あーーーー。キスしてぇ」
「は⁉︎」
思わず、後退りし腕がピンと張る。腕が伸ばされても手を絶対離さないという桃田の意思を感じた。
「今は、無理。つ、付き合ってないし」
「わかってる……」
パッと顔を上げた桃田に手招きされ、「何?」と、向かいに屈んだ。その瞬間、桃田が顔を近づける。
「ダメって……!」
俺は慌てふためく。すると桃田の顔は第一ボタンの開いたワイシャツの隙間、首元に沈んだと思ったら、そっと鎖骨にキスをされた。
桃田は意地悪そうに笑う。
「唇にされると思った?」
「桃田、覚えてろよ……!」
「あはは! 楽しみだな」
呑気に笑う桃田に、顔を真っ赤にして対抗しても意味はない。むしろ、抱き寄せられて俺を包み込む。
——心臓うるさ。
早く好きって言いたい。でも俺が言えないのは、そんな器用じゃないから。
このまま伝えても、部活に身が入らなくなるのが怖かった。今だって、幸せすぎて他のことがどうでも良くなりそうだ。
——まっすぐに頑張っている桃田に応えたいんだ。


