嘘寝は猫にバレる


 2階建の図書館は5年ほど前にできたばかりで、ほのかに木の香りもする。吹き抜けになっているそこは、木製の螺旋階段で2階に進んだ。自習室などが設けられている中の一室に案内された。引率で付いてきた増先が、頭を下げて挨拶する。

「よろしくお願いします」
「こちらこそ急なご対応ありがとうございました」

 週2日程度、低学年を対象とした読み聞かせを実施していると説明を受ける。
 担当だった人がちょうど1週間前に季節外れの風邪になってしまったらしく、桃田と繋がりのあった司書が連絡したという。桃田はこの図書館でも有名であり、頼りにされているとわかった。
——学校のヤンキーなんてどこから広まったんだよ。
 確かに身なりと言い方はヤンキーそのものだが、行動は全くと言って別人だ。誰かが意図して流した噂にさえ感じる。
——ま、俺が桃田に恋愛感情を持ったことによって「桃田はいい奴」というフィルターをかけた目で見ているのもあるかもしれないけどな。
 絵本を片手にボーッと部屋の端で待つ。前方中央に置かれた小さく足の短い椅子に、尻が痛くなりそうだなんて呑気に考えていた。

 俺らが来た時には全くいなかった子どもたち。
 ところが読み聞かせ会が始まる時間が近づくにつれてゾロゾロと保護者と入ってくる。平日の夕方だというのに、始まる頃には8畳ほどの部屋は満員になっていた。
 来る子どもたちは、桃田を見るなり駆け寄り集まる。それに対し桃田は屈んで目線を合わせて話していた。

「ももたくん! きょうは、おやすみのひ じゃないよ?」
「そうだね。だから今日は俺じゃないよ。あっちのお兄さん」

 休日は桃田も読み聞かせをしているのか? と推測する。『読んでもいい』と言われたのが桃田ではなく俺のことだったとその時改めて思った。
——話したこともない高校生である俺を桃田と知り合いだからと言う理由だけで了承してくれたのだろう。
 プレッシャーと緊張が一気に湧く。

「桃田くん、人気ですね」
「うん」

 この1週間、できる限りのことはしてきたつもりだ。でも万が一うまく行かなかったら、失望されたらという不安感が募る。
 その一方で、いつの間にか横からいなくなった桃田の隣に居たいと辺りを見渡す。
 目に入ったのは俺の緊張感をぶち壊すように対角線上で桃田と司書のお姉さんがにこやかに会話を交わしているところだ。俺が初めて目にしたその優しげな桃田の表情を向ける人物に嫉妬してしまう。
——俺にはあんなに笑わないくせに……。
 すると俺の視線に気がついたのか、桃田とパチリと目が合う。それを合図にしたかのように俺は桃田の元へ向かった。

「緊張やばい」
「そうには見えねぇな。こんなんで緊張すんな」

 単に顔に出ないだけだ。桃田ならわかってくれるなんて思った俺がバカだったんだとため息ひとつ溢すと、司書のお姉さんが目を細めて言う。

「あら、桃田くんだって緊張してるのに意地悪っ!」

——桃田が緊張? なんで?
 その言葉に桃田は顔をカッと赤く染めらせる。
——はぁ?
 緊張しているようには見えない桃田の言動とそれを見抜いた司書のお姉さん。それほどに親しい関係なのか。
 心がざわつく。
——今気にしてる場合じゃないのに……。
 読み聞かせが始まれば、扉は閉まり一層緊張感が走る。後方で子どもたちに混じって体育座りをする桃田と司書のお姉さんが横並びになっているのが気が散って仕方ない。というのは、ただの言い訳に過ぎなかった。

 読み聞かせは順調だと思われたが、1人が声を上げる。

「見えなーい」

 いや、見えてるだろ。と、思った矢先だった。1人から2人、3人と次々に思い思いに声を発する。

「おおかみさん見えないよー」
「げんきないないの おおかみさんなのかなぁ?」
「きゃははは」

 俺の持つ絵本は斜め上を向いており、俺の視線よりも下に座っている園児に見える向きではなかった。加えて、天井につけられた照明がツルツルとした紙の素材であったため、反射をしてしまっていたのだ。

「あ……」

 気がついて修正しようと思った時には、すでに収集のつかなくなってしまう。とっくに集中力は切らしていたのだろう。我慢して我慢して……ボンと爆発するみたいに広がる声。

「えっと、静かにできるかな?」

 優しく問いかけても『はい!』という返事をしてくれたのは1人で、結局、親の甲斐あってなんとか俺の声が一番大きいくらいにまで戻すことはできた。騒ぎ始めた子供と申し訳なさそうに親が出ていくのを止めることもできなかった。
 俺が上手かったら、気を遣わせないで済んだのに。
——楽しみにしていてくれてたんだろうな。
 鼻の奥がツンとする。
 複雑な気持ちからかはやる気持ちで終わらせた読み聞かせ。

「すみませんでした」

 謝る俺に対して「今日はありがとうね」と、司書の方から感謝を述べられた。胸がズキズキとして痛い。言わせてしまった。
 俺は本来楽しみにしていた子どもたちを意識せず、任せてくれた大人たち顔色を窺ってしまっていた。
——本当に任せてくれていたのは子どもたちの方だ。
 桃田に読んでもらいたかった子たちもいただろう。それでも、俺の読み聞かせを聞こうという姿勢をとってくれていた。
 それなのに、俺は自分のことばかりだったと気付かされた。

 増先は学校へ戻ると言い、俺ら2人になる。帰り道の電車の中が息苦しい。
 いつもの部活終わりより少し遅くて、サラリーマンが退勤時間に被った車内は人でごった返しぎゅうぎゅう詰めになる。
 桃田が俺の前を遮り、向き合うように立つ。見上げた桃田はやっぱりかっこよくて、胸がキュウと鳴る。
——好きだなぁ。まだ隣いたいなぁ。
 積もる想いとは裏腹の言葉が口から吐き出される。

「俺、読み聞かせやめるわ」

——ごめん。桃田。
 俺は桃田のまっすぐなところが好きだ。その好きという感情が桃田の邪魔をしてしまう。
 いや‥…違う。また言い訳をした。
 俺はいつまでもセンスがないと言われるのが怖くて、好きなものを否定しするのが怖くて……楽しいと思ったことからも躓いたら、誰かに不快に思われたらと思うと前には進めなくなる。俺のちっぽけな心は、今日の読み聞かせで悲鳴をあげていた。

「向いてねぇみたいだし……」

 声も手も震える。
——最近、絵本が少し楽しいと思い始めていた。ブレーキを踏みながらも少しずつ前に進めている気がした。
 桃田は好きだし、桃田が絵本に本気になっている姿を見ているのも好きだ。
 だから、これは好きなものの否定じゃない。自分で自分のことを否定しているだけ。そうすればいつか”好き”を諦められるから。
 わかっているのに悔しいという感情が俺の中で沸々と音を立てているのはなぜだろうか——

 電車が最寄り駅に到着してドアが隙間を見せた瞬間、俺は飛び出した。自分勝手だと理解できていても、身体は正直に逃げたいと声を上げる。
 当然、桃田の顔を見るのも声を聞くのも怖くなった。



 次の日、教室で考えているうちにもう30分以上も経っていた。重い足取りで別棟に向かう。
——今日くらい休んでもいいか。
 部室の扉に手をかける手前で手が止まる。俺は、そのまま踵を返した。罪悪感か心臓がうるさくなる。その停止信号を振り切るように昇降口でスニーカーに履き替える。すると、背後から軽い声が聞こえてきた。

「ハレじゃね?」
「おっすー、ハレ!」

 肩に腕をかけられる。クラスで話している奴らだ。

「俺ら今からゲーセン行くけど行こうぜ」
「部活は?」
「今日なくなったらしい! ハレ、暇なんだから行くだろ?」
「あぁ。うん」

 力のない返事をしたとき、カメラを持った桃田が外から昇降口へ戻ってきた。
——資料の撮影行ってたんだな。
 俺を見つけるなり、駆け足でこちらへ近寄ってきては、口が声を放つ予備動作をさせる。

「おい。さっ……」

 するりと桃田の隣をすり抜ける。言いかけた言葉を止める桃田。好きな人の言葉をわざと無視した俺。
 胸がズキっと音をさせた。
——痛い。
 でも今、話せることがない。自分の中も整理できてないんだ。