嘘寝は猫にバレる

 なかなか帰って来ず、なんとなくもう一度絵本を手に取ってみる。帰って来ないと言っても、桃田が教室を出てから未だ20分程度しか経っていない。
 先ほどまでの読み聞かせの練習を反省して、少し感情を込めてみてもいいのだろうか。動画とかあればそれで学ぶことができるとスマホに手を伸ばす。しかしその手はピタリと止まった。
——頑張ったって……ダメになる。
 結局、俺は何かを始めることが怖いだけだ。

 息苦しい教室から逃げるように、桃田を探しに外に出た。
 中学のことがあってからサッカー部の練習するグラウンドを避けてきたが、桃田がいたのはそこだった。
 一歩一歩近づいていく。桃田がいるなら近づけるのが不思議でたまんない。しかし俺は声をかけるのではなくただ後をつけて歩く。
 次に桃田が向かったのは、校外。本来、部活の時間に学校の外に出る場合は許可が必要なはずだが多分そんなものは出していない。
——あ、猫。
 桃田にばかり気を取られ、側まできていた野良猫には気がついていなかった。人懐っこく頭を足に擦り付けてくる虎柄の猫と目線を合わせるように屈む。
——俺、何してんだろうな。
 猫みたいに自由でまっすぐになれたらいいのに。なんか桃田って猫のようだと考える。猫背だし、とっつきづらいのに、話してみたら案外人懐っこくて、好きなことにはまっすぐ。でも、気まぐれなのか俺の知らないうちに、ふらっとどこかに行ってしまいそうなところ。実際、外に資料を撮りに行くということも俺に相談は一切なかった。
——いや、別にいいんだけど。
 なんでこんなモヤモヤするんだろう。

『パシャッ』

 カメラのシャッター音に思わず顔を上げる。そこにいたのは離れた場所にいたはずの桃田で、カメラレンズが俺の方に向いていたのは明らかだ。俺は眉間に皺を寄せる。

「な、に撮ってんだよ」
「猫とイケメンって絵になるな」
「そういう問題じゃない……」

 イケメンであることは否定せずに、「写真消せ」と続けて言った。すると、「やだね」と舌を出して抵抗される。そして桃田も俺の横に屈んで言う。

「練習はいいのか?」
「なんで知ってんの⁉︎」

 声を大きくすると、猫が逃げていった。対照的に桃田は俺に一歩近づいて、首を傾げて顔を覗かれる。

「さっき教室戻ろうとしたら、中から声がして、俺がいないから読んでたんだろーなって思ってたから」

——近い。
 整った顔がグッと近づき思わず首を窄めた。と同時に、桃田の真面目に絵本と向き合っている姿を目の当たりにし、後を付けて遊んでいたことが後ろめたくなった。

「俺がいない貴重な時間だろーが」
「うーん」

 そのいないことが無理で出てきたなんて言えるわけなく曖昧な返事をする。

「俺がいたら練習する?」
「やるわけない」
「ふーん? いねーのにできないの?」
「いないからできないとか……べ、別に」

 あからさまに動揺しモゴモゴと口の中で言葉が暴れる俺に、桃田は腰に手を当てて呆れた表情を見せる。

「しゃーないな。寂しがりのさっくんのために早く帰ってあげますか」

 嬉しいと思った。微量に上がりかけた口角を隠すようにそっぽを向く。

「それはダメっ……」

「は?」
「も、桃田が頑張ってんのに俺のために戻ってくるとか意味わかんないだろ。てか読み聞かせやるなんて一言も言ってない」
「……そ。俺は部長として部員に活動をしてもらえるようにしようとしただけなんだけど?」

——部員……そうだよな。
 俺は今期待したんだ。”俺のために”帰ってきてくれると思ったんだ。
——なんで期待した?
 桃田といると、他の人にはしない期待をして、ちょっとのことで嬉しくなったり気付けば目で追ってたり……今だってただの部員って分かっているのに必要以上の落胆をした。
――なんか俺、ずっと桃田のこと考えてる気がする。
 ひとつひとつの出来事がくっついていくみたいに形を成す。その答えはしっかりと言葉にできた。もちろん声には出せないが。

——俺、いつの間にか桃田のこと好きになってたんだ……。

 ぶわっと身体が一気に熱を持つ。
——う、わ……これどうすればいいんだ……。
 高揚した気持ちは、パチリと目が合った視界に映る桃田のすべてが新鮮に映ってしまう。
——一緒にいる時間が好きだ。
 心臓はうるさいし、落ち着かないけど、それ以上に隣にいたい。落ち着いていたのは、桃田がどこにも行かず俺の側にいたから。落ち着かないのはいつもいた人がいないことと恋をして桃田に期待したからだ。モヤモヤがひとつ解けた感覚になった。
 嬉しいな、よく周りのクラスメイトが好きな人ができたら言っているが、今ならその理由がわかる気がする。
——あ、でも俺のこと嫌いなんだっけ。
 口を結んで黙ったまま、俺は無意識に桃田をぼーっと眺めていた。

「な、何? 写真消すって! だからそんな顔すんな」
「消さなくていいよ」
「は?」
「消さないで」

 少し前と真逆のことを言う桃田は、頭上にハテナマークを浮かべる。
——消さないで。ふとしたときに見返したり、この会話を思い出したりして意識してよ。
 これ以上の言葉は口に出せず、じっと見つめると、桃田は視線を逸らされる。
——伝わるわけないし、伝えられないな。
 ”部活”を壊すわけにはいかない。何より、部活がないと桃田と話せもしないから。
 ぎこちない空気を壊すように声が飛んできた。

「あ! いた‼︎」

 遠くから増先が、パタパタと革靴で走りづらそうにこちらへ向かってくる。

「ちょっと、ちょっと! 届け出を提出せずに外行ったらダメですよ!」
「あー……」

 届け出の存在自体は知っていたのだろう。桃田は小さく舌打ちをする。増先の前では悪い態度をしていなかった桃田の反抗的な仕草に声を呑む。
 
「えっと。桃田くん?」

 桃田はやばいと顔を曇らせると、すみませんと、一言残し学校へ戻っていく。
——桃田のこと追いかけた方がいいかな。
 追いかけようと、足を踏み出したとき増先に話しかけられてしまう。

「ハレくんまでどうしたの? 知ってたら言うでしょ?」
「言えないよ。なんか桃田を見てたら自由になりたくなった」
「なんかわかんなくもないけど、ひと言くらい言ってあげてよ……でも桃田くんがいて良かったね」
「困ったことにもなったけどな」
「え?」

 「何が? 大丈夫⁉︎」と、焦る増先に吐き捨てるように言う。

「好きって自覚したら、どうやって顔合わせればいいかわかんねぇ」
「……え?」

 素っ頓狂な声を出した増先はその場に立ちすくむ。俺は、誰かに言いたかった気持ちが晴れたことで満足し学校へ進み出すと背中が響くほど大きな声が聞こえる。

「えぇぇぇぇ‼︎‼︎」

 俺はわざと耳を塞ぎ、走り出した。
——誰かを好きって、こんなに嬉しいんだ。

 恋をしたら、好きな人しか考えられなくて。それがたまらなく幸せで。自分の感情がひとつ増えたみたいだ。



 次の日、桃田は教室から出て行こうとしなかった。
——まさか俺のため?
 そう思ったのも束の間、桃田が声を荒げる。

「だあー! くっそ! 反省文ダルすぎんだろ」

 シャーペンを机に投げ捨て、積まれている絵本の山を眺める桃田は本当に書きたくないんだろうことは聞かずとも理解できる。

「今度気をつけますって書いておけばなんとかなるだろ。増先も本気で怒ってはいなかったんだし。形式上のものだろ」
「代わりに書け」
「文字でバレるからやだ」

 桃田の集中力は絵本の時と打って変わって10分も持たない。シャーペンを握り直したかと思ったら、またすぐに話しかけてきた。

「で、やるのか?」
「何を」

 わかっていた。何について聞かれているのか。でも素直になれなず無駄な会話をする。

「読み聞かせ」
「うーん。どうしてほしい?」
「俺はさっくんにやってもらいたいって前から言ってんだろ」
「どうしよっかなー」

 好きだと自覚したら、好きな人にかけられる一言一言すべてに、感情も持つようになっていた。頼られているのが嬉しくニヤニヤしながらあやふやな返事をすると、桃田は眉をピクッと上へ動かす。

「やりたいって顔に書いてあんぞ」
「そんなこと……!」

——素直に言えない。やりたいと、言えばいいのに。
 眉間に皺を寄せて口を突き出してしまう。すると、桃田は机から身体を乗り出すと、眉間を細く骨張った指で押される。

「……っ」

——人の気も知らないで……何してくれてんだ。

「やる。やるって……」

 籠り声で視線を逸らして言うと、桃田は小さく口角をあげ満足気にまたシャーペンを持ち直した。書く速さが軽快になったのは気にするまでもなかった。
 やると言った手前、スマホを触るのが億劫になり1冊の絵本を手に取る。それは『おおかみさん と おはなさん』という一度読んだものだ。満足に読めなかったことから自然と手が伸びたのかもしれない。
 しかし今日は桃田が居座っている。緊張から練習しづらく呼吸が浅くなったことで短く吸った息をゆっくり吐いた。

「俺の前でもやっていいって」

 声を出さないことがバレ、笑いを堪えるのを必死そうに言う桃田に、顔がカッと熱くなる。

「わかってる!」

 桃田に反発した声の半分も声を出さずに読む。

『おはなさん は きいろい』
『きらきら さいた』
『おおかみくん は いいました。』
『「ぼく が たべちゃうぞ」』
『「がおー!」』

 ピタリと、また同じところでページを捲る手が止まる。相変わらず棒読みに聞こえたのもあったが、俺は思考を巡らせていた。
 この花と狼は最終的に友達になる。ここで目一杯怖そうにすれば、狼が友達になったときの嬉しいという感情が伝わりやすいんじゃないか。
——いや、感情は込めないんだった。
 試行錯誤という言葉を心の奥にしまい込んでしまった俺にとって、誰かのアドバイスをもらうという選択肢は消えてなくなっていた。
 声は徐々に大きくなり、桃田の前で読み聞かせの練習に慣れてきた頃、部活終了を知らせるチャイムが鳴った。
——棒読み感はあんま変わらなかったな。
 あれから練習していても桃田は何も言わなかったし、俺も何も聞けずにいた。
——センスあるって言っていた桃田が何も言えないほどに酷い読み聞かせなのかもしれないな……。
 想像するばかりで不安を募らせて部活の時間を終える俺とは裏腹に、鼻歌を歌いながら教室の鍵を閉めた桃田が突然振り向く。

「来週のこの時間は、学校じゃなくて市の図書館に行くぞ」
「駅前にある大きいとこか?」
「そうだ」

——何をしに行くんだ?

「なんで……」
「読み聞かせ。子どもたちにしてもいいって言われたんだよ」

 どこからそんな話をしていたのか検討もつかなかったが、すでに決まっていると言う。
——今の俺にできるわけない……。