嘘寝は猫にバレる



 不安を抱えている桃田を見てたら思い出したんだ。
 見てたから。一年の時に、絵本を読めていない桃田のことを見てた。
 元は、おとなしめな印象だ。黒髪で制服も着崩してはいなかった。それを目にしたのは一瞬で派手な髪色になったから分からなかったんだ。
 正直話を聞くまで、曖昧な記憶だったそれを思い出せてからは、桃田が何を考えているか少し分かった気になった。
 手を握る桃田の力が強くなる。
 ——まだ不安か。

「まだ何かあるだろ」
「さっくんの……なんでもない」

 俺に嫌われることも解消されたと思ったんだけどな。
 桃田がぽつりと言葉をこぼす。

「……さっくん。部活が終わったら、どうするんだ?」

 何の話だ? この先の話?
 目の前のことでいっぱいいっぱいだった俺とは違う。先のことを考えて不安になるくらい、桃田は優しい人。

「好きだなぁ……」

 無意識に口にした言葉は、桃田に豆鉄砲をくらわせる。
 当たり前なのに、そんな驚かれるなんてちょっと傷ついたとは、今の桃田には言えない。

「言う相手違うだろ……」
「え……⁇」
「教室の……聞いてたし、見てたし……」
「あ。いや、あれは太一に言ったんじゃない!」

 桃田は信じきれていなさそうだ。
 一回の出来事で容易く崩れてしまう。
 ——どうしたら伝わるんだろう。
 桃田の不安を解消できるのは俺しかいない。むしろ、俺以外だったら、吐くほど嫌だ。 
 『好きを証明する』か。

「俺が証明するよ。桃田への好きを」
「は? どうやって……」
「絵本。たさきももの絵本だよ」
「『大きなちっぽけ』って桃田……サトルのことだよね?」
「え?」

 俺が、桃田のお母さんのことを知ってから何度も繰り返して読んだ絵本がこれだった。
 刊行された年は、俺たちが中学生のときで、おそらく入院中に描いたものだろう。俺たちが幼い頃にはなかった。書店に行かなけれな出会えなかった絵本。
 ——これは運命さえも驚くだろう。

「山に登って、頂上で叫ぶと夢が叶うってやつ」
「あ、あぁ。知ってるけど……」
「俺は今からそれをしに行く」

 ——多分、あれは努力して努力して登り続けることへの比喩だろう。そして、夢を持ち続けてほしいというメッセージ。
 桃田のお母さんは、中学生の桃田に手を差し伸べる方法が、絵本ならどこかで読むことを知っていたから。

「……何言ってんだ」
「今から俺が行って帰ってくるまでに気持ちが変わらなかったら一生一緒だ」
「どうして、そうなるんだよ」
「頂上で叫ぶ言葉だよ。それが俺の夢だから」
「さっくん……」

 俺は桃田が好き。
 “好き”にまっすぐな桃田が好き。
 俺のことを見ていてくれる桃田が好き。
 いつかまっすぐになれなくなっても、回り道をしても、時間がかかってででも……俺の自分勝手をぶつけてでも桃田はひとりじゃないと、証明して……
 それから、俺も同じ気持ちだと分かってもらうんだ。
 俺の桃田のことを好きすぎる思いを伝えるためなら、どんなことでもする。
 俺に振り回されてしまえばいい。
 だって、桃田は俺のことが好きなんだから、振り回されたくなくてもそうなってしまうんだ。

「俺の巻き添え食らっちゃえ」
「さっく……」

 桃田が俺の名前を呼ぶ前に、部室を抜け出した。
 ——今名前を呼ばれたら、俺まで泣きついてしまいそうで。
 でも、証明したい。知ってるから。誰よりも……桃田が俺のことを好きだと。俺も桃田が好きすぎて手放せなくなっていることも。
 あぁ。心臓がバクバクなってる。
 ——怖い。怖い……
 履き替えた上靴をしまったかどうかも確認できないまま、必死で外へ飛び出した。
 唇が震える。
 ただ俺の気持ちを受け取ってほしい。だけど、それでも足りなかったら? 伝わらなかったら?
 俺も桃田が好きなのに……
 ——不安になってどうするんだ……
 しかし目頭が熱く、まったく制御の効かない涙が溢れ出ていき止まらない。

「さっくん‼︎」
「も、もた……なんで」
「俺の方が足はえーんだよ」

 振り向く前にハグされた。それはもうガッチリと。離さないと言わんばかりに。

「山に登るとか登らないとかどうでもいい」
「証明するって……!」
「分かってるから! 分かってる……さっくん、ありがとう」
「でも……!」
「『登り切った山の頂上で叫ぼうとしましたが、それは叶っていました。』」

 たさきももの絵本……

「……『しかし下に降りる道は繋がっていません。すると、目の前に新たな山が現れました。』」
「『次はどんな夢? きっと、叫ばずとも叶えられます。まだ先に進んでいけると、足を踏み出しました。』」

 覚えているくらいに好きなんだ。
 暖かい気持ちになれるのに、背中を押してくれている絵本。

「口約束でもいい。俺を好きで、ずっと隣にいて。願いも不安も全部、さっくんにちゃんと言葉にする。だから、さっくんの言葉を俺が全部聞きたい」

 俺の背中に項垂れる桃田にまた泣きそうになった。本当は、桃田の言葉で聞きたかったんだ。
 でも俺を動かしたのは紛れもなく絵本で、なかったら……方法がわからなかった。
 俺は安心から、その場で堪えきれなくなった涙をボロボロと流し続けた。
 向き合うように桃田はずっと俺のことを大切そうに包み続けてくれていて、それが暖かかった。俺は桃田の腕の中から顔を出して見上げる。
 愛おしそうな目をする桃田に撫でられた。と、桃田が俺の涙を拭いながら言う。

「付き合う?」
「当たり前、だ……」



 泣いたことでボロボロになった顔を俯かせ隠すように部室に戻る途中、ずっと指を一本だけキュッと握られながら歩いた。
 部室に入ると、桃田が一番手前の席に座る。
 この場所が好きなのは、桃田がいたから。俺の許容を超えた“好き”の感情が自然と口から溢れ出す。

「好き」

 桃田が俺を見上げて、「うん」と小さく相槌打つ。
 言葉に、気持ちが素直に乗っていく。

「桃田、好き」

 何回でも言いたい。

「おいで、さっくん」

 桃田の言葉に誘われ一歩踏み出した瞬間、腕を引き寄せられ俺は椅子に膝を立ててなるべく近くにいれる体制で抱きついた。

「大好きだよ」

 耳の近くで桃田の低くて優しい声が響く。
 鼓動が一気に早くなった。
 ——全部伝わってしまえ。
 桃田が俺の火照る耳から首筋にかけて、なぞるようにキスをする。
 ——もどかしい……
 すると、ハグしたまま桃田に片手を恋人繋ぎにされる。絡んだ指を、優しく摩られると、俺の目を見て言った。

「バカみてえに恋してる」

 また、ぎゅっと力を入れ抱きしめられた。
 まったく離そうとしない桃田を見上げる。
 ——今の俺、期待してる。

「キス、しないの? その……唇に……」
「してくれてもいいけど?」

 意地悪に言う桃田にムッとした顔をして見せる。
 でももう自分に嘘はつきたくなどない。いや、つけるはずもない。
 “好き”にブレーキなんていらないんだ。

 俺は桃田の腕を掴んでバランスを取る。そして、桃田の薄い唇に俺の唇をそっと重ねた。
 ——びっくりしてやんの……ん⁉︎
 一瞬離れた唇は、また一度、もう一度と繰り返し重ねられる。

「も、もういいだろ!」

 ——足りない。足りないけど、ここでは……

「足りない」
「桃田……っ!」

 またすぐにキスされる。
 キスしているときにソッと頬を撫でられ、首を傾けて身体を預けた。
 部活の終わりを知らせるチャイムがなり、身体をびくつかせる。

「終わりだ!」
「あーあ」
「『あーあ』じゃない! ほんとどんだけキスするんだよ。こうなりそうだったから、発表終わるまで言えなかったのに……」

 ブツブツと文句を垂れる俺に対して、桃田は爆笑している。

「嫌じゃなかったくせに、よく言うわ」
「いっ!」

 ——さっきまで勘違いしてたクセによく言う‼︎
 急接近した桃田の顔に対処できず、バランスを崩し部室の扉に背を打ちつける。
 当然のように、押し付けられた唇に抵抗はできるはずなかった。
 ——嬉しいんだ。
 嫌われてると思っていたなんて嘘みたいだ。
 ——“好き”で良かった。



 教室で、絵本を読む桃田はクラスメイトに囲まれている。
 ——俺の桃田なのに……
 独占欲は隠さない。けど、教室では少し隠す。
 ——あ、寝た。
 周りの視線がうるさかったんだろうな。まぁ、あと……

「ハレ、今日の課題やった?」
「コミュ英? やったよ」
「うわぁぁ、お願いします! 誰もやってなくて頼りになるのはハレ様だけなんです‼︎」
「いーや。俺らは今日当たらないからわざとやってないんですーー」
「そうだそうだ! ってことで、俺らにも見せて、ハレ様ー」
「ハレ“様”は止めろ」
「はぁい」

 俺は友人たちにノートだけ渡し、桃田を見やる。
 さて、寝てるけど、あれは声かけて欲しさの不貞寝かな。

「桃田、おはよ」
「うん。おはよう、さっくん」
「今日の部活は何するの?」
「今日は————」

 毎日が、いろんなこと、いろんな人と彩られる“好き”を、どんな転び方もどんな喜びも、絵本のように色とりどりに表紙をめくって新しい物語を彩りたい。
 そこには桃田がいないと始まらない物語があるから。