嘘寝は猫にバレる



 不安を抱えている桃田を見てたら思い出したんだ。
 見てたから。一年の時に、絵本を読めていない桃田のことを見てた。
 元は、ヤンキーとかじゃなくておとなしめな印象だ。黒髪で制服も着崩してはいなかった。それを目にしたのは一瞬で派手な髪色になったけど覚えている。正直話を聞くまで、曖昧な記憶だったそれを思い出せてからは、桃田が何を考えているか少し分かった気になった。
 手を握る桃田の力が強くなる。
——まだ不安か。
 俺が嫌われることも俺に嫌われることも解消されたと思ったんだけどな。
 桃田がぽつりと言葉をこぼす。

「……さっくん。俺がもし、もし“好き”にまっすぐになれなくなったら好きじゃなくなるか?」

 何の話だ? この先の話?
——ずっと一緒にいてくれるつもりでいてくれている……?
 目の前のことでいっぱいいっぱいだった俺とは違う。先のことを考えて不安になるくらい、桃田は優しい人。

「好きだなぁ……」

 無意識に口にした言葉は、桃田に豆鉄砲をくらわせる。
 当たり前なのに、そんな驚かれるなんてちょっと傷ついたとは、今の桃田には言えない。
——どうしたら伝わるんだろう。
 その不安を解消できるのは俺しかいない。むしろ、俺以外だったら、吐くほど嫌だ。 
 この先か。
 俺の考えはひとつしかない。
——ずっと一緒にいたいな。今だけじゃなくて、これからも。

「俺が証明するよ。桃田への好きを」
「は? どうやって……」
「絵本。ももたさきの絵本だよ」
「『ちっぽけ』って桃田……サトルのことだよね?」
「え?」

 俺が、桃田のお母さんのことを知ってから何度も繰り返して読んだ絵本がこれだった。
 刊行された年は、俺たちが中学生のときで、おそらく入院中に描いたものだろう。年少向けだったから俺たちが幼い頃にはなかった。書店に行かなけれな出会えなかった絵本。
——これは運命さえも驚くだろう。

「山に登って、頂上で叫ぶと願いを叶うってやつ」
「あ、あぁ。知ってるけど……」
「俺は今からそれをしに行く」

——多分、あれは努力して努力して登り続けることへの比喩だろう。
 主人公は、全く頂上に辿り着けなくて、行き止まりに阻まれたり悪天候に見舞われたりと散々な道中。
 でも、途中で出会う様々な人のおかげで頂上まで辿り着くことができる物語。『ちっぽけ』だと思っている主人公を応援していると俺は捉えた。
 桃田のお母さんは、中学生の桃田が好きに苦しんでいる姿に手を差し伸べる方法が、絵本ならどこかで読むことを知っていたから。

「……答え出てるんでしょ」
「今から俺が行って帰ってくるまでに気持ちが変わらなかったら一生一緒だ」
「どうして、そうなるんだよ」
「頂上で叫ぶ言葉だよ。それが俺の願いだから」
「さっくん……」

 俺は桃田が好き。
 “好き”にまっすぐな桃田が好き。
 俺のことを見ていてくれる桃田が好き。
 いつかまっすぐになれなくなっても、回り道をしても、時間がかかってででも……俺の自分勝手をぶつけてでも桃田はひとりじゃないと、証明して……
 それから、俺も同じ気持ちだと分かってもらうんだ。

「俺の巻き添え食らっちゃえ」
「さっく……」

 桃田が俺の名前を呼ぶ前に、部室を抜け出した。
——今名前を呼ばれたら、俺まで泣きついてしまいそうで。
 でも、証明したい。知ってるから。誰よりも……桃田が俺のことを好きだと。俺も桃田が好きすぎて手放せなくなっていることも。
 あぁ。心臓がバクバクなってる。
——怖い。怖い……
 履き替えた上靴をしまったかどうかも、必死で外へ飛び出した。
 唇が震える。
 ただ俺の気持ちを受け取ってほしい。だけど、それでも足りなかったら? 伝わらなかったら?
——俺の方が不安になってどうするんだ……
 しかし目頭が熱く、まったく制御の効かない涙が溢れ出ていき、道を作る。

「さっくん‼︎」
「も、もた……なんで」
「俺の方が足はえーんだよ」

 振り向く前にハグされる。それはもうガッチリと。離さないと言わんばかりに。

「山に登るとか登らないとかどうでもいい」
「証明するって……!」
「分かってるから! 分かってる……さっくん、ありがとう」
「でも……!」
「口約束でもいい。俺を好きで、ずっと隣にいて。願いも不安も全部、さっくんにちゃんと言葉にする。だから、さっくんの言葉を俺が全部聞きたい」

 俺の背中に項垂れる桃田にまた泣きそうになった。本当は、桃田の言葉で聞きたかったんだ。神頼みもいいけど、話すことができればお互いの一番の安心材料だと分かっていたから。
 俺は安心から、その場で堪えきれなくなった涙をボロボロと流し続けた。
 向き合うように桃田はずっと俺のことを大切そうに包み続けてくれていて、それが暖かかった。俺は桃田の腕の中から顔を出して見上げる。
 愛おしそうな目をする桃田に撫でられた。と、桃田が俺の涙を拭いながら言う。

「付き合う?」
「当たり前、だ……」



 泣いたことでボロボロになった顔を俯かせ隠すように部室に戻る途中、ずっと指を一本だけキュッと握られながら歩いた。
 部室に入ると、桃田が一番手前の席に座る。
 この場所が好きなのは、桃田がいたから。俺の許容を超えた“好き”の感情が自然と口から溢れ出す。

「好き」

 桃田が首だけで振り返る。

「桃田、好き」

 何回でも言いたい。

「おいで、さっくん」

 桃田の言葉に誘われ一歩踏み出した瞬間、腕を引き寄せられ俺は椅子に膝を立ててなるべく近くにいれる体制で抱きついた。

「さっくん、嬉しい。大好きだよ」

 耳の近くで桃田の低くて優しい声が響く。
 鼓動が一気に早くなった。
——全部伝わってしまえ。
 桃田が俺の火照る耳から首筋にかけて、なぞるようにキスをする。
——もどかしい……
 すると、ハグしたまま桃田に片手を恋人繋ぎにされる。絡んだ指を、優しく摩られると、俺の目を見て言った。

「愛してる」

 また、ぎゅっと力を入れ抱きしめられた。
 まったく離そうとしない桃田を見上げる。
——今の俺、期待、してる。

「キス、しないの? その……唇に……」
「してくれてもいいけど?」

 意地悪に言う桃田にムッとした顔をして見せる。
 でももう自分に嘘はつきたくなどない。いや、つけるはずもない。
 “好き”にブレーキなんていらないんだ。

 俺は桃田の腕を掴んでバランスを取る。そして、桃田の薄い唇に俺の唇をそっと重ねた。
——びっくりしてやんの……ん⁉︎
 一瞬離れた唇は、またもう一度、もう一度と繰り返し重ねられる。

「も、もういいだろ!」

——足りない。足りないけど、ここでは……

「足りない」
「桃田……っ!」

 またすぐにキスされる。
 キスしているときにソッと頬を撫でられ、首を傾けて身体を預けた。
 部活の終わりを知らせるチャイムがなり、身体をびくつかせる。

「終わりだ!」
「あーあ」
「あーあじゃない! ほんとどんだけキスするんだよ。こうなりそうだったから、発表終わるまで言えなかったのに……」

 ブツブツと文句を垂れる俺に対して、桃田は爆笑している。

「嫌じゃなかったくせに、よく言うわ」
「いっ!」

——さっきまで勘違いしてたクセによく言う‼︎
 急接近した桃田の顔に対処できず、バランスを崩し部室の扉に背を打ちつける。
 当然のように、押し付けられた唇に抵抗はできるはずなかった。
——嬉しいんだ。
 嫌われてると思っていたなんて嘘みたいだ。桃田は人付き合いが下手だし、俺は素直になれない。凸凹で不器用な俺たちだけど、“好き”で良かった。



 教室で、絵本を読む桃田はクラスメイトに囲まれている。
——俺の桃田なのに……
 独占欲は隠さない。けど、教室では少し隠す。
——あ、寝た。
 周りの視線がうるさかったんだろうな。まぁ、あと……

「ハレ、今日の課題やった?」
「コミュ英? やったよ」
「うわぁぁ、お願いします! 誰もやってなくて頼りになるのはハレ様だけなんです‼︎」
「いーや。俺らは今日当たらないからわざとやってないんですーー」
「そうだそうだ! ってことで、俺らにも見せて、ハレ様ー」
「ハレ“様”は止めろ」
「はぁい」

 俺は友人たちにノートだけ渡し、桃田を見やる。
 さて、寝てるけど、あれは声かけて欲しさの不貞寝かな。

「桃田、おはよ」
「うん。おはよう、さっくん」
「今日の部活は何するの?」
「今日は————」

 毎日が、いろんなこと、いろんな人と彩られる“好き”を、どんな転び方もどんな喜びも、絵本のように色とりどりに表紙をめくって新しい物語を彩るんだ。