嘘寝は猫にバレる



 さっくんには頼られる存在でいたいと思っていたし、頼られていたんだと思う。努力をすることに怖さを感じているのは、中学の頃のことを知っていたから理解できた。さっくんに頑張ってほしいと思うあまり、わざと口を挟まないで見守ったりしていた。
——見守るだとか、なんて上から目線なんだ。
 実際に頑張る姿に俺のおかげかもと、心の奥底で優越感を感じてしまっていたのかもしれないと思い返す。
 そのクセ、読み聞かせをやらないと言われたときか、読み聞かせに戻してほしいと言ったときか、さっくんは変わり始めていたと気がついたときにはもう遅かった。
 俺の方が置いて行かれているみたいで、どうしたら、また読んでくれるか友達のいない俺にとって方法が分からなかった。
 発表の当日に壇上の袖で、さっくんが俺の方を見ずにまっすぐと壇上を見通した瞬間、頼っていたのは俺の方だと真実を突きつけられた。それゆえに、さっくんには最低な俺じゃない方がいいかもと思ってしまった。
——思いたくもないけど……一度でも頭をよぎると思考がその場で停止してしまい、次第に俺じゃなくてもいいんだと浸透していく。
 絵本は好き。この世界で一番と言ってしまうほどに好き。
 さっくんは、隣にいてほしい。
——本当は俺じゃないと嫌だ。
 教室でさっくんはずっと俺に話しかけようとしてくれている。
 さっくん以外の人とは話せるのに、さっくんに話しかけられたら顔も合わせられない。
——本当に俺で良いの……?
 足が速くてよかったと、こんなところで実感しても嬉しくない。

 部室には癖で行ってしまう。家に帰っても一人だからか、誰かが同じ空間にいる瞬間を一秒でも伸ばしたい。
——誰か(・・)が来る確証もないのに、本当は心のどこかでさっくんが俺のことを好きだと信じすぎているのかもしれない。
 絵本を読むのは辞めた。いや、本当は読みたい。でも、なぜだか手が伸びないんだ。読み聞かせをしてもらって嬉しかったはずなのに、俺にとって嫌な思い出にしてしまったのか。
——俺が頼んだのに……やっぱり俺は最低だ。
 絵本も読まず、さっくんのことを避け続ける俺に『桃田、何考えてるの?』と聞かれても返事ができない。返事する言葉がないんだ。
 避けている理由がこれだけではなかったからだ。
 さっくんが告白をしてくれたのは、「榊晴天は俺のこと好きなんだぞ」って全校生徒に言って回りたいほど嬉しかった。
 でも同時にどうしようもない不安に襲われた。
 好きを笑われる恐怖。山ほど噂されたことも、全部俺1人だったからどうでもよかった。噂程度かすり傷だったけど、さっくんまで言われたら?
——俺のせいで、さっくんが笑われるのは嫌だなぁ。
 俺、何考えてんだろうな。
 俺の好きなモノだったはずなのに、いつの間にかさっくんがいないと突然崩れ始めてしまうモノになっていた。
 好きなのに、好きでいてくれていると分かっているのに……先に進むのが怖くなる。
——こんな感情は初めてで、解決の糸口が見当たらない。
 さっくんはまっすぐな俺が好きなんだろうな。なら、まっすぐを貫き通さないと……だけど、俺のまっすぐは時より他人によって笑われる。それに絵本も読めなくなった俺の“まっすぐ”はすでにどこかで折れていた。
——どうすればいい? こんなときに嫌われたくないって思うなんて虫が良すぎる。
 目線も合わせずに言葉を放つ。

「何も、考えてない」
「……え?」

 自分で言っておいて矛盾と嘘ばかりで、苦しい。

「そんなわけないだろ?」

 目の前の席でさっくんが笑う。
——なんで?
 笑う要素なんてひとつもない。
——もしかして揶揄われた?

「あ、笑って悪かった。桃田は意味もなく避けるとかやらないだろ……わかりやすい嘘つくな」

 なんか前にも同じことをしてしまっていると思い出す。
——そうだ。中学のこと話したときだ。
 その時とは状況が違うけど、やっぱりさっくんにはバレてしまうんだ。
——だって、さっくんは俺と向き合ってくれているから。
 バレるなんて当然だ。それでも嘘をついたのは、常にこっちを見てくれているさっくんにもっと、見て欲しいと思ってしまったからか?
——子供っぽ……
 俺の中で感情と感情がぶつかり合って悲鳴を上げる。
——どうすればいいのか、わからない。
 俺がまた黙り込むと、さっくんは首を少し傾け顔を覗き込まれた。

「おねがい。好きな人が困っているのに、何もできないのは辛いんだ。桃田の言葉が欲しい」

 俺の言葉……
——言ってもいいってことだよな。
 さっくんには敵わないと胸の内を声で話すことにした。

 思っていたこと、すべてを曝け出す。
 正直、めっちゃダサいと思う。それでも、さっくんは相槌を打って聞いてくれていた。
 一通り話したところで、さっくんが俺の目をまっすぐと見透かすように見る。

「桃田は、俺に嫌われるのが怖い? それとも俺が嫌われるのが怖い?」
「……どっちも」

 それだけじゃない。いつの間にか、俺の中にいないといけない人ができてしまったことが一番不安だ。
 感情がぐちゃぐちゃになる。

「どっちも怖かったし、それに……俺の“好き”がさっくん一人の行動で容易く崩れてしまうくらいで……自分の絵本への覚悟がその程度だったと、気付かされて……」

 必死に言葉にしようとする俺の前でまた、さっくんがにんまりと笑う。今回は、笑いを溢れるのを抑えようとしている感じはしたが顔にしっかりと出ていた。

「俺のこと大好きってことじゃん?」

——大好きだよ!
 でも、それが引っかかりになってる。
 ……
 引っかかりになって、どちらかを諦めなくてはいけないのだとしたら……俺は…………
 ぷつりと糸が切れる音がした。
 目の届かない自分の真後ろの棚に置いておいた絵本をすべて取り出す。

「桃田?」

 さっくんが好きなのはやめることはできない。じゃあ、どれに付随する不安も恐怖もなくして仕舞えば……
 好きなモノを笑われるのが怖くて。俺が噂の立たないような格好ができれば。ベルトもピアスも外していく。
——嫌だ……。好きなモノを否定している。でも……
 呼吸が浅くなって奥歯を噛み締める。
 もうブレーキはかけられなかった。

「こんなの知らない……! 絵本なんて!」
「桃田‼︎」

 手首を掴まれ振り上げた腕を阻止される。
 すぐにその手を離され、俺の勢いは失速し腕の力が抜けた。
 さっくんが、俺の手をギュッと握る。その手を握り返すことはできなかったけど、嬉しさが溢れジワリと耳の後ろが熱い。

「桃田、前に聞いたこともう一回聞くぞ」
「なんだ、よ……」
「どうして教室であんな感じなの?」
「俺は好きなことを笑われるのが嫌だって言っただろ……」

 絵本が好きであると、言えないのが情けなかった中学生。
 図書室で籠って読み漁った日々は、誰にも邪魔されなくて安心できた。好きを貫けるなら殻にこもってでもして見せた。
 高校に入ってもそれは変わらなくて、しばらく経った頃に、自分の髪の毛を染めて、好きなブランドのベルトとアクセサリーを身につけた。派手になったおかげで、周りから話しかけられることはなく絵本も読める。一石二鳥とまで思った。
——それなのに……そうはいかなくなった。

「うん。そうだと思った。俺も同じだよ」
「同じ……」
「そ」
「でも俺は、もうまっすぐでもなんでもなくなって……さっくんさえ笑わなければなんでもいいと思ってる」
「そうには見えないよ。桃田は好きにまっすぐだよ」
「何を持ってそんなこと言えるんだ!」
「桃田のことが好きな俺が見てたんだ。当たり前だろ?」

——……あ。
 コトンと胸の奥で落ちる音がする。
 近くにあることほど気付けないのはなぜだろうか。
 俺もそうだったのに。さっくんのこと一番近くで見てたんだ。だから読み聞かせをやりたいと思っていることが分かった。
 それはもう当たり前に、疑いもしなかったけど、きっと、さっくんもあの時不安や恐怖と戦っていたのかもしれない。
——好きだからこそ。

 さっくんが肩で大きく息を吐く。
 こんな癇癪起こして、もしかして……
——嫌われた?
 俺はキュッと小さく握り返す。

「よかった」
「は?」
「嫌いなものが同じで」

 目を瞑って笑うさっくんに、思わず“好き”だと口にしそうになる。
——言ってもいいのに覚悟が足りない。

「なぁ桃田、俺らしい読み聞かせすればいいって言ってくれただろ?」
「お、おう」
「好きなものが同じでも違ってもいいって、桃田が言ったんだぞ? 好きなモノをどういう形にしても好きでいられるんだったら、いいじゃん。好きなモノを笑われるのも怖かったし『違う』って言われるのも怖かった。けど、俺は桃田に言われて自分らしい“好き”でいることができた。それを分かったのも最近だけどね」
「うん。うん……」

 俺は自分で言った言葉を噛み締めるように繰り返し頷いた。
——さっくんに言われただけで言葉の意味がスッと入ってくる。
 自分の近くにあるモノは見落としがちで、それを拾ってくれる人がいるってどんなに幸せなことなのだろうか。

 好きを笑われるのが怖いんじゃない。自信がなくなるのが怖いんだ。口にしたらひとつひとつが砕かれて心が軽くなる。
 しかし未だに解消しきれない。“俺が好きに、ずっとまっすぐでいられるかどうか”。
——さっくんが好きになった理由が、俺から消えたら好きでいてもらえなくなる?
 俺はさっくんの指に自分の指を絡ませる。
 今はいいけど、この先は?

 俺はまた何も言えなくなって、たださっくんの手を握り続けた。