2月も後半に入り、発表が近づく。
桃田はすでに印刷所に原稿の提出をしたらしく、俺の読み聞かせ練習を聞いていただけになっていた。
まさか、しっかりと絵本にするとも思っていなかったので”印刷所”という言葉を聞いたとき焦った。焦ったどころではない。部活だから、紙芝居になると勝手に解釈していたのだ。
*
あっという間に部活の成果発表会が来た。
途中で印刷所から絵本が届いたらしいが、中身は見させてくれなかった。
——俺が読み聞かせるのに、見せないってなんだ?
練習できないことが、あまりにも不安だ。
前の発表していた部活であるサッカー部が横を通過した瞬間、心臓がキュッとする。
「ハレ? なんでいんの?」
「……部活入ってるからだよ」
帰宅部だと思っているクラスメイトのひとりだ。そいつは「知らなかった」と静かにこぼし、さっさと全校生徒の集まる壇上の下へ行ってしまった。
「サッカー部ありがとうございました!」
「えっと? 文芸部? あったんだ」
「お願いしまーす」
全部を口に出す進行役のやる気のなさは俺のやる気をなくす……なんてことはない。
壇上の中心に1つだけ置かれた椅子。誰もいない場所に設置されたパイプ椅子は、無機質でありながらなんだか、そこに進みたくなる。
「あの椅子、俺が置いたんだ。心強いだろ?」
「あぁ」
桃田が置いた椅子というだけなのに、気持ちが伝わってきて納得できた。
そして、桃田は何も言わず、ただ背中にそっと触れられる。少し前に押し出すように力を込められた。それがすごく暖かかった。
壇上の脇に吊り下げられてるカーテンから一歩踏み出す。
聞こえてくる声は、予想通りだった。
「あれ、ハレくんじゃない?」
「まじか。あいつウケるんだけど」
仕方ないだろ? 前に踏み出したいと思ってしまったんだ。
背筋を伸ばし、堂々と歩く。恥じることなど一切ない。
椅子の横まで来て軽く挨拶をした。
「文芸部の成果発表を始めます。今年は絵本を制作しました」
誰も聴いていないザワついた体育館。1人強く視線を送ってくれる人がいるだけでこんなに心強いなんて思わなかった。
——大丈夫。
足を横に一歩踏み出し、無駄な動きを一切せずに椅子に座る。遠くの人には見えないだろう小さくて、でも存在の大きな絵本を全校生徒に向けた。
心臓が口から出そうなくらいうるさく高鳴っている。
実は、サボった日を境に教室では、皆が気まずそうにしていたものの、時間が解決してくれた。そして俺は猫被るのをやめれると思っても、結局できなかった。
もちろん教室で桃田とは話せず終いだ。
教室では2人で話せないことを分かっていたから、俺のこと連れ出したんだと思う。
——桃田は、俺のことを分かりすぎてる。かなわないなぁ。
瞼を閉じて、一呼吸した。
始めのタイトルは無機質に読む。
『うそねは、ねこにばれる』
『文・絵、桃田 サトル』
「桃田?」と、ざわつく中、表紙をめくる。絵本の世界に出発した俺には、既に他の人の声は聞こえなかった。
『ここは 動物が たくさん くらす 町』
『ある日 いぬさんが 一匹 いました。』
『その いぬさんは 電車に のるのが だいすき でした。』
『ガタン ゴトン』
『「今日は どこに いこう」』
『おそとを 見ても 雲が たくさんあって つまらない。』
『ねこの しゃしょうの ねこさんは いいました。』
『「きみは うそつきだ」』
『ガタン ゴトン』
『「どうして?」』
『「電車に のった」』
『「ダメ なの?」』
『「この電車は 前にしか進めないんだ」』
『電車が 止まりました。』
『「うそを ついてまで 前に進むのか?」』
『「うそなんて ついてない」』
『電車は 動きません。』
『いぬさんは うそを ついているのです』
『「それは なに?」』
『「な、なんだろう」』
『いつも なかを しらずに もっていた 小さな はこ。』
『「なかを みるのは こわい?」』
『いぬさんは はこを なげてしまいました。』
『「ワンッ! こんなの知らない!」』
『「知らなくないよ」』
『ねこさんは はこを ひろいます。』
『しかし いぬさんは はこを 受け取りません。』
『「いらない!」』
『ねこさんは めげません』
『「いっしょに あける?」』
『いぬさんと ねこさんは いっしょに はこに ついている リボンを ほどきました。』
『「ぼくが すきだった くつだ」』
『いぬさんは この くつが だいすき でした。』
『でも こわれた くつは もう はくことが できません。』
『こんどは こわれた くつを なげようとしました。』
『「まだ はけるよ」』
『ねこさんが 止めます』
『すると ねこさんは くつの ぬのを すこし わけてやりました。』
『「わぁ!」』
『その ぬので いぬさんの くつが なおり また はくことが できました。』
『そらは たいようが こんにちは と のぞきます。』
『ガタン ゴトン』
『電車が 動き出しました。』
『いぬさん号 しゅっぱつ しんこう!』
最後の1文字が余韻になって、俺の頭に残り続ける。
——こんな景色見ることになるなんて……
どんな目で見られていられるのか、生徒がどう思っているのか、目視できるはずもない。けど、わかるのは驚かれていることだけはうっすら感じ取った。
——終わった。終わってしまった。
まだ俺にはできることがあったことももっと練習すれば良かったと思うことも、すべてが押し寄せると同時に感じる”好き”にまた向き合えて頑張れたという誇り。
浅く一礼して、壇上を後にする。
桃田が押してくれた背中にまだ、感触が残っている。
ただひとり、壇上の脇で拍手をし続けていた。その顔が見えた瞬間思わず桃田を抱きしめた。
「桃田!」
——俺、頑張ったよ。
「大好き」
ようやく伝えられた。伝えたかった言葉。
桃田が抱きしめ返してくれた触れている全部が暖かい。
初めて読んだのに、そんな気がしなかった。今までの読み聞かせで一番の出来だろう。
壊れた靴を投げ出しそうになったのは俺で、靴を直してくれたのは、桃田だ。
——こんなのズルすぎるだろ……
体育館から聴こえる疎らな拍手。
俺と桃田だけがわかる物語でもいい。
そう思った矢先だ。
1つの大きな拍手に変化する。誰もいない壇上、体育館には全校生徒。遮るものがない空間に響き渡る割れんばかりの拍手は、絶賛を表すには十分すぎるものだった。
「桃田!」
「……さっくん」
俺の笑顔と対照的に、どこか暗い表情を見せる桃田を不思議に思う。
「桃田?」
「ごめん。気持ちはありがとう」
「は?」
その日を境に、桃田は俺と口を利かなくなった。
*
教室にはいる。
普通に授業を受けている。
なんなら、授業の合間には話しかけられる姿も見た。絵本の製作者が桃田だと皆が知っているからだ。
——ごめんってなんだ?
俺が声をかけようとすれば逃げる。俺の方が足速いのに追いつけない。理由は、俺の方が“足が早いと思ってただけ”だからだ。
桃田の方が圧倒的に足が早かった。
——知らないことだらけだ。
好きだから避けられるのは苦しいし理由もわからないから尚更苦しくて胸が痛い。
その感情の中で新しい桃田を知ることが、どこか嬉しさがあってまだまだ知らないことだらけだと、もっと知りたくなる。
ちなみに部室はというと、開いてる。そう、開いているんだ。
桃田は、いる。
しかし絵本を……読んでいない。
——どういうこと? いつ見ても絵本しか読んでいなかったのに。
「桃田、何考えてるの?」
返事はない。
桃田のことが理解できなさすぎて俺のこと好きだよな? という言葉を飲み込んだ。
好きだと言ってくれて、いつでも待つとも言ってくれた。
期待していいか、聞くくらいに……俺のこと好きになってくれてたはずだ。
鎖骨だったけど、キスを落とされたのがドキドキして嬉しくて、桃田の好きを感じれて幸せだった。
思い出すと同時にズキリと胸が音を鳴らす。
——こんなとき好きなのに、何も知らなくて何も分からないのがこんなに苦しいなんて知らなかった。
分からないという理由で俺は、黙る桃田を見つめ続けるしかできなかった。
——桃田の言葉が欲しい。
桃田はすでに印刷所に原稿の提出をしたらしく、俺の読み聞かせ練習を聞いていただけになっていた。
まさか、しっかりと絵本にするとも思っていなかったので”印刷所”という言葉を聞いたとき焦った。焦ったどころではない。部活だから、紙芝居になると勝手に解釈していたのだ。
*
あっという間に部活の成果発表会が来た。
途中で印刷所から絵本が届いたらしいが、中身は見させてくれなかった。
——俺が読み聞かせるのに、見せないってなんだ?
練習できないことが、あまりにも不安だ。
前の発表していた部活であるサッカー部が横を通過した瞬間、心臓がキュッとする。
「ハレ? なんでいんの?」
「……部活入ってるからだよ」
帰宅部だと思っているクラスメイトのひとりだ。そいつは「知らなかった」と静かにこぼし、さっさと全校生徒の集まる壇上の下へ行ってしまった。
「サッカー部ありがとうございました!」
「えっと? 文芸部? あったんだ」
「お願いしまーす」
全部を口に出す進行役のやる気のなさは俺のやる気をなくす……なんてことはない。
壇上の中心に1つだけ置かれた椅子。誰もいない場所に設置されたパイプ椅子は、無機質でありながらなんだか、そこに進みたくなる。
「あの椅子、俺が置いたんだ。心強いだろ?」
「あぁ」
桃田が置いた椅子というだけなのに、気持ちが伝わってきて納得できた。
そして、桃田は何も言わず、ただ背中にそっと触れられる。少し前に押し出すように力を込められた。それがすごく暖かかった。
壇上の脇に吊り下げられてるカーテンから一歩踏み出す。
聞こえてくる声は、予想通りだった。
「あれ、ハレくんじゃない?」
「まじか。あいつウケるんだけど」
仕方ないだろ? 前に踏み出したいと思ってしまったんだ。
背筋を伸ばし、堂々と歩く。恥じることなど一切ない。
椅子の横まで来て軽く挨拶をした。
「文芸部の成果発表を始めます。今年は絵本を制作しました」
誰も聴いていないザワついた体育館。1人強く視線を送ってくれる人がいるだけでこんなに心強いなんて思わなかった。
——大丈夫。
足を横に一歩踏み出し、無駄な動きを一切せずに椅子に座る。遠くの人には見えないだろう小さくて、でも存在の大きな絵本を全校生徒に向けた。
心臓が口から出そうなくらいうるさく高鳴っている。
実は、サボった日を境に教室では、皆が気まずそうにしていたものの、時間が解決してくれた。そして俺は猫被るのをやめれると思っても、結局できなかった。
もちろん教室で桃田とは話せず終いだ。
教室では2人で話せないことを分かっていたから、俺のこと連れ出したんだと思う。
——桃田は、俺のことを分かりすぎてる。かなわないなぁ。
瞼を閉じて、一呼吸した。
始めのタイトルは無機質に読む。
『うそねは、ねこにばれる』
『文・絵、桃田 サトル』
「桃田?」と、ざわつく中、表紙をめくる。絵本の世界に出発した俺には、既に他の人の声は聞こえなかった。
『ここは 動物が たくさん くらす 町』
『ある日 いぬさんが 一匹 いました。』
『その いぬさんは 電車に のるのが だいすき でした。』
『ガタン ゴトン』
『「今日は どこに いこう」』
『おそとを 見ても 雲が たくさんあって つまらない。』
『ねこの しゃしょうの ねこさんは いいました。』
『「きみは うそつきだ」』
『ガタン ゴトン』
『「どうして?」』
『「電車に のった」』
『「ダメ なの?」』
『「この電車は 前にしか進めないんだ」』
『電車が 止まりました。』
『「うそを ついてまで 前に進むのか?」』
『「うそなんて ついてない」』
『電車は 動きません。』
『いぬさんは うそを ついているのです』
『「それは なに?」』
『「な、なんだろう」』
『いつも なかを しらずに もっていた 小さな はこ。』
『「なかを みるのは こわい?」』
『いぬさんは はこを なげてしまいました。』
『「ワンッ! こんなの知らない!」』
『「知らなくないよ」』
『ねこさんは はこを ひろいます。』
『しかし いぬさんは はこを 受け取りません。』
『「いらない!」』
『ねこさんは めげません』
『「いっしょに あける?」』
『いぬさんと ねこさんは いっしょに はこに ついている リボンを ほどきました。』
『「ぼくが すきだった くつだ」』
『いぬさんは この くつが だいすき でした。』
『でも こわれた くつは もう はくことが できません。』
『こんどは こわれた くつを なげようとしました。』
『「まだ はけるよ」』
『ねこさんが 止めます』
『すると ねこさんは くつの ぬのを すこし わけてやりました。』
『「わぁ!」』
『その ぬので いぬさんの くつが なおり また はくことが できました。』
『そらは たいようが こんにちは と のぞきます。』
『ガタン ゴトン』
『電車が 動き出しました。』
『いぬさん号 しゅっぱつ しんこう!』
最後の1文字が余韻になって、俺の頭に残り続ける。
——こんな景色見ることになるなんて……
どんな目で見られていられるのか、生徒がどう思っているのか、目視できるはずもない。けど、わかるのは驚かれていることだけはうっすら感じ取った。
——終わった。終わってしまった。
まだ俺にはできることがあったことももっと練習すれば良かったと思うことも、すべてが押し寄せると同時に感じる”好き”にまた向き合えて頑張れたという誇り。
浅く一礼して、壇上を後にする。
桃田が押してくれた背中にまだ、感触が残っている。
ただひとり、壇上の脇で拍手をし続けていた。その顔が見えた瞬間思わず桃田を抱きしめた。
「桃田!」
——俺、頑張ったよ。
「大好き」
ようやく伝えられた。伝えたかった言葉。
桃田が抱きしめ返してくれた触れている全部が暖かい。
初めて読んだのに、そんな気がしなかった。今までの読み聞かせで一番の出来だろう。
壊れた靴を投げ出しそうになったのは俺で、靴を直してくれたのは、桃田だ。
——こんなのズルすぎるだろ……
体育館から聴こえる疎らな拍手。
俺と桃田だけがわかる物語でもいい。
そう思った矢先だ。
1つの大きな拍手に変化する。誰もいない壇上、体育館には全校生徒。遮るものがない空間に響き渡る割れんばかりの拍手は、絶賛を表すには十分すぎるものだった。
「桃田!」
「……さっくん」
俺の笑顔と対照的に、どこか暗い表情を見せる桃田を不思議に思う。
「桃田?」
「ごめん。気持ちはありがとう」
「は?」
その日を境に、桃田は俺と口を利かなくなった。
*
教室にはいる。
普通に授業を受けている。
なんなら、授業の合間には話しかけられる姿も見た。絵本の製作者が桃田だと皆が知っているからだ。
——ごめんってなんだ?
俺が声をかけようとすれば逃げる。俺の方が足速いのに追いつけない。理由は、俺の方が“足が早いと思ってただけ”だからだ。
桃田の方が圧倒的に足が早かった。
——知らないことだらけだ。
好きだから避けられるのは苦しいし理由もわからないから尚更苦しくて胸が痛い。
その感情の中で新しい桃田を知ることが、どこか嬉しさがあってまだまだ知らないことだらけだと、もっと知りたくなる。
ちなみに部室はというと、開いてる。そう、開いているんだ。
桃田は、いる。
しかし絵本を……読んでいない。
——どういうこと? いつ見ても絵本しか読んでいなかったのに。
「桃田、何考えてるの?」
返事はない。
桃田のことが理解できなさすぎて俺のこと好きだよな? という言葉を飲み込んだ。
好きだと言ってくれて、いつでも待つとも言ってくれた。
期待していいか、聞くくらいに……俺のこと好きになってくれてたはずだ。
鎖骨だったけど、キスを落とされたのがドキドキして嬉しくて、桃田の好きを感じれて幸せだった。
思い出すと同時にズキリと胸が音を鳴らす。
——こんなとき好きなのに、何も知らなくて何も分からないのがこんなに苦しいなんて知らなかった。
分からないという理由で俺は、黙る桃田を見つめ続けるしかできなかった。
——桃田の言葉が欲しい。



