*
2月も後半に入り、発表が近づく。
サボった日を境に教室では皆が気まずそうにしていたものの、時間が解決してくれた。そして俺は猫被るのをやめれると思っても、結局できなかった。
桃田のことは触れられない話題みたいに扱われ、もちろん教室で二人で話すということは叶わなかった。
そうなることを分かっていたから桃田はあの日、俺のこと連れ出したんだと思う。
——桃田は、俺のことを分かりすぎてる。
そんな桃田はすでに印刷所に原稿の提出をしたらしく、俺の読み聞かせ練習を聞いていただけになっていた。
まさか、しっかりと絵本にするとも思っていなかったので“印刷所”という言葉を聞いたとき焦った。焦ったどころではない。部活だから、紙芝居になると勝手に解釈していたのだ。
*
あっという間に部活の成果発表会が来た。
途中で印刷所から絵本が届いたらしいが、中身は見させてくれなかった。
——俺が読み聞かせるのに、見せないってなんだ?
練習できないことが、あまりにも不安だ。
「はい。よろしく」
手渡された絵本の表紙には、猫の車掌が描かれていてクレヨン調で『うそねは ねこに バレる』とタイトルが上部に書いてある。
絵本に印刷された絵の具は、桃田の描いていた紙を横目で見た時よりもずっと濃く表現されていていた。
「こんな直前で、失敗したらどうするんだよ」
そう。すでに壇上の袖裏なのだ。
桃田に「さっくんなら大丈夫だよ」とポンと肩を叩かれる。
無責任に……と思う反面、信頼してくれているんだろうと、嬉しい気持ちさえある。
すると前の発表していた部活がが終わる。
サッカー部が横を通過する。その瞬間、心臓がキュッとした。
「ハレ? なんでいんの?」
「……部活入ってるからだよ」
帰宅部だと思っているクラスメイトのひとり、太一だ。「知らなかった」と静かにこぼし、さっさと全校生徒の集まる壇上の下へ行ってしまった。
——どう思われた?
……でももう後戻りはできない。まっすぐ前を向き直す。
——やるからには全力で。
「サッカー部ありがとうございました!」
盛り上がっていたサッカー部の発表にテンションを上げて言っている。しかし次の言葉は声のトーンを下げた。
「えっと? 文芸部? あったんだ」
「お願いしまーす」
全部を口に出す進行役のやる気のなさは俺のやる気をなくす……なんてことはない。
壇上の中心に1つだけ置かれた椅子。誰もいない場所に設置されたパイプ椅子は、無機質でありながら、進みたくなる。
「あの椅子、俺が置いたんだ。心強いだろ?」
「あぁ」
桃田が置いた椅子というだけなのに、気持ちが伝わってきて納得できた。
そして、桃田は何も言わず、ただ背中にそっと触れられる。少し前に押し出すように力を込められた。それがすごく暖かかった。
壇上の脇に吊り下げられてるカーテンから一歩踏み出す。
聞こえてくる声は、予想通りだった。
「あれ、ハレくんじゃない?」
「まじか。あいつウケるんだけど」
仕方ないだろ? 前に踏み出したいと思ってしまったんだ。
背筋を伸ばし、堂々と歩く。
恥じることなど一切ない。
椅子の横まで来て軽く挨拶をした。
「文芸部の成果発表を始めます。今年は絵本を制作しました」
誰も聴いていないザワついた体育館。一人強く視線を送ってくれる人がいるだけでこんなに心強いなんて思わなかった。
——大丈夫。
足を横に一歩踏み出し、無駄な動きを一切せずに椅子に座る。遠くの人には見えないだろう小さくて、でも存在の大きな絵本を全校生徒に向けた。
心臓が口から出そうなくらいうるさく高鳴っている。
瞼を閉じて、ひと呼吸した。
——大丈夫。
始めのタイトルは無機質に読む。
『うそねは、ねこにばれる』
『文・絵 桃田 サトル』
「桃田?」と、ざわつく中、表紙をめくる。
俺は構わず、絵本を向けられている全校生徒をこの世界に吸い込ませる覚悟で、めくった。
『ここは 動物さんが たくさん くらす 町』
『そこには いぬさんが 一匹 いました。』
『いぬさんは はじめて 電車に のります。』
『ガタン ゴトン』
『「この電車は どこに 行くのだろう」』
『おそとを 見ても 雲が たくさんあって つまらない。』
『好きだったものも なくなって おそとは つまらないこと ばかりです。』
『すると しゃしょうの ねこさんは いいました。』
『「きみは うそつきだ」』
『ガタン ゴトン』
『「どうして?」』
『「電車に のった」』
『「ダメ なの?」』
『「この電車は 前にしか進めないんだ」』
『電車が 止まりました。』
『「進んでいたじゃないか」』
『いぬさんは ふしぎに 思います。』
『「うそを ついてまで 前に進むのか?」』
『「うそなんて ついてない」』
『電車は 動きません。』
『なぜなら いぬさんは うそを ついているからです。』
『ねこさんは 指を さしました。』
『「それは なに?」』
『「な、なんだろう」』
『まいにち なかを しらずに もっていた 小さな はこ。』
『「なかを みるのは こわい?」』
『いぬさんは はこを なげてしまいました。』
『「ワンッ! こんなの知らない!」』
『「知らなくないよ」』
『ねこさんは はこを ひろいます。』
『しかし いぬさんは はこを 受け取りません。』
『「いらない!」』
『ねこさんは めげません』
『「いっしょに あける?」』
『いぬさんと ねこさんは いっしょに はこに ついている リボンを ほどきました。』
『「ぼくが すきだった くつだ」』
『いぬさんは この くつが だいすき でした。』
『お父さんが 作ってくれた 大切な くつ です。』
『でも こわれた くつは もう はくことが できません。』
『こんどは こわれた くつを なげようとしました。』
『「もういらない! はけないもん!」』
『「まだ はけるよ」』
『ねこさんが 止めます』
『すると ねこさんは じぶんの くつの ぬのを すこし わけてやりました。』
『「わぁ!」』
『その ぬので いぬさんの くつが なおり また はくことが できるようになりました。』
『そらは たいようが こんにちは と のぞきます。』
『ガタン ゴトン』
『電車が 動き出しました。』
『しゅっぱつ しんこう!』
『「ねこさん ありがとう!」』
『「うん! いぬさんは どの駅まで行く?」』
『「もう降りるよ」』
『いぬさんの 心は ワクワク しています。早く このくつで お外を あそびたいのです。』
『かっけこをしたり かくれんぼをしたり ボールであそんだり……』
『やりたいことが たくさん できました。』
『「そう」』
『ねこさんは にっこり 笑います。』
『「これからも 電車に たくさん のってね」』
『そして ねこさんは とくべつな チケットを いぬさんに あげました。』
『いぬさんは そのチケットを はこに 入れます。』
『ねこさんは 言いました。』
『「しまってしまうの?」』
『「うん。 たからもの だから。 たからものは このはこに しまうんだ」』
『いぬさんは たいせつに りぼんを むすびます。』
『ねこさんは とびらを あけてやります。』
『「また いつでも ごじょうしゃ ください」』
最後の1文字が余韻になって、俺の頭に残り続ける。
まだ心臓がバクバクとうるさい。
汎用的に使えることの練習は無駄ではなかったと実感できた。
壇上の上は高いのを見越して練習していた。
練習の時白瀬さんが座っていたのは真下。だけど、生徒がいるのは真下ではなかったとをここに立って初めて気づいた。
気づけたから、斜め下を意識せず少し絵本を立てた。もちろん頭上の照明が反射しない程度に。
桃田がどんな絵本を作っているのかも分からなくて練習するのが怖くなかったわけではない。
それでも、いろんな年齢層の絵本を読み試行錯誤した。
——試行錯誤できたんだ。
どんな目で見られていられるのか、生徒にどう思っているのか、目視で確認できるはずもない。けど、驚かれていることだけはうっすら感じ取った。
——終わった。終わってしまった。
まだ俺にはできることがあったと思う。
もっと練習すれば良かったと思うこともある。その
すべてが押し寄せると同時に感じる。
——俺、絵本が好き。
“好き”にまた向き合えて頑張れたという誇り。
浅く一礼して、壇上を後にする。
桃田が押してくれた背中にまだ、感触が残っている。
ただ一人、壇上の脇で拍手をし続けていた。その顔が見えた瞬間思わず桃田を抱きしめた。
「桃田!」
——俺、頑張ったよ。
桃田が抱きしめ返してくれた触れている全部が暖かい。
初めて読んだのに、そんな気がしなかった。今までの読み聞かせで一番の出来だろう。
体育館から聴こえる疎らな拍手。
——やっぱり、俺だったから……あんまり上手くなかったのかな……
そう思った矢先だ。
ひとつの大きな拍手に変化する。
誰もいない壇上、体育館には全校生徒。
遮るものがない空間に響き渡る割れんばかりの拍手は、絶賛を表すには十分すぎるものだった。
「桃田‼︎ 俺……」
「……さっくん」
俺の笑顔と対照的に、どこか暗い表情を見せる桃田を不思議に思う。
「桃田?」
「ごめん」
「は?」
その日を境に、桃田は俺と口を効かなくなった。
*
教室にはいる。
普通に授業を受けている。
なんなら、授業の合間には話しかけられる姿も見た。絵本の製作者が桃田だと皆が知っているからだ。
——ごめんってなんだ?
俺が声をかけようとすれば逃げる。俺の方が足速いのに追いつけない。
理由は、俺の方が“足が早いと思ってただけ”だからだ。
桃田の方が圧倒的に足が早かった。
——知らないことだらけだ。
好きだから避けられるのは苦しいし理由もわからないから尚更苦しくて胸が痛い。
その感情の中で新しい桃田を知ることが、どこか嬉しさがあってまだまだ知らないことだらけだと、もっと知りたくなる。
部室に行くべきか、悩ましい。先に教室を出て行ったのは知っていても部室にいる確証はない。
——以前までは疑いもしなかったのに。
無理やり追いかけたところで、追いつけないのは知っているから何か他の手を考えるべきだ。と、考えはするが良い案は浮かばない。
あれこれ思考を巡らせていると、教室には太一と俺になっていた。
「ハレは帰るの?」
「あー、うん。そんなとこ」
発表の後から一部のクラスメイトとは、ぎこちなくて息が詰まりそうになることがある。
そんな中、太一は話しかけてくれて前と同じように接してくれている。
——俺が、適当に接していたから。
自分にしたことが自分に返ってきて、どうすることもできない。
——桃田のこともあるし、クラスでのこともあるし。
頭がぐちゃぐちゃだ。
こんなときでも真っ先に頭に浮かぶのは、桃田だ。桃田なら何か助言をくれると思うようになっていた。
しかしその桃田と話すことも叶わない。叶わないどころか、悩みの対象だ。
俺が短くため息をつくと、太一に鼻で笑われた。
「帰るんじゃないのは分かってんだよ。部活、だろ?」
嘲笑だと思ったのは最初だけで、次に太一の放った言葉は、まったくの別物だった。
「素直に言えばいいのに」
突然、慰められたのか怒られたのかわからない言葉に戸惑っていると、太一はまだ部活行きたくないんだよな、と独り言のようにぼやきながら話し出した。
太一はサッカー部の次期部長を務めることになっているという。
チームに素直に意見を言えずメンバーがまとまらないことから、すぐに行き詰まりそうだと不安そうだ。
「ハレにだったら言えるのにな」
「俺には遠慮がないだけだろ?」
「それはそうだけど、ハレって本気で笑うことないから」
——確かに。俺は愛想笑いと言われれば否定できない。
バレてるとは思わなかったけど……
「メンバーは、前部長とかを本気で笑ってたのは知ってるから怖いんだよなー」
「あ、秘密だぞ?」と、太一が小声で言う。
「笑われてたのは、前の部長が空回っていたからなんだ」
太一が俯き顔で言う。
「俺は見て見ぬフリしてた。けど、いざ自分がその立ち位置になったら俺まで笑われるんだろうなって思って……それって頑張ったことを笑われているみたいでキツイって感じ出したら行きたくなくなっきた」
「え?」
「わかんない? なんか、こう……頑張っても部長やらなければよかったって思うのが怖いって言うか……」
「自分のしたことが怖いのか」
「自分でやるって言ったからかな。それにすでに何でアイツが部長? みたいな目で見られてるし……」
腕を思い切り伸ばして太一が叫ぶ。
「頑張って練習してただけなのにー‼︎」
——頑張って練習していただけ。
そうなんだよ。
俺も、頑張ってたんだよ。
「わか、る……」
「ハレ?」
——今、分かった。
心の奥底で眠っていた答えが目を覚ます。
——一生懸命にやったことを笑われたから、好きなものも否定したときに自分が苦しかったんだ。
ただ好きだからじゃない。好きで頑張ってきたからこそ。
俺は、ずっと、好きなモノを作らないようにしていたと自分で思っていた。その奥には頑張っていたから嫌だったという明確な答えがあったことを避け続けていた。
——よく考えれば当たり前なのに、気づこうともしなかった。
「なんでもないよ。その気持ちわかるなって噛み締めてた」
「わかるよなー。あーー行きたくねぇ……」
——怖いからこそ始めたくないのもよく知っている。
でも、やってみたら意外と、できることを……一緒に頑張ってくれる仲間を信用できることも知っている。
「まだ、始まってないだろ」
太一が目を丸くさせて驚いたあと、口角を上げた。
「……そうだな。おし! 頑張る‼︎ 頑張れ俺え‼︎」
「あはは!」
自分を鼓舞する太一に、俺まで元気をもらった気分になった。
すると太一が思い出したように言う。
「お前ら、あの空気どうにかしろー」
あの空気というのは、いつもクラスで一緒にいたメンツとぎこちないことだろう。
「ほんとにな……」
「あはははは! ま、全面的に隠してたハレが悪い!」
自覚していることを他人に改めて言われ、分かっているから早く部活に行ってくれと思う。
しかし俺の考えに反して、太一は話し続けた。
「それにしても桃田が文芸部で、しかも絵本をかけるなんてなー」
「すごいよな」
悪い噂を帳消しにする実力だ。
もうほとんどの生徒が、桃田が絵本を描ける人と認識している。
「いつから付き合ってんの?」
「は……?」
「壇上の袖が見えないと思ってたんだなーー」
声をわざとらしく大きくされる。
俺が抱きつきていたのが見えてしまっていたらしい。
——でも……
「付き合ってない」
「あ、そーなん? 空気的にそうだと思ったのに」
「残念ながら違うんだよ」
「残念なんだ」
「あ」
俺は付き合えていないことを残念に思っていると、口にしていたことに気づいたときには太一はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「好きではあるんだな」
「あー! もう! 好きだよ‼︎」
投げやりな言い方で肯定した。
——桃田のこともクラスの人たちも解決していないのに、自分の気持ちにひとつ向き合えたことで気が緩んでる……
「付き合うとかは?」
「そりゃ、考えてるけど……無理? なのかな」
「無理ってことはないだろ!」
「うーん……諦める気はないけどさ……」
——桃田がどうしたいのかが全く分からないんだよな。
俺が口籠もらせると、太一の口角が一気に上がる。
「なんだぁ? イケメンハレくんも躊躇するんだなぁ?」
「べ、別に……」
——躊躇するに決まってるだろ。嫌われたくないし。
「ほお?」
太一が肩を組んで顔を覗いて来る。
——重たい。
「恋してるねぇ」
「うるさ」
——俺の恋愛が上手くいってなくて、機嫌が良さそうだ。
するとカタンと小さな音がした。
廊下から聞こえた物音に、慌てて確認しに行く。
「も、もた……?」
よく知った背格好に、思わず声が漏れた。
——聞いてないよな?
いや、聞かれててもいいけど……
どうしているんだ?
——帰ってなかった。
つまり、今追いかければ……
*
走って追いかけて着いた先は部室だった。
桃田はいる。
両手をポケットに突っ込んで、身体を滑らせて椅子に座っている。
絵本は読んでいない。
——今しかない。
「桃田、何考えてるの?」
返事はない。
桃田のことが理解できなさすぎて俺のこと好きだよな? という言葉を飲み込んだ。
期待していいか、聞くくらいに……俺のこと好きになってくれてたはずだ。
でも俺は「うん」と言えなかった。
——期待しててほしいとハッキリ口にできていたら、変わっていたんだろうか。
思い出すと同時にズキリと胸が音を鳴らす。
——こんなとき好きなのに、何も知らなくて何も分からないのがこんなに苦しいなんて知らなかった。
分からないという理由で俺は、黙る桃田を見つめ続けるしかできなかった。
——桃田の言葉が欲しい。
2月も後半に入り、発表が近づく。
サボった日を境に教室では皆が気まずそうにしていたものの、時間が解決してくれた。そして俺は猫被るのをやめれると思っても、結局できなかった。
桃田のことは触れられない話題みたいに扱われ、もちろん教室で二人で話すということは叶わなかった。
そうなることを分かっていたから桃田はあの日、俺のこと連れ出したんだと思う。
——桃田は、俺のことを分かりすぎてる。
そんな桃田はすでに印刷所に原稿の提出をしたらしく、俺の読み聞かせ練習を聞いていただけになっていた。
まさか、しっかりと絵本にするとも思っていなかったので“印刷所”という言葉を聞いたとき焦った。焦ったどころではない。部活だから、紙芝居になると勝手に解釈していたのだ。
*
あっという間に部活の成果発表会が来た。
途中で印刷所から絵本が届いたらしいが、中身は見させてくれなかった。
——俺が読み聞かせるのに、見せないってなんだ?
練習できないことが、あまりにも不安だ。
「はい。よろしく」
手渡された絵本の表紙には、猫の車掌が描かれていてクレヨン調で『うそねは ねこに バレる』とタイトルが上部に書いてある。
絵本に印刷された絵の具は、桃田の描いていた紙を横目で見た時よりもずっと濃く表現されていていた。
「こんな直前で、失敗したらどうするんだよ」
そう。すでに壇上の袖裏なのだ。
桃田に「さっくんなら大丈夫だよ」とポンと肩を叩かれる。
無責任に……と思う反面、信頼してくれているんだろうと、嬉しい気持ちさえある。
すると前の発表していた部活がが終わる。
サッカー部が横を通過する。その瞬間、心臓がキュッとした。
「ハレ? なんでいんの?」
「……部活入ってるからだよ」
帰宅部だと思っているクラスメイトのひとり、太一だ。「知らなかった」と静かにこぼし、さっさと全校生徒の集まる壇上の下へ行ってしまった。
——どう思われた?
……でももう後戻りはできない。まっすぐ前を向き直す。
——やるからには全力で。
「サッカー部ありがとうございました!」
盛り上がっていたサッカー部の発表にテンションを上げて言っている。しかし次の言葉は声のトーンを下げた。
「えっと? 文芸部? あったんだ」
「お願いしまーす」
全部を口に出す進行役のやる気のなさは俺のやる気をなくす……なんてことはない。
壇上の中心に1つだけ置かれた椅子。誰もいない場所に設置されたパイプ椅子は、無機質でありながら、進みたくなる。
「あの椅子、俺が置いたんだ。心強いだろ?」
「あぁ」
桃田が置いた椅子というだけなのに、気持ちが伝わってきて納得できた。
そして、桃田は何も言わず、ただ背中にそっと触れられる。少し前に押し出すように力を込められた。それがすごく暖かかった。
壇上の脇に吊り下げられてるカーテンから一歩踏み出す。
聞こえてくる声は、予想通りだった。
「あれ、ハレくんじゃない?」
「まじか。あいつウケるんだけど」
仕方ないだろ? 前に踏み出したいと思ってしまったんだ。
背筋を伸ばし、堂々と歩く。
恥じることなど一切ない。
椅子の横まで来て軽く挨拶をした。
「文芸部の成果発表を始めます。今年は絵本を制作しました」
誰も聴いていないザワついた体育館。一人強く視線を送ってくれる人がいるだけでこんなに心強いなんて思わなかった。
——大丈夫。
足を横に一歩踏み出し、無駄な動きを一切せずに椅子に座る。遠くの人には見えないだろう小さくて、でも存在の大きな絵本を全校生徒に向けた。
心臓が口から出そうなくらいうるさく高鳴っている。
瞼を閉じて、ひと呼吸した。
——大丈夫。
始めのタイトルは無機質に読む。
『うそねは、ねこにばれる』
『文・絵 桃田 サトル』
「桃田?」と、ざわつく中、表紙をめくる。
俺は構わず、絵本を向けられている全校生徒をこの世界に吸い込ませる覚悟で、めくった。
『ここは 動物さんが たくさん くらす 町』
『そこには いぬさんが 一匹 いました。』
『いぬさんは はじめて 電車に のります。』
『ガタン ゴトン』
『「この電車は どこに 行くのだろう」』
『おそとを 見ても 雲が たくさんあって つまらない。』
『好きだったものも なくなって おそとは つまらないこと ばかりです。』
『すると しゃしょうの ねこさんは いいました。』
『「きみは うそつきだ」』
『ガタン ゴトン』
『「どうして?」』
『「電車に のった」』
『「ダメ なの?」』
『「この電車は 前にしか進めないんだ」』
『電車が 止まりました。』
『「進んでいたじゃないか」』
『いぬさんは ふしぎに 思います。』
『「うそを ついてまで 前に進むのか?」』
『「うそなんて ついてない」』
『電車は 動きません。』
『なぜなら いぬさんは うそを ついているからです。』
『ねこさんは 指を さしました。』
『「それは なに?」』
『「な、なんだろう」』
『まいにち なかを しらずに もっていた 小さな はこ。』
『「なかを みるのは こわい?」』
『いぬさんは はこを なげてしまいました。』
『「ワンッ! こんなの知らない!」』
『「知らなくないよ」』
『ねこさんは はこを ひろいます。』
『しかし いぬさんは はこを 受け取りません。』
『「いらない!」』
『ねこさんは めげません』
『「いっしょに あける?」』
『いぬさんと ねこさんは いっしょに はこに ついている リボンを ほどきました。』
『「ぼくが すきだった くつだ」』
『いぬさんは この くつが だいすき でした。』
『お父さんが 作ってくれた 大切な くつ です。』
『でも こわれた くつは もう はくことが できません。』
『こんどは こわれた くつを なげようとしました。』
『「もういらない! はけないもん!」』
『「まだ はけるよ」』
『ねこさんが 止めます』
『すると ねこさんは じぶんの くつの ぬのを すこし わけてやりました。』
『「わぁ!」』
『その ぬので いぬさんの くつが なおり また はくことが できるようになりました。』
『そらは たいようが こんにちは と のぞきます。』
『ガタン ゴトン』
『電車が 動き出しました。』
『しゅっぱつ しんこう!』
『「ねこさん ありがとう!」』
『「うん! いぬさんは どの駅まで行く?」』
『「もう降りるよ」』
『いぬさんの 心は ワクワク しています。早く このくつで お外を あそびたいのです。』
『かっけこをしたり かくれんぼをしたり ボールであそんだり……』
『やりたいことが たくさん できました。』
『「そう」』
『ねこさんは にっこり 笑います。』
『「これからも 電車に たくさん のってね」』
『そして ねこさんは とくべつな チケットを いぬさんに あげました。』
『いぬさんは そのチケットを はこに 入れます。』
『ねこさんは 言いました。』
『「しまってしまうの?」』
『「うん。 たからもの だから。 たからものは このはこに しまうんだ」』
『いぬさんは たいせつに りぼんを むすびます。』
『ねこさんは とびらを あけてやります。』
『「また いつでも ごじょうしゃ ください」』
最後の1文字が余韻になって、俺の頭に残り続ける。
まだ心臓がバクバクとうるさい。
汎用的に使えることの練習は無駄ではなかったと実感できた。
壇上の上は高いのを見越して練習していた。
練習の時白瀬さんが座っていたのは真下。だけど、生徒がいるのは真下ではなかったとをここに立って初めて気づいた。
気づけたから、斜め下を意識せず少し絵本を立てた。もちろん頭上の照明が反射しない程度に。
桃田がどんな絵本を作っているのかも分からなくて練習するのが怖くなかったわけではない。
それでも、いろんな年齢層の絵本を読み試行錯誤した。
——試行錯誤できたんだ。
どんな目で見られていられるのか、生徒にどう思っているのか、目視で確認できるはずもない。けど、驚かれていることだけはうっすら感じ取った。
——終わった。終わってしまった。
まだ俺にはできることがあったと思う。
もっと練習すれば良かったと思うこともある。その
すべてが押し寄せると同時に感じる。
——俺、絵本が好き。
“好き”にまた向き合えて頑張れたという誇り。
浅く一礼して、壇上を後にする。
桃田が押してくれた背中にまだ、感触が残っている。
ただ一人、壇上の脇で拍手をし続けていた。その顔が見えた瞬間思わず桃田を抱きしめた。
「桃田!」
——俺、頑張ったよ。
桃田が抱きしめ返してくれた触れている全部が暖かい。
初めて読んだのに、そんな気がしなかった。今までの読み聞かせで一番の出来だろう。
体育館から聴こえる疎らな拍手。
——やっぱり、俺だったから……あんまり上手くなかったのかな……
そう思った矢先だ。
ひとつの大きな拍手に変化する。
誰もいない壇上、体育館には全校生徒。
遮るものがない空間に響き渡る割れんばかりの拍手は、絶賛を表すには十分すぎるものだった。
「桃田‼︎ 俺……」
「……さっくん」
俺の笑顔と対照的に、どこか暗い表情を見せる桃田を不思議に思う。
「桃田?」
「ごめん」
「は?」
その日を境に、桃田は俺と口を効かなくなった。
*
教室にはいる。
普通に授業を受けている。
なんなら、授業の合間には話しかけられる姿も見た。絵本の製作者が桃田だと皆が知っているからだ。
——ごめんってなんだ?
俺が声をかけようとすれば逃げる。俺の方が足速いのに追いつけない。
理由は、俺の方が“足が早いと思ってただけ”だからだ。
桃田の方が圧倒的に足が早かった。
——知らないことだらけだ。
好きだから避けられるのは苦しいし理由もわからないから尚更苦しくて胸が痛い。
その感情の中で新しい桃田を知ることが、どこか嬉しさがあってまだまだ知らないことだらけだと、もっと知りたくなる。
部室に行くべきか、悩ましい。先に教室を出て行ったのは知っていても部室にいる確証はない。
——以前までは疑いもしなかったのに。
無理やり追いかけたところで、追いつけないのは知っているから何か他の手を考えるべきだ。と、考えはするが良い案は浮かばない。
あれこれ思考を巡らせていると、教室には太一と俺になっていた。
「ハレは帰るの?」
「あー、うん。そんなとこ」
発表の後から一部のクラスメイトとは、ぎこちなくて息が詰まりそうになることがある。
そんな中、太一は話しかけてくれて前と同じように接してくれている。
——俺が、適当に接していたから。
自分にしたことが自分に返ってきて、どうすることもできない。
——桃田のこともあるし、クラスでのこともあるし。
頭がぐちゃぐちゃだ。
こんなときでも真っ先に頭に浮かぶのは、桃田だ。桃田なら何か助言をくれると思うようになっていた。
しかしその桃田と話すことも叶わない。叶わないどころか、悩みの対象だ。
俺が短くため息をつくと、太一に鼻で笑われた。
「帰るんじゃないのは分かってんだよ。部活、だろ?」
嘲笑だと思ったのは最初だけで、次に太一の放った言葉は、まったくの別物だった。
「素直に言えばいいのに」
突然、慰められたのか怒られたのかわからない言葉に戸惑っていると、太一はまだ部活行きたくないんだよな、と独り言のようにぼやきながら話し出した。
太一はサッカー部の次期部長を務めることになっているという。
チームに素直に意見を言えずメンバーがまとまらないことから、すぐに行き詰まりそうだと不安そうだ。
「ハレにだったら言えるのにな」
「俺には遠慮がないだけだろ?」
「それはそうだけど、ハレって本気で笑うことないから」
——確かに。俺は愛想笑いと言われれば否定できない。
バレてるとは思わなかったけど……
「メンバーは、前部長とかを本気で笑ってたのは知ってるから怖いんだよなー」
「あ、秘密だぞ?」と、太一が小声で言う。
「笑われてたのは、前の部長が空回っていたからなんだ」
太一が俯き顔で言う。
「俺は見て見ぬフリしてた。けど、いざ自分がその立ち位置になったら俺まで笑われるんだろうなって思って……それって頑張ったことを笑われているみたいでキツイって感じ出したら行きたくなくなっきた」
「え?」
「わかんない? なんか、こう……頑張っても部長やらなければよかったって思うのが怖いって言うか……」
「自分のしたことが怖いのか」
「自分でやるって言ったからかな。それにすでに何でアイツが部長? みたいな目で見られてるし……」
腕を思い切り伸ばして太一が叫ぶ。
「頑張って練習してただけなのにー‼︎」
——頑張って練習していただけ。
そうなんだよ。
俺も、頑張ってたんだよ。
「わか、る……」
「ハレ?」
——今、分かった。
心の奥底で眠っていた答えが目を覚ます。
——一生懸命にやったことを笑われたから、好きなものも否定したときに自分が苦しかったんだ。
ただ好きだからじゃない。好きで頑張ってきたからこそ。
俺は、ずっと、好きなモノを作らないようにしていたと自分で思っていた。その奥には頑張っていたから嫌だったという明確な答えがあったことを避け続けていた。
——よく考えれば当たり前なのに、気づこうともしなかった。
「なんでもないよ。その気持ちわかるなって噛み締めてた」
「わかるよなー。あーー行きたくねぇ……」
——怖いからこそ始めたくないのもよく知っている。
でも、やってみたら意外と、できることを……一緒に頑張ってくれる仲間を信用できることも知っている。
「まだ、始まってないだろ」
太一が目を丸くさせて驚いたあと、口角を上げた。
「……そうだな。おし! 頑張る‼︎ 頑張れ俺え‼︎」
「あはは!」
自分を鼓舞する太一に、俺まで元気をもらった気分になった。
すると太一が思い出したように言う。
「お前ら、あの空気どうにかしろー」
あの空気というのは、いつもクラスで一緒にいたメンツとぎこちないことだろう。
「ほんとにな……」
「あはははは! ま、全面的に隠してたハレが悪い!」
自覚していることを他人に改めて言われ、分かっているから早く部活に行ってくれと思う。
しかし俺の考えに反して、太一は話し続けた。
「それにしても桃田が文芸部で、しかも絵本をかけるなんてなー」
「すごいよな」
悪い噂を帳消しにする実力だ。
もうほとんどの生徒が、桃田が絵本を描ける人と認識している。
「いつから付き合ってんの?」
「は……?」
「壇上の袖が見えないと思ってたんだなーー」
声をわざとらしく大きくされる。
俺が抱きつきていたのが見えてしまっていたらしい。
——でも……
「付き合ってない」
「あ、そーなん? 空気的にそうだと思ったのに」
「残念ながら違うんだよ」
「残念なんだ」
「あ」
俺は付き合えていないことを残念に思っていると、口にしていたことに気づいたときには太一はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「好きではあるんだな」
「あー! もう! 好きだよ‼︎」
投げやりな言い方で肯定した。
——桃田のこともクラスの人たちも解決していないのに、自分の気持ちにひとつ向き合えたことで気が緩んでる……
「付き合うとかは?」
「そりゃ、考えてるけど……無理? なのかな」
「無理ってことはないだろ!」
「うーん……諦める気はないけどさ……」
——桃田がどうしたいのかが全く分からないんだよな。
俺が口籠もらせると、太一の口角が一気に上がる。
「なんだぁ? イケメンハレくんも躊躇するんだなぁ?」
「べ、別に……」
——躊躇するに決まってるだろ。嫌われたくないし。
「ほお?」
太一が肩を組んで顔を覗いて来る。
——重たい。
「恋してるねぇ」
「うるさ」
——俺の恋愛が上手くいってなくて、機嫌が良さそうだ。
するとカタンと小さな音がした。
廊下から聞こえた物音に、慌てて確認しに行く。
「も、もた……?」
よく知った背格好に、思わず声が漏れた。
——聞いてないよな?
いや、聞かれててもいいけど……
どうしているんだ?
——帰ってなかった。
つまり、今追いかければ……
*
走って追いかけて着いた先は部室だった。
桃田はいる。
両手をポケットに突っ込んで、身体を滑らせて椅子に座っている。
絵本は読んでいない。
——今しかない。
「桃田、何考えてるの?」
返事はない。
桃田のことが理解できなさすぎて俺のこと好きだよな? という言葉を飲み込んだ。
期待していいか、聞くくらいに……俺のこと好きになってくれてたはずだ。
でも俺は「うん」と言えなかった。
——期待しててほしいとハッキリ口にできていたら、変わっていたんだろうか。
思い出すと同時にズキリと胸が音を鳴らす。
——こんなとき好きなのに、何も知らなくて何も分からないのがこんなに苦しいなんて知らなかった。
分からないという理由で俺は、黙る桃田を見つめ続けるしかできなかった。
——桃田の言葉が欲しい。



