帝都の妖もののがたり~私が居場所を見つけるまで~


 初音が帆澄の家に来てひと月が過ぎようとしていた。

 綺麗に咲き誇った梅も散り、もう少しすれば近くの土手が桜で埋めつくされる。

 三日前にそんな話をした帆澄は、そのあと来た勅令で家を出て昨晩遅くにやっと帰ってきた。疲れているのだろうか、起きてくる気配がない。

 竈の横で焚き上がったご飯をおひつに移しながら、初音はどうしようかと思案した。
 視界の端を、廊下を雑巾がけする青女房がととっ、走り抜ける。

「随分と遠くまで行かれたようだし、もう少し寝かせてさしあげたほうがよいかしら」

 妖が出没するのは帝都だけでない。ただ、地方に強い妖が出ることは少ないので、八重樫の分家が主に退治していた。
 今回は分家では手に負えない妖が出たそうで、帆澄が駆り出されたのである。

「おはよう。うわっ、今日はご馳走だな」

 いつもの軽い調子で棟馬が勝手口から入ってきた。手には近くの河原で採ったらしい蓬生の入ったザルを持っている。庭仕事といっても、帝の別邸のように回遊するほど庭は広くない。落ち葉散る季節でもない今、棟馬は暇らしい。

 気がつけばふらりと出かけ、蕨や蕗の薹、うどなんかを採って帰ってくる。

 今朝、食卓に並ぶあさつきも棟馬が採ってきたもので、茹でた根の部分に味噌を添え皿に盛った。葉は薬味として使えるので、刻み卵焼きの上に散らしす。

 始めは妖が採ってきたものを口にするのに躊躇いがあったが、帆澄が何の抵抗もなくたらの芽を頬張る姿を見て、初音もそれにならうよう食べ出した。一度食べてしまえば抵抗もなくなり、今では何を採ってくるのかと密かに楽しみにするほどだ。

「蓬生がもう採れる季節なのね」
「帆澄は蓬生餅が好きだよ」
「……」

 にこにこと微笑む顔からは、作ってやれよと圧が発せられている。初音はそれを無視して、食事の準備を続ける。

 帆澄との暮らしは思いのほか、快適だった。

 勅令を受け妖を封じ返ってくれば「お疲れ様」と出迎えてくれ、「怪我はないか」と気遣いしてくれる。傷を負った日には、手当までしてくれた。
それらは八重樫の家で初音がずっと望んでいたことで、それがこうも簡単に叶えられるとはと呆気にとられるほどだ。

 当の帆澄と言えば当たり前のことをしているだけで、初音が驚く姿に悲し気に眉を下げたり労わりの言葉をかけくれたりしてくれる。

 そんな日々を送っていたせいか、帆澄がいない数日、心もとなかった。

 初音は自分の胸に手を当て、この感情が何かと考える。だけれど皆目、見当がつかない。

 帆澄はどこか本音を隠しているように思え、摑みどころがない部分がある。でも、ひと月一緒に過ごし優しい人柄であることは充分に分かった。

 妖に対する考えは理解できない部分もあるが、意外と穏やかな夫婦生活を送れるのではと、最近では思い始めている。

 初音が黙っていると、棟馬が蓬生を青女房に手渡す。最近ではこの二人も打ち解けているように思う。

「ご飯が冷めるし、帆澄を起こしてきたらどうだ」

 八重樫では妖が人間に指示するなどありえないが、一ヶ月ですっかり棟馬の態度に慣れが初音はそれもそうだな、と素直に思う。

「そうするわ。棟馬、竈の薪をお願い」
「あいよ」

 お気楽な返事を背に受け、初音は帆澄の部屋へと向かう。

 竈から取り出した薪は火鉢へ移し、その上に五徳を置く。水を入れた鉄瓶を乗せておけば、いつでもお茶を淹れれるし、火を調整すれば残ったお味噌汁を温め直し昼餉にだすこともできる。もっとも、大抵帆澄が平らげるので、余れば、の話だが。

 冬は残り火で暖をとるのだが、春うららかな日差しではもう必要ないだろう。

 昼は魚を焼いてもいいな、とおもいつつ廊下を進んだ初音は帆澄の部屋の前で立ち止まる。

 棟馬に言われ来たものの、帆澄の部屋に入ったことはない。とりあえず襖ごしにおずおずと声を掛けたが、いくら待っても返事は戻ってこなかった。

 やはりまだ寝ているようだと思いつつ、さっきよりも大きな声を出せば「うーん」と掠れた声が襖越しに返ってた。小さく衣擦れの音もする。

「帆澄様、襖を開けますよ」

 声をかけながら、少し襖を横に動かしす。できた隙間から顔だけ覗かせると、八畳ほどの部屋の真ん中あたりに敷かれた布団が不格好に盛り上がっていた。こんもりとしたそこからは、黒い髪がすこぉしだけ覗いている。と、にょきっと腕が飛び出した。

 整った顔に似合わず、寝相は悪いようだ。
 八歳も年上で大人だと思っていたが、子供のようで可愛らしいと少し笑いが漏れる。初音は部屋に入ると、ゆすゆすと布団を揺らした。

「帆澄様、起きましょう?」
「う、うう」
「朝ですよぉ、お腹すきましたね」
「ううぅ」

 ここまでくると、笑い声を堪えるのが苦しい。

「起きてください。食事が冷めちゃいま……きゃっ」

 さっきよりも強く布団を揺すった途端、急に体が引っ張られ目の前が真っ暗になった。訳が分からず目を白黒させていると、身体の動きを封じられてしまう。

 布団ごと初音を抱き込んだ帆澄は、それでもまだ起きる気はないようで、横向きに寝返った。初音はますます身動きが取れない。

「ちょ、ちょっと。あ、あの?」

 両手を動かしなんとか逃れようともがくが、帆澄の腕の中から顔を出すのが精いっぱいだ。
 さらに、悪いことにすぐそこに帆澄の美しい顔がある。頬がかぁと熱くなった。

 陶器のような肌から少し伸びる無精ひげが、なんだか余計に大人を感じさせた。太い首に喉ぼとけが小さく上下する。さらに煙管の香りもするものだから、初音はどうしようもないほど動揺した。

(無理、無理、無理!!)

 春人とは手をつないだこともなかった。こんな風に抱きしめられるのは夫婦になったあとだと思っていたし、その考えは間違っていないと思う。
 わなわなと唇が震える。羞恥で目には涙が浮かんだ。

「ほ、帆澄様!!」

 大声を上げると、帆澄は煩わし気に眉を顰めた。声は届いているようだが、起きる気配はない。
 初音がわたわたしていると、さっきまで吹いていなかった風が突如窓硝子を揺らした。
 ガタガタと揺れる窓の音が、どんどん大きくなる。

 割れるのではないかと心配したところで、やっと帆澄が異変に気付き目を開けた。

 ばちり、と視線がぶつかる。自分の腕の中で真っ赤になった初音と目を合わすこと数秒。

「う、うわっっ……わっっ」

 帆澄は物凄い勢いで飛び起きると、そのまま窓の方へ後ずさった。
 ゴン、と窓枠に頭が当たる良い音がする。

「ど、どうして初音さんがここに?」
「……あ、あのっ」

 身体が自由になった初音が、布団から這い出る。その顔は湯気が立ち上がりそうなほど赤面し、目は潤んでいた。

 布団の端を握りしめながら震える初音の姿を見た帆澄の顔が、さぁと青ざめた。

「えっ、いや。そんなはずは。ちょっと待て、思い出すから。いや、思い出すまでもなく、俺は一人で寝て……」

 はっ、としたように自分の寝間着をパタパタと叩き、次いで初音に視線をやる。

 しっかりと袴の帯は結ばれており、襟元も裾も乱れていない。それに安心したかのように、帆澄は長く息を吐いた。そうして胡坐をかくと、いつもの帆澄の顔で問いかけてくる。

「初音さん、ところで、これは状況はどういう状況なのだろうか?」

 そう聞かれても、初音は答えを持ち合わさない。だって、布団に巻き込まれたのは初音で。被害者なのだから。

 再び風が窓を二回叩く。帆澄はそちらに視線をやってから、初音に視線を戻した。

「もしかして、起こしに来てくれたのか?」
「ひゃい」

 動転が抜けきれないせいで間抜けな声が出た。布団から少し離れ改めて正座をするが、顔の火照りは静まらない。
 帆澄もやっと事態を把握したようで、深く頭を下げた。

「すまない。俺は寝起きが悪いらしく、いつも棟馬に布団をはがされ起きているんだ。だから布団を抱え込む癖ができて……」
「それで、私は抱かれたのですね」
「ちょっと待て、言い方! そうではなく。あぁ、兎に角すまない」

 胡坐をかいた姿勢で頭を下げる帆澄の額は、足にくっつきそうだ。
 恥ずかしかったが、年上の男にそこまで頭を下げさせるわけにはいかない。

「頭を上げてください。その、少しびっくりしただけですので」
「そうか。いや、それでも申し訳ない」

 帆澄は頭を上げるも、眉尻は下がったままだ。初音がどう言葉を続ければよいかと思案していると、廊下を歩く音がして襖が開けられた。

「起きたか?」

 ひょこっと棟馬が顔を出す。何かつまみ食いをしたのだろうか、頬が動いていた。

「どうしてお前が起こしにこなかった」
「たまには可愛らしい声で起きたいだろうと、主人を気遣ってみた?」
「なぜ疑問形なんだ。もういい」

 帆澄は立ち上がり、衛門掛けから縞模様の着物を取る。
 初音も続くように腰を上げ支度を手伝おうと手を伸ばしたが、食事を用意するようやんわりと断られてしまう。

 無理強いするつもりはないので言われたとおり部屋を出て厨に向えば、青女房がそこに立っていた。できた料理をどうすべきかと悩んでいるように見える。

「私が運ぶから、青女房は片付けを。それから、帆澄様の洗濯物があるはずだから棟馬に聞いて洗ってさしあげて」

 青女房は言われたとおり、初音と入れ違うように帆澄の部屋へ向かった。

 初音はまだ焼いていなかった卵焼きを作り、ぱらっとあさつきを散らす。あさつきの味噌添えと卵焼き、昨日の残りのきんぴらを盆に載せ居間に運ぶと厨へ戻り、おひつやみそ汁も準備する。

 着替え終えた帆澄が座布団に座るのを見計らったかのように、朝餉の用意が整った。