帝都の妖もののがたり~私が居場所を見つけるまで~


 結納の儀の帰り、初音たちは棟馬の引く人力車からのんびりと川面を眺めていた。

 西陽が強いのを気遣った帆澄が、幌を下げようかと聞いてくれたけれど、初音は景色を見たいとそれを断った。 

 本音を言えば、幌によって遮られた空間に帆澄と二人でいるのが落ち着かなかったからだ。
 それに火照った頬を冷ますには、夕風はもってこいだった。

「帆澄様、今日はありがとうございました」
「礼を言われるほどのことはしていない」
「そんなことありません。中には無粋なことを言ってくる者もおりましたし」

 主役である美琴と春人をそっちのけで、宮應の当主代行である帆澄に関心を持つ者が予想より多かった。そして、宮應より八重樫が格上だと言わんばかりの連中が、少なからずいたのだ。

「八重樫は政に関わっているのに対して、宮應は全くだからな。そこだけ取ればそう思うのも仕方ないだろう」

 鷹揚に応える帆澄は、本当に気にしていないように思える。
 その懐の大きさと度量に、初音は頭が下がる思いがした。
 もう一度礼を言おうと口を開くも、それより早く帆澄が言葉を続けた。

「それに、初音さんの言葉が嬉しかった」
「私の、ですか?」

「俺の役に立てれば、そう言ってくれただろう? 父が動けなくなり、宮應の当主代行となって数年経つが、思えばずっと気を張り詰めていた。すべてを背負うのは俺には重積すぎて、知らず自分を追い込んでいたのかも知れない」

「わ、私もです。ずっと辛かった。八重樫の次期当主だと言われ、成果を出せと求められ、毎日追い詰められていました。でも、帆澄様に会って、肩の力が抜けたのです」

 孤独で張り裂けそうだった胸が、いつしか暖かいもので満たされていた。
 呼吸が楽になり、夜もぐっすりと眠れるようになったのは。

「一人じゃないと知ったからです。私と同じように妖を退治する帆澄様が傍にいてくれ心強く感じます」

 勅令から帰ってきたら迎えてくれる人がいる。妖を封じたかより、まず怪我がないかと聞いてくれる。そして、何より、帆澄は妖と向き合う時の恐れや怖さを分かってくれる。
 欲しい言葉で、優しさで初音を包んでくれた。

「そうか、では俺たちは知らずにお互いを支え合っていたのかもな」
「私は与えてもらってばかりで何もしていません」
「そんなことはない。俺は存外、今の生活を楽しんでいる」

 西陽を受けながら、帆澄が甘く微笑んだ。 
 輪郭が柔らかく縁取られ、目は優しく細められている。
 見つめられ、初音の鼓動が早くなる。

 胸の奥がきゅっと締め付けられるように痛む。でも、決して嫌な痛み方じゃない。暖かく、なぜか泣きたくなるような……。


 その時、突然棟馬が足を止めた。初音と帆澄の顔も厳しいものへと変わる。

「棟馬、引き返せ。それから、脇差しと長刀はどこだ?」
「後ろに積んでるよ。飛ぶか?」
「いや、目立ちたくはない。このまま頼む」

 狭い土手の上で棟馬が器用に人力車の向きを変えた。
初音は袂に入れていた襷を取り出し、振袖が邪魔にならないようにする。ぎゅっと襷を締める指が震えた。

「これほど強い妖力は初めてです」

 川上から漂う妖の気配はただならぬもので、二人の間に緊張が走る。
 指が震えるせいでなかなか襷を結べない初音に気がつき、帆澄が手を貸した。節の大きな指が襷をぎゅっと結び上げると、帆澄はその距離の近さのまま顔を上げる。

「本来なら初音さんを置いて俺だけ向かうところなのだが……」
「支え合うと言ったばかりの口でそれを仰っていたら、私、帆澄様を許さないところでした」
「ありがとう。でも無理はしないで欲しい。俺もこんなに強い妖は初めてだ。できる限り守ると約束するが、危ないと思ったら……」
「逃げませんよ?」


 初音が帆澄の言葉を遮り、まっすぐな視線を帆澄へと向ける。
「私は帆澄様と夫婦になると決めたのです。こういうの、一蓮托生と言うのではありませんか?」

 帆澄が目を瞬かせる。やがて驚愕の表情が和らぎ、口角が上がる。帆澄は嬉しそうに破顔すると、大きく頷いた。

「一蓮托生、悪くないな」

 帆澄の大きな手が初音の髪を撫でる。愛おしそうに、大事に大事に。
 手が動く度に初音の頬がどんどん赤くなっていく。

「あ、あの。帆澄様……?」
「ありがとう」

 どうして礼を言われたのかは分からないが、その言葉に胸が満たされる。手の震えもいつの間にか収まっていた。

「あの、お二人さん。いちゃついているところ申し訳ないんだけれど、そろそろ着くよ」

 棟馬が冷めた目で二人を振り返った。

「いちゃ……」
「分かっている。ここでいい。棟馬、車を止めてくれ」

 反論しようとする初音に対し、帆澄は冷静に棟馬に指示をする。人力車が停まったところで二人は飛び下りるように地面に足をついた。
 初音が振袖の裾を捲し上げ帯に挟んでいる間に、帆澄が棟馬と言葉を交わし、人力車の背後に回ると脇差しと長刀を手にする。

「八重樫の家のこんな近くで……」
「走れるか?」
「はい」

 帆澄が長刀を初音に手渡す。それを受け取りながら初音は走り出した。今、帝都にいる破魔の力を持つ者は初音と帆澄、それと春人だけだ。

(春人さんでは到底かなわない)

 走りながら背中を冷や汗が伝った。父や美琴に持つ感情は複雑だが、家族であることに変わりない。
 どうか無事に。そう願いながら土手を走っていると、八重樫の家から一番近い橋のたもとから、禍々しい黒い靄が立ち上がっているのが見えた。

 初音が階段を駆け下りる。帆澄は階段を無視し土手へと飛び下りた。
 息を切らせる二人の前には、待ち構えるようにして立っている人型の妖狐と地狐が数匹いた。その前には尻餅をついて震える春人と、横たわる美琴の姿がある。

「美琴!」
「初音さん、危ない!」

 帆澄の制止を聞かず初音は美琴に駆け寄る。名前を呼びながら細い肩を揺するも、美琴はピクリともしない。だけれど、何度も繰り返すと苦しそうに眉根を寄せた。
 どうやら生きているようだ。だけれど顔からは血の気が失せ、青を通り越し白くなっている。手を取り脈を確かめるとかなり弱っていた。

「春人さん、いったい何があったの?」
「主さまが……。俺が当主に……」
「ぬし? 当主?」

 春人は青い顔で橋を指さす。初音はその先に視線をやるも、薄暗闇に人影は見えない。妖の気配も感じなかった。

「主、とは妖ですか?」
「いや、主さまは人間だ。さっきまでそこに……」

 春人が立ち上がろうとしたせいで、美琴の身体が大きく揺れ薄っすらと目を開ける。

「お姉さん、どうしてここに?」

 虚ろな目に掠れた声。でもそれはすぐに怒気を含んだものへと変わった。