帝都の妖もののがたり~私が居場所を見つけるまで~

 

 美琴が物心ついたときには、すでに姉は特別な存在だった。

 幼くして強い破魔の力を持つ姉を、祖父母は殊更、大事に大事に育て愛しんだ。
 病弱な美琴に向けられるのは、冷ややかな視線でも侮蔑でもなく無関心だった。
 どんなに手を伸ばしても、祖父母が美琴を視界に留めることはない。
 それに、幼い美琴の心は傷ついた。

 破魔の力自体は初音に並ぶものを持っているのに、病弱ゆえそれを使いこなせるだけの器がない。
 そんな美琴を両親は不憫に感じたのだろう。二人とも、できうる限り美琴を甘やかし育てた。

 豪奢とまではいかないが可愛らしい着物を着せ、おもちゃを与え、帝都へ連れて行き美味しい物を食べさせた。欲しがるものは何でも買い与えた。

 それなのに、美琴の心は全く満たされない。

 初音と比べては、自分のほうが損をしている、可哀そうだと不満を腹の中に貯め続けた。それはいつしか硬い石のようになり、美琴の心を嫉妬で黒くしていった。

 だから、初音を可愛がる祖父母が亡くなった時、美琴は自分を押さえ込んでいた重しが取れたように感じ嬉しくなった。

 もう誰も、初音を大切にする人はいない。
 初音が一番の世界は終わったのだ。

 それからのち、父親は自分と似た境遇である美琴への贔屓を隠さなくなった。
 破魔の力を持たない彼もまた、自分の娘である初音に嫉妬していた。次期当主は自分ではなく初音が指名されるのではと恐れていたのだ。

 両親から甘やかされて育った美琴が、初音の持ち物を欲しがるようになったのはその頃から。着物、簪、綺麗な帯。毎日袴姿で妖を封じるお姉さんには必要ないでしょう、とそれらをおさがりと称して自分のものにした。

 その対象が初音の許婚である春人へと向けられたのは、必然と言えるだろう。

 留守がちな初音に変わりに春人の相手を買って出た美琴は、着実に春人との距離を縮めていった。
 春人も満更ではないようで、やがて二人の関係は使用人が知るところとなる。

 そんな折、八重樫に犬猿の仲である宮應との結婚が持ち込まれた。
 誰もがうまくいくはずがないと思った。
 だから、美琴の結納の儀に現れた初音と帆澄を見て親戚一同が目を丸くした。あまりにも二人が仲睦まじくお互いを想い合っているのに驚愕したのだ。

(どうしてお姉さんはあんなに幸せそうなの?)

 上座に座った美琴は、悔しそうにぎゅっと手を握る。
 婚約の儀は、父親に頼んでとびっきり豪華にしてもらった。

 無理を言って分家にも声をかけ、本家当主の権限で出来うる限りの人を集めたし、料理だってわざわざ帝都で料亭を営んでいる店から取り寄せている。
 祝い酒は樽で用意し、華やかに化粧もして髪も結い上げた。
 そんな美琴の前にあるのは、白木の台に乗せられた結納の九品である長熨斗、金包、勝男武士、友白髪などだ。

 それ以外にも、春人に頼んで反物や帯も用意してもらった。

 婚約の儀とも呼べない顔合わせしかしていない初音とは雲泥の差。さぞかし羨ましがるだろうとほくそ笑んでいたのに、蓋を開ければ初音は終始穏やかに笑っていた。

 その隣に寄り添うようにいるのは、誰もが見惚れるような美丈夫の帆澄だ。
 切れ長の瞳に凛とした佇まい。八重樫の中に宮應一人いるにも関わらず、物おじすることなく堂々とし姿は当主代行としての威厳に満ちている。

 それでいて、時折背を丸め初音に耳打ちをする様子は親愛の情に溢れ、初音がその距離の近さに頬を染めるのは初々しく微笑ましい。そんな姿こそ愛らしいと言わんばかりに目を細める帆澄には、周りにいる人間が恥ずかしくなるほどだ。

 いつも陰気で固い表情しか見せなかった初音の薔薇色の頬が、幸せを物語っていた。

 そのせいだろう。美琴の婚約の儀だというのに、分家の注目は終始初音たちに向けられたのだった。
 美琴がその有様に歯ぎしりをしている横で、春人はなんだか落ち着きなくそわそわしていた。どうしたのかと問えば、結納の儀が終わったあとに話すと言われ、美琴の苛立ちはさらに増すばかり。

(今日は私の結納の儀なのに、これではお姉さんと帆澄様のお披露目式のようじゃない)

 こんなはずではなかった。

 美琴が見たかったのは悔しがる初音と、その隣に憮然と座る帆澄の姿だ。
 それなのに、どうして初音はあんなに幸せそうに笑っているのか。
 煮えくり返る気持ちを腹の中に抱えたまま、結納の儀は終わりを迎えた。


 皆を見送ったあと、美琴は振袖から小桜模様の小紋に着替えた。

「なにとろとろしているの、早くして! それから振袖は陰干しをして皺一つ残さないように」
「分かりました」

 着替えを手伝ってくれた使用人に悪態をつくと、荒々しく襖を開けて廊下に出る。
 裏庭に行くと印を結んだ妖が洗濯物を取り込んでいるところだった。

「まだ汚れが残っているわ。もう一度やりなおしなさい」

 美琴の言葉に妖が動きを止め、戸惑うように空を見る。日は間もなく暮れようとしていた。今から洗っては到底乾かない。

「何をしているの。早くしなさい」

 下駄を履き庭におりると、苛立ちをぶつけるように桶を蹴る。取り込んだばかりの洗濯物が入っていたそれはコロコロと転がり、洗濯物は泥にまみれた。
 美琴はそれでもまだ腹の虫が収まらないようで、それらを踏みつけると縁側に上がる。

「だいたい春人さまも春人さまだわ。婚約の儀だというのにどこか上の空だったし」

 そういえば結納の儀が終わったら話があると言っていたな、と思い出した初音は離れへと足を向けた。
 結納の儀の少し前から、春人は八重樫本家の離れに住んでいる。
 最近では、父の書斎に出入りしている姿も見た。
 渡り廊下に差し掛かったところで、同じように着替えた春人が姿を現した。

「美琴、今呼びに行こうと思っていたところだ。疲れただろう。夕餉までまだ時間があるし散歩に行かないか?」

 そう言う春人の笑みは、普段と変わらず穏やかなものだった。
 それなのに、美琴の心はぴくりとも動かない。喜びも優越もまったく感じないのだ。
 思い出すのは初音を愛おしそうに見つめる帆澄の顔と、それに嬉しそうに頬を染める初音の美しい姿ばかり。

(春人さん、こんな顔をしていたかしら?)

 美琴はじっと春人を見た。
 背の高さは帆澄と変わらないが、その体躯はひょろっとして頼りない。白い肌は綺麗だが、精悍な帆澄と違い不健康に見えた。眼鏡の奥の二重やすっとした鼻筋、唇の配置は整っていて、短い黒髪は清潔感がある。一般的には好青年と言えるだろう。

 それなのに、さっき見た帆澄と比べると、随分色あせて感じてしまう。
 心に穴がぽっかり空いたようで、そこから春人への恋慕が砂のように零れていった。

「美琴?」

 ぼおっと佇んでいる美琴の名を、春人が訝し気に呼ぶ。

「あっ、ごめんなさい。疲れているのかしら」
「思ったより長時間だったからな。行こう」

 そう言って春人は縁側を裏口へと進んでいく。
 てっきり玄関へ向かうと思っていた初音が、慌ててその後を追う。

 勝手口にある下駄をひっかけると、春人はそのまま裏木戸を開け、土手へ向かった。
 いつもなら美琴の歩調に合わせるのに、今日はどんどんと先へ進んでいく。そのことが、美琴の気持ちをさらに苛立たせた。

(何なのよ。今日は私の晴れの日なのに)

 どうしてこう腹がたつことばかりなのか。
 もっと自分を気にかけろと罵りたくなってくる。

 土手から川へと下りる石階段は、一定間隔で幾つもある。川釣りをしたり野草を摘んだりと使う人も多いが、夕暮れの今人影はなかった。

 その一つを下りる春人に続き河原へ立つと、そこには一人の男が立っていた。
 襟の詰まった洋風のシャツの上に藍灰色の着物を着流しにし、同色の羽織を掛けている。
 初対面だが、どこか見たような顔だった。

 似た人に会ったことがあるのかもと美琴が記憶を辿っているうちに、春人が声を掛ける。

「お待たせしました。真澄さま」
「気にするな。今日はめでたい日なのだから」

 春人の知り合いのようだ。美琴は躊躇いながら頭を下げる。
 真澄と呼ばれた男は、肩下まである艶のない黒髪を首のあたりで軽く結わえていた。
 目尻に少し入った皺から、歳は三十代半ばほどかと想像する。

「春人さん、お知り合いですか?」
「あぁ。このリボンをくださった人だ」

 小声で聞いた美琴に、春人は懐から朱鷺色のリボンを取り出し見せた。
 若い娘が好きそうなリボンは、風も吹いていないのに春人の手を離れ、目の前の男の手へと渡る。

「リボンが勝手に宙を飛んだ?」

 美琴が目を丸くする。その様子に、春人は自分のことのように胸を張った。

「真澄さまのお力だ。このリボンには家なりが宿っている」
「家なりが、ですか? でも、何も見えませんでした」

 破魔の力を使いこなせない美琴だが、妖を見たり印を結ぶことはできる。間違いなく、あれはただのリボンだったはず。

「真澄さまは印を結んだ妖の姿を変えることができる。封や滅とは違うが、これもまた破魔の力の一つだと僕は思っている」

 嬉々として語る春人は、どこか遠くを見ているように虚ろな目をしていた。
 目の前の男に陶酔しているかのようなその姿に、美琴の心がざわめく。真澄と呼ばれるその男に、得体の知れないものを感じた。

「はは、そういきなり教えては、婚約者殿も混乱するだろう。俺のことは名ではなく『主』と呼んでくれればいい。春人にもそう呼ぶよう言ったんだが、まだ馴染めないのだろう」

 そう言いながら、主はリボンをくるくると丸め袂に入れた。

「……そのリボンをどうされるのですか?」

 美琴がかろうじて聞けば、主は悠然と微笑みながら首を振った。

「これはもう用済みだ。ちょっと知りたいことがあったので偵察に使っていた。だが、もうこれを身に着けるつもりはないようだ」
「偵察?」
「ああ。どうやらあいつの邪触は、思いのほか進んでいるようだ」

「邪触?」と美琴は訝し気に首を傾げた。初めて聞く言葉だが、主が浮かべる笑みがあまりにも冷たくて、それ以上聞けなかった。

 それより早くこの場を離れたい。この男とはこれ以上関わらない方が良いと、本能的に思った。
 しかし、春人は主に目を向けたまま美琴を見ようともしない。
 仕方なく、美琴はその袖を引っ張った。