帝都の妖もののがたり~私が居場所を見つけるまで~


 複雑な気持ちを抱えながら客前へと歩を進めていると、背後から声を掛けられた。
 声だけで分かる。振り返るとやはりそこには鮮やかな紅緋色の振袖を着た美琴が笑みをたたえ立っていた。金糸で鶴や牡丹が描かれた振袖は、一目見て高価だと分かる。

「お姉さん、来てくださってありがとう」
「こちらこそ、呼んでくれてありがとう。おめでとう初音」 
「この着物、素敵でしょう? お母さまが亡くなる前に用意してくださったの。私が結婚するときに着てねって……あっ、これはお姉さんには内緒だったわ」

 しまったと美琴は口を押さえる。でもその口元が笑っていたのに、初音は気がついてしまう。

(お母さまの美琴贔屓は、もとを辿れば祖父母が私ばかりを可愛がったから)

 母親は、七歳の祝いの時のように美琴には充分な着物を用意してもらえないかもと危惧したのだろう。悪気がなかったのは理解しているが、塞がりかけた心の瘡蓋が疼く。
 美琴は口を押さえていた手を離し、初音の手を握る。

「私、ずっとお姉さんに謝らなきゃと思っていたの」

 美琴が申し訳なさそうに眦を下げる。だけれど、口元は緩く弧を描いていた。

「お姉さんから春人さんを奪ってしまったから、怒っているのでしょう? だってお姉さんはずっと春人さんが好きだったんだから」
「……勅令なのだから、美琴が謝る必要はないわ」

 ひやり、と心に冷水を掛けられた気がした。
 春人を好きだったと言われれば否定できないが、それが恋慕の情かと聞かれれば首を傾げてしまう。でも今はそんなことより、この会話を聞いた帆澄が気分を害していないかと心配だった。

 目だけで帆澄を伺えば、聞いているのかいないのか分からない顔で、物珍し気に庭を眺めていた。素知らぬふりをしてくれているのだろう。
 初音は視線を妹へと戻す。もう会話を終わらせようと思ったのに、美琴はさらに言葉を続けた。

「それに、お姉さんの婚約の儀はあんなに簡素だったのに、私は皆に祝ってもらうでしょう。姉妹でここまで差があるのは問題だし、これではお姉さんが可哀そうだとお父さまに言ったのだけれど、聞き入れてもらえなかったの。大事な娘の祝いだから、大々的にしたいそうよ」

 あぁ、と嘆息しながら初音は美琴の笑う顔を眺める。
 妹は自分を傷つけたいのだと、はっきりと分かった。
 実家にいたときは、薄っすらと感じる疎外感から目を逸らしてきた。でも、今ならそれを認められる。

(本当に、私は八重樫にとって道具でしかなかったんだ)

 胸が痛い。思えば、自分は家族の誰からも祝福の言葉をかけられなかった。
 どれだけ望んでも父親は初音を認めない。娘として愛してくれない。

「みじめね」

 初音にだけ聞こえる声で、だけれどはっきりと美琴はそう言った。
 作り笑いを浮かべていた初音の表情が凍るのをみて、美琴が満足そうにほくそ笑む。

「初音さん、風が強いが寒くはないかい」

 ふいに帆澄の声が近くで聞こえた。えっ、と思う間もなく肩を背後から引き寄せられる。
 何が起こったのかと困惑する初音の頬が、みるみる赤く染まっていく。

「ほ、帆澄様? あの。だ、大丈夫です」
「それならよかった。客間にはもう皆が集まっているのだろう。そろそろ向かわないと」

 帆澄が、促すように初音の背に手をやった。その目がことさら甘い。
 美琴の表情が一瞬険しくなるも、すぐに華やかな笑顔を浮かべた。

「帆澄様、姉がご迷惑をおかけしておりませんでしょうか。姉は妖封じに関しては八重樫一ですが、感情に乏しく殿方を癒すことには不慣れです。面白い会話もできませんし、作法も……」
「初音さんとの暮らしは、とても楽しい。彼女と縁が持て帝に感謝しているぐらいだ」

 帆澄の腕に縋るように手をかけようとした美琴だったが、その手を振り払われ、言葉を遮られた。

「……そう、ですか。姉が想い人を忘れられず、うじうじしていないかと心配でしたが、そう仰ってもらえほっとし……」
「美琴!」 

 これには初音も黙ってはいれなかった。
 自分に対して向けられる優越感は構わない。だけれど、帆澄の気を害するような振る舞いは許せなかった。

 蔑むような笑みに、頭に血が昇る。どうして今それを言う必要があるのかと怒りがこみ上げてきた。
 そんな初音を庇うように帆澄が二人の間に立つ。

「初音さんは俺の妻となる女性で過去は関係ない。姉を心配する気持ちは分かったが、先程も言ったように俺は彼女との結婚を喜んでいる。それ以上、初音さんを侮辱するのは俺が許さない」

 帆澄の冷たい声に美琴が顔を青くする。祖父母が亡くなってから初音の味方する者は誰もいなかった。だからこの展開を考えていなかったのだろう。
 その反応を受け、帆澄は少し声音を和らげた。

「初音さんが俺をどのように思っているかは分からないが、いつか同じような感情を持ってもらえたら幸せだ」

 初音の目にぶわっと涙が幕を張った。

「わ、私も。帆澄様と縁が持てて嬉しいです。私は妖を封じることしかできませんが、それでも少しでも帆澄様のお役に立てればと思っています」
「充分役に立っている。俺が寝込んだときは看病し、粥まで作ってくれたじゃないか」
「それぐらい、大したことでは」
「勅令から帰ってきたら迎えてくれるし、宮應の考え方も受け入れてくれた。俺は充分尽くして貰っていると感じている」

 初音を見る視線は真っすぐで、その言葉が嘘偽りのない本音だと分かる。
 だからこそ初音は、余計に春人に対する誤解を解かねばと思う。

(帆澄様は私を『結婚相手』として認めてくれている。そこに恋慕の情がないのは重々承知しているけれど、でも他に想い人がいると思われるのは嫌)

 どうしてそう思うのか分からない。でも勘違いして欲しくないのだ。
 初音が言葉を選んでいると、廊下の奥から見知った姿が現れた。

「美琴、ここにいたのか」

 紋付き袴の正装で現れた春人は、いつもと同じように眼鏡の奥の瞳を和らげた。
 そうして、初音に対しても以前と変わらぬ笑みを向けてくる。

「初音さん、来てくれたんですね。帆澄さんもわざわざありかとうございます」
「春人さん、本日はおめでとうございます」
「おめでとう。俺まで呼んでいただき恐縮だ」
「宮應のご当主代行にご足労いただくのは申し訳ないと思ったのですが。帝の勅令により今後は親戚になりますので、お会いできて嬉しいです」

 春人が手を差し出し、帆澄がその手を握った。
 帆澄の顔が当主代行らしい凛々しいものに変わったことに、初音は気がついた。普段は穏やかな表情をしているが、こんな一面もあるのだなと思う。

 八重樫の一門ばかりだから自分がしっかりしなくてはと気負っていたが、蓋を開ければ帆澄に守ってもらった。それが申し訳なくもあり、嬉しくもある。
 ばたばたと足音がし、美琴と春人を呼ぶ声が聞こえた。
 どうやら結納の儀が始まるのに二人の姿が見えないので、使用人が探しに来たようだ。

「じゃ、お姉さん。先に行っているわ。春人さん結納の儀の前に皆さんにご挨拶するのでしょう。急ぎましょう」
「そうだね。でもせっかくの振袖なんだから走っては駄目だよ」
「はーい」

 美琴がこれ見よがしに春人の腕に甘え、二人の横を通り過ぎていった。
 その後ろ姿を見て初音はほう、と息を吐いた。
 結納の儀はこれからだというのに、どっと疲れが襲ってくる。

「帆澄様、妹が申し訳ありません」
「いや、俺は構わない。それより初音さんは大丈夫か?」
「はい。私は慣れていますから。それより帆澄様が気分を害されたのではないかと心配で……」

 そこまで言って初音は口を噤んだ。

(春人さんのことをどう説明すればいいの?)

 帆澄はお守り袋の家なりを通して、おおよそのことは知っているだろう。それに、春人からもらったリボンをずっとつけていたのは隠しようのない事実だ。
 暫く逡巡したのち、でもこれだけは言っておかないと、と初音は口を開く。

「春人さんは私の許婚でした。小さい頃からずっと一緒で情がないと言えば噓になります。ですが、それが恋慕の情かと聞かれると、分かりません。私はただ、当主としてではなく一人の女性として見てもらえる人が欲しかったのかも知れません」

 帆澄はいつもまっすぐな言葉をくれる。それなら嘘偽りのない正直な言葉を返したかった。言い訳に聞こえるだろうか、もしかして今度こそ気を悪くするのではないかと不安で胸がばくばくする。
 帆澄が切れ長の目を見開いたまま何も言わないので、その不安は増すばかりだ。

「帆澄様?」

 恐る恐る名を呼ぶと、帆澄ははっとしたように瞬いた。

「怒っておりますか?」
「いや。思った以上に春人殿のことを俺は気にしていたようだ。ほっとした自分に驚いただけだ」
「ほっと?」

 初音が首を傾げれば、帆澄は少し赤く染まった頬を緩め肩を竦めた。

「なんでもない。俺たちも行こう」

 帆澄が差し出した手に、今度は初音が目を瞬かせる。少し戸惑いながら重ねると、ぎゅっと握り返された。

「私、今日は帆澄様の盾となる覚悟でしたのに、これでは逆ですね」
「いいや。俺は充分心強く思っている」

 帆澄に促されるように初音は歩き始めた。

 華やかな紅白の垂れ幕も、美琴が母からもらったとういう着物もなぜかもう気にならなかった。
 八重樫の家でこれだけ息を吸うのが楽なのはいつぶりだろう、そう考えながら初音は客間の襖を開けたのだった。