散る花よ
惜しむ声だけ
響くけど
咲いてる痛みは
誰も知らない
「では、この短歌から読み取れる作者の気持ちを答えてください」
国語教師がそう言うと、クラスメイトは前後左右の友人と意見の交流を始めた。僕はただ一人、黒板に書かれた短歌を眺める。すると彼女もまた、ひとりで黒板を眺め、静かに目線を机に戻した。
女子生徒が一人手を挙げる。
「花が散るのを悲しんでいる歌だと思います」
単純明快な答えを述べた生徒に、先生はさらに尋ねる。
「ではどうして『咲いてる痛み』という表現を使ったのだと思いますか?」
先生と目が合った僕に、解答権が移る。
「周りから好かれていても、本人にしか分からない痛みや苦しみがある、ということだと思います」
僕はそう答えながら、無意識に彼女を見ていた。
すると、山田が勢いよく手を挙げ、先生に当てられる前に立ち上がった。
「僕には、表の顔に騙されてはいけない、というメッセージに聞こえますね」
彼女が山田を睨みつけるように視線を送るのが見えた。
表情は一瞬だった。周りの誰も気がついていない。
けれど僕には分かった。あれは怒りだ。
「あら山田くん珍しく起きているのね。それで、どうしてそう思うのかしら」
「惜しむ声が届くほどの美しい花には、誰にも知られてない別の顔があって、本当の姿を知らない人々を嘲笑っている。僕はそんな風に読み取りました」
普段つまらなさそうにして、殆ど寝ている山田が、ハキハキと答えるものだから、教室中がざわつき、笑い声も聞こえた。
「面白い解釈するのね」
先生が山田を褒めるから、疎らに拍手が起こる。けれど彼女は少しも笑っていなかった。僕も、笑えなかった。
*
放課後、いつもの校舎裏に呼び出された。僕を呼び出したのは神谷じゃない。山田だ。
「黒崎はさ、雪宮佳苗をどこまで知ってるの?理解者とか言ってたけど、ほんとにそうかな」
「山田こそ、傍観者ってなんだよ。それに、4人目って…説明してほしい」
この状況を傍から見たら、僕らはどう見えているんだろう。好きな女を取り合う男2人、なんてかっこいいものでは無いことは確かだ。
3階の窓を、山田に気づかれないように見上げる。するとそこには、いつも通り、見下した視線を送る彼女の姿があった。
「雪宮の本当の姿を知ってる奴が、お前の他に3人居る。ひとりは俺、あとふたりは大人だ。それで、お前が4人目」
「…山田はなんで知ってるんだよ。それに傍観者ってどういう意味なんだ」
「俺は、今までずっと、彼女がしてきたことを見てきたんだ。もちろん、誰にも言ってないし言うつもりもない。うーん…そうだな、次に彼女がやろうとしてる事を教えてくれたら、お前に俺が、なんで雪宮の本当の姿を知っているのか教えてやるよ。交換条件だ、どう?」
僕は思わず3階の窓を見上げる。僕の視線につられて山田が見上げると、彼女は一瞬で姿を消した。
交換条件を飲めば、僕が知らない過去の彼女を知れる。神谷の事を知られたとしても、山田が誰かに言うとは考えられない。もし彼女の正体を言いふらしたいのなら、とっくの昔にやっているはずだ。
「…話したら、ほんとに教えてくれる?僕が知らない昔の彼女のこと」
「ああ、当たり前だろ。お前の好きな雪宮佳苗の全てを教えてやるよ」
「…じゃ、じゃあ誰にも言うなよ?」
「言わねーよ、俺は傍観者。今までもそうしてきたんだからさ」
「…分かった。交換条件な」
僕はこの時、彼女と山田の間に何があったのか、そして、彼女が今何に腹を立てているのかの、考える余地を無くしてしまっていた。
目先にある彼女の過去を知りたかった。
知ったらもっと彼女に近づける気がしたから。
そしたらもっと彼女に認めてもらえると思った。
僕だけを必要としてくれる。
僕だけを心の拠り所にして、求めてくれる。
そんな未来を勝手に夢見て、僕は彼女よりも、自分の欲を優先してしまったんだ。
*
校舎裏から立ち去る黒崎の背中を見送る。
「…馬鹿だなあ」
思わず口に出てしまうほど、あいつは哀れなやつだ。
あいつは雪宮佳苗を理解したつもりでいる。けれど彼女の本心は知らない。
知らないから憧れる。
知らないから救えると思う。
知らないから、同じ種類の人間だと勘違いする。
昔の俺と同じだ。
彼女の手が人の命に触れた瞬間を見た、あの頃の俺と同じ。
猛烈に憧れた。彼女の孤独を埋められると思った。俺も一緒だと叫べば、彼女になれると思った。
でも、彼女はそう簡単にはいかない。彼女は、誰とも分かり合えない孤独な人間。一匹狼だ。
昔から昆虫や生物が好きで、なのに捕まえて披露すると「気持ち悪い」と言われた。両親や友人から好きなものを否定されて過ごしたことで、俺は好きという感情を完全に見失い、孤独を好むようになった。中学にあがってもなかなか友達が出来なくて、昼休みにはひとりで校舎の周りを探検して過ごした。校舎の壁とコンクリートの床の隙間にはダンゴムシがいる。俺にとって彼らが友達みたいなもんだった。
ある日の放課後、なんだか家に帰りたくなくて、隣町の公園まで歩いた。そして偶然そこで彼女と出会った。
雪宮佳苗。彼女のことは小学生の頃から、関わったことはないけれど知っていた。親が病院を経営してるとか、裕福な家の子だとか、キッズモデルをしたことがあるとか、成績優秀だとか、色んな噂が立ちやすい子だからだ。友達がいない孤独な俺にまで、そんな噂はすぐに届く。内緒話をしているつもりの、隣の席の女子の声が大きいからだ。
彼女は、異性にも同性にも好かれている。妬み嫉みがあってもおかしくないスキル高い人間なのに、どうしてかみんなに好かれる。彼女は人を惹きつける何かを持っている。僕はそんな彼女の姿を、木陰から眺めた。
広い公園にしては人通りの少ない場所にある花壇の隅っこで、しゃがみこみながら何かをブツブツと話している。話していることは何も聞き取れないけれど、普段の彼女とは別人のように見えた。
一歩近づこうとした時、僕の足音を敏感に聞き取った彼女は、目を見開いた状態でこちらに振り向いた。
「…だれ」
低くて冷たい声。
「君と同じ学校で…」
「そんなの制服を見たらわかるわ、名前は?」
「山田…太郎…」
自分から名乗ることを酷く嫌い、散々笑われてきたこの名前を、彼女の前だと素直に言えた。彼女は笑わないと、何故かそう思えたからだと思う。
「山田くんね、あ、2組の子か」
「あ、うん。そう2組。…雪宮さんだよね」
「うん、当たり。雪宮佳苗です。ところで何か用?」
「いや、たまたま見かけただけで、何してるのかな〜って」
「何って、何もしてないわ、しゃがんでお花を見ていたの」
「そうなんだ」
彼女が歩き出して、ふと花壇を見ると、ダンゴムシの死骸が丁寧に並んでいた。俺は驚いて声が出そうになったけれど、コレと彼女がどうしても結びつかなくて、その日は何も聞かなかった。
その日に少しだけ話しただけであって、それからも彼女と学校ですれ違っても、挨拶を交わすことすらなかった。ただずっと、彼女の姿を見る度に、花壇の死骸を思い出すだけ。隣の席の女子が、彼女の名前を出して話している時も、何かをブツブツと話している彼女の姿を思い出していた。
運命が変わったのは、俺が彼女の傍観者になったあの日。ずっと彼女を見ていたいと思えた記念の日だ。
坂を転げ落ちていく女の姿。丘の上からそれを眺める彼女の姿。俺はその光景を、見るべくしてみたんだと思った。何故なら、彼女の孤独が始まった瞬間だからだ。俺は幼い頃からずっと孤独だった。でも彼女はどうだ。周りにはいつも人が居て、褒められ、好かれる。そんな彼女の秘密を握れたと思った。俺に、仲間ができたと、そう思った。
次の日、彼女を橋の下に呼び出した。車が通ると声が聞こえなくなる、そんな場所。
「こんな所に呼び出して、何かな山田くん」
にっこりと笑って余裕そうな顔。その顔が歪む瞬間を想像すると興奮を覚える。
「昨日見たんだ、意識不明の重体なんだってね」
「…見たって何を?」
「雪宮さんが突き落としたんでしょ」
俺の言葉を聞いて一瞬で笑みをなくした彼女の顔は、冷酷だけど美しい。彼女が持っている人を惹きつける魅力は、優等生である表の姿の奥にある、この冷酷な部分に存在する。目が合うと全てを見透かされている気がするし、距離が縮まると甘い香りが鼻に届いて夢中になる。触れることを許されたと思って手を伸ばすと、一線を引かれて壁が出来る。彼女との心の狭間を、みんな楽しんでいるんだと思った。
「この手は何?」
彼女の手を握ろうと伸ばした手を、彼女はじっとり見つめる。
「誰にも言わないよ、俺は仲間だ。君の秘密は俺が守るから」
「…仲間?」
彼女は小さく笑った。
「バカにしないで。私の事何も知らないくせによくそんなことが言えるわね。あなたが私を止めたいなら言いふらせばいい。私は仲間なんていらない」
伸ばした手を気づけば自然と閉まっていた。
「止めないよ。俺らは同じだ。君ならこの言葉の意味分かるんじゃない?」
「…誰を殺ったの」
ついに、この話を口にする日が来た。
こうやって昨日の彼女の姿を見て憧れ、勇気を貰ったから、彼女に話したいと思ったんだ。
「親友。いや、親友だったヤツかな」
それから彼女は、あの頃の俺の話を、真っ直ぐ見つめながら聞いてくれた。表情一つ変えない姿は、やはり僕と似ていると思った。
俺の孤独を埋められるのは彼女だけだ。そして、彼女の孤独を埋められるのも、きっと俺だけ。
そうして、彼女の行動を見守る日々が始まった。時には、彼女になりたいと思う日もあった。何故なら彼女は、あまりにも美しく人を殺すから。罪悪感で苦しんだり、後悔なんてのもしない。
清々しく人を罰し、孤独へと自ら落ちていく。美しく格好いい。俺は、雪宮佳苗の傍観者として、彼女の隅々まで知るようになった。
*
「雪宮さん…!」
3階の音楽準備室の扉を勢いよく開けると、そこにはまだ彼女の姿があった。
「よかった…まだ居た」
「なんで交換条件なんて飲むの?」
「え?」
「私の過去を知って何になるの?黒崎くんは、私のこと理解してくれる唯一の人だと思ってたのに、どうして裏切るの?私の事好きなら、私のことを1番に考えなさいよ」
彼女の初めてみる取り乱した姿に、僕はどうしても動揺を隠せなかった。
「ぼ、僕が雪宮さんを裏切るわけないよ、そんな事しない!してない!…雪宮さんだって、山田が君のことよく知ってるなら教えてくれても良かったんじゃないかな」
「…別に話す必要なんてないからよ」
「僕は、僕だけが君の秘密を知ってるとばかり…」
「よりによってなんでアイツに言うのよ」
「…?傍観者だから誰にも言わないって言ってたよ」
「そうじゃない」
彼女は近くにあった太鼓のバチを、真っ二つに折って見せた。華奢な腕で出来るとは到底思えない力。怒りなのか、悔しさなのか、悲しさなのか。彼女の様子に戸惑ってばかりの僕は、微かに体が震えていた。
「アイツなの、模倣犯」
「え?アイツって山田…?」
「…はぁ、そうだって言ってるじゃない。理解が遅いのね。自分がどれだけ馬鹿な行動したのか、真面目なその頭で考えてみたら?」
準備室から繋がる長い廊下を歩いて行った彼女の背中を眺めながら、僕の膝は崩れ落ちた。
折れたバチに視線がいく。
彼女との世界の繋がりが、目先の自分の欲のせいで、真っ二つに切れてしまった。山田にまんまと嵌められたことを悟り、悔しくなる。
山田は彼女を壊したい訳じゃないはず。
むしろ彼女を守りたい、独占したい、彼女を好いている僕の存在を毛嫌いしてるように見えた。
それなのに何故彼女の真似をする?模倣犯になれば、1番苦しむのは彼女だ。そんなこと、あいつが分からないはずがない。
昔の話を語る山田は、少なからず彼女に憧れているようだった。「彼女の孤独と、俺の孤独は同じだ」そう語っていた言葉は、嘘ではないと思う。
だから余計に分からない。山田は、彼女の模倣犯になって、一体何を望んでいるんだ。
その日の夜、僕はまたあの雨の日の夢を見た。
夢の中にいる彼女は、いつもより少しだけ気が弱そうで、孤独を怖がっているようだった。まるで縋れる誰かを探しながら人を罰しているようにみえる。彼女に近づいてみると、甘い香りと共に「助けて」と呟いているのが聞こえた気がした。



