愛すべきピオニー

「黒崎くん、これ」

昼休み、神谷達に打たれた後の僕に声をかけてきたのは、同じクラスの山田だった。彼は教室で唯一僕に話しかけてくる変な奴で、雪宮佳苗とは小学生の頃から同じ学校なんだとか。
高校一年生の頃、彼は神谷達に標的にされていたらしい。つまり、今の僕は彼の身代わり。そんな僕に何食わぬ顔でいつも話しかけてくる。そんな薄情な奴だ。

「ああ、プリント。そうだ先生に頼まれてたんだった」
「お前忘れてると思ってさ」
「…ありがとう」

名前の欄に雑に書かれた『山田太郎』という名前を眺める。
彼と初めて話した内容は、この名前のことだった。自分が標的から外れた喜びなのか、マウントなのか、僕が神谷達に打たれた後に話しかけてきた。

「黒崎玲央っていいよな、名前かっこいい」
「そうかな、普通だと思うけど」
「いやさ、お前みたいなやつは、平凡な名前って決まってんだよ。なのに、玲央って。かっこよすぎじゃね」
「…?」
「俺なんて、山田太郎だぞ?お手本に書かれてる名前じゃん。あいつらに目つけられたのだって、この名前のせいだしさ」
「別に、いい名前だと思うけど」
「は?お前はいいよな、今は苦しいかも知んないけど、今が終わればどんだけでも再スタートして、カッケー名前で生きれるじゃん。俺なんて、どれだけ再スタートしても山田太郎。平凡からは抜け出せない」

僕は山田が何が言いたいのか分からず、瞬時に苦手意識を抱いた。それからも、話しかけられてはいつもよく分からない話をしてくる。
打たれたあとの僕に話しかけてくるなんて、どう見ても平凡な人間じゃない。他の人達はみんな、気を使って話しかけに来なかったり、気づいていても助けに来なかったりする。面倒なことに口出して自分が標的になりたくないからだ。理解出来る。

けどこいつはどうだ。気づいていて、打たれる痛さも苦しさも知っていて、なのに平然と話しかけてくる。別に助ける訳でもない、大丈夫かと心配してくる訳でもない。そんな薄情者だ。

「そんでさ、昨日見たドラマが…」

次の日の昼休み、僕が神谷達のお使いから帰ってくると、山田は平然と僕の前の席に座って、お喋りを始めた。
そんな姿をクラスの女子たちはコソコソとなにか話しながら見ている。僕は透明人間だけど、山田は逆に目立っている。いつもよく分からないからだ。きっとそう思っているのは僕だけではない。

山田の話なんて耳に入ってくるわけがなくて、僕は相変わらず彼女を見ながらお弁当を食べる。今日はデザートがないみたい。代わりに、自販機に売っているミルクティーを飲んでいる。
「神谷か吉田か吉崎、誰殺るか考えておいてね」と彼女に言われて4日が経った。あれから、僕は彼女とちゃんと話ができていないし、目すら合わない。ただ、僕が彼女を見ているだけ。
彼女を見ながらおかずを口に運ぼうとした時、口からご飯粒がこぼれ落ちた。そんな僕をみて山田は、僕の視線を盗むように覗き込んできた。

「黒崎さ、そんなに雪宮佳苗が好きなの?」
「え?」
「そういえば俺、あいつのこと小学生から知ってるけど、好きな子の話とか聞いたことないなー」
「そうなんだ」
「あーでも1回、噂にはなってたな」
「え、なんの…」

僕は一瞬だけ、動きを止めた。噂が、オオカミの彼女の事ではないかと思ったからだ。

「あんなに綺麗で、男女にモテてさ、でも彼氏とかできた話聞かないから、本当はあっちなんじゃないかって」
「あっちって?」
「レズビアン」
「…」
「それか、ちょー年上が好きか」
「…」
「何その顔、くだらなって顔すんなよ。ほんとに噂になってたんだから」
「…ああそう、彼女はそのどちらでもないと思うけどね」
「なんだよ怒んなよ。お前、あいつのどこがそんなに好きなの」
「…山田は、好きになったことないの雪宮さんのこと」
「俺?俺はないね、美人すぎて気が引けんだよな」

鼻で笑いたい気持ちを押さえ込み、僕は一言だけ伝えた。

「僕は、彼女の理解者だから」

その言葉を聞いて、酷く引いている様子の山田は、気まずそうに席を立ってどこかへ行った。僕はそんな山田を、心底どうでもよく思った。





次の日、学校で飼育しているうさぎが、何者かによって殺されていた。僕は瞬時に、彼女が殺ったのではないかと思った。でも同時に、なぜ今うさぎに手を出したんだとも不思議に思う。学校では様々な噂が飛び交った。
不審者による犯行、最近ニュースにもなっているクマによる犯行、そして、この学校の誰かによる犯行。
ウサギ小屋のドアが、丸々壊されていたことから、このような憶測がたった。

教壇に立って担任が説明している中、僕は彼女の横顔を見つめた。いつも通りの平然とした顔、と思いきや、今日の彼女はどこかいつもとは違う。周りの誰も気づいていないけれど、今日の彼女はどこか怒っているようだった。

休み時間。彼女はいつも通り、取り巻き達と仲良く談笑している。悩みを聞いて、時には同情して。けれど僕には分かる。何に対してかは分からない、けれど猛烈に何かに怒っていると。

彼女が学級委員として職員室に呼ばれ、その後を吸い込まれるようについて行った。前に話した自動販売機の前で、彼女は足を止めた。

「ねえ」
「…!」
「黒崎くんから見て、私は今どんな風に見えてる?」

2メートル先にいる彼女の背中に向かって、僕は息を飲み込み答える。

「すごく、怒っているようにみえる」

僕の言葉に答えるように振り向いた姿は、オオカミだった。

「ほんと、君は私のことが好きだね」
「…どうして怒っているの?」
「誰かが、私の真似をしているの」
「え?」

僕は思わず、周りを見渡し、誰もいないことを確認せざるを得なかった。そんな僕を見ながら、彼女は一歩、また一歩と僕に近づいた。

「小学生の頃、同じように殺ったことがある」
「ウサギを…?ど、どうして」
「弱いものいじめをしていたのよ、1番弱い子は逃がしてあげたわ」
「誰かが、その時の君の真似をしてるってこと?」
「ええ、でも、あの子達は弱いものいじめなんてしてなかった。とても仲が良かったのよ」
「…だから、怒ってるの?」
「…」

彼女は、僕の目を睨みつけるように見つめた。美しいはずの顔が、不気味に見える。

「ねえ、黒崎くん」
「うん」
「私のために、君はどこまで出来るの?」

見たことない悲しそうな瞳に、肩に覆い被さる言葉。この時の僕は、無意識に真っ直ぐ答えていた。

「君が望むのなら」
「なんでも、どこまでも、僕のすべてを君にあげるよ」

すると彼女は、安心したように微笑んだ。これが、僕と彼女の世界が、確かに繋がった瞬間だった。





ウサギの事件から3日後、吉田と吉崎が突然学校に来なくなった。担任は「事情があって詳しくは言えない」と僕らクラスメイトに伝えた。
「誰殺るか考えといてね」と言ったくせに、2人は彼女が殺ってしまった。
放課後、2人が暇つぶしに訪れる、大きな橋の下。彼女はまた、血の雨を振らせた。

「入院してるんだって、2人とも」
「ええなんで?!」
「あの2人のことだよ、絶対何かに巻き込まれたんだよ。ほら、悪いこと沢山してたじゃん」
「あーたしかに。万引きとか常習犯だし、 闇バイトしてるって聞いたこともある…」

トドメを刺さなかったのは、彼女らしくない行動だった。けれど、彼女は血を拭き取りながらこう言った。

「彼らは本当の意味で助かることはない。意識が戻っても、死にたくなるほどの傷口を作ったからね」

彼女は模倣犯に酷く怒っている。同じ種類の人間と、認められた僕ですら身震いするほどに。
計画も立てずに、衝動的に動いたのは始めてだと言っていた。僕はそんな彼女を、認め、見届けることしか出来なかった。





「ねえ2人とも、ちょっと来てくれる?」

保健室の桜井先生に呼び止められたのは、吉田と吉崎が学校に来なくなって2日後の昼休み。彼女からの合図で屋上に向かおうとした時だった。

保健室に入り、先生が鍵を掛け、カーテンを閉めた。僕らの何かを知られていると、思わざるを得ない。僕の心臓の鼓動は大きく鳴り響き、手が震えた。そんな僕の手を、彼女は瞬時に握った。頼りになる、逞しくも細く、冷たい手だった。
そんな僕らの手元を見たあと、桜井先生はにっこりと笑った。

「やっぱり、あなた達付き合ってるの?」
「…へ?つ、つきあってる?!」

僕が慌ててオウム返しをすると、彼女は手を強く握り直した。

「はい!実は付き合ってます」
「…?!」
「あらそう、私ね、そうなのかなって思ってたの」
「先生、それで私たちに何の用ですか?」
「ああ、あのね、私ずっと、黒崎くんと神谷くん達のこと気になってて。それで、その…今回、吉田くんと吉崎くんがあんなことになったでしょ…私、その」

桜井先生は、少なからず、僕のことを疑っているんだと思った。確かに、恨みがある人を疑うのは正しい。今この学校で彼らに恨みがあるのは僕だ。疑われて当然だ。

「もしかして、黒崎くんのこと疑ってますか?」
「…!そう言うんじゃないんだけど…」
「確かに、黒崎くんは今の彼らの標的です。でも、彼らのことを恨んでいる生徒は沢山いますよ。あ、先生達にも居ますよねきっと」
「…そうね、私はただ確認したかったの。でも…雪宮さんがついてるなら心配要らなかったわね」
「ええ。黒崎くんのことは私が守ります。なので、心配しないでください」
「雪宮さんは流石ね、私は大人なのに、あなたより弱い気がするわ」
「いいえ先生、先生はこの学校の中でいちばん勇気のある教師ですよ」
「…ありがとう、ごめんなさいね変に呼び出して」
「いえ、では失礼します」

保健室を出ると、彼女は繋いでいた手を離した。

「黒崎くん手汗すごい」
「ご、ごめん!」

彼女はニコッと笑った。久しぶりに向けられた彼女の笑顔に、それだけで夢中になる。本当に彼女は、逞しくて、強くて、美しい。

「黒崎―!」

突然呼ばれた自分の名前に驚きながらも振り向くと、山田が遠くからこちらに向かって手を振りながら駆け寄ってくる。そんな山田の姿を鬱陶しく思っていたのは僕だけじゃなかった。彼女は舌打ちをしてから、一瞬で人気者の雪宮佳苗になった。

「おお、雪宮さんとふたりで保健室?なにしてたの?」
「別に何も」
「えー?怪しいなぁ」
「何もしてないわよ、桜井先生とお話をしていたら黒崎くんが保健室に入ってきたの」
「へぇ、てか雪宮さんこうやって話すの久しぶりだよね」
「ええそうね」
「中学、ぶりかな?」
「…私、職員室にいかないと。じゃあね黒崎くん」

彼女と山田の雰囲気に違和感を覚えながらも、彼女の背中を見送っていると、彼女は途中でこちらを振り向いた。
山田が僕に向かって話をしているのをいいことに、オオカミの彼女は山田を酷く歪んだ表情で見つめながら、廊下の角を曲がった。背筋が凍る感覚だった。

「山田さ、雪宮さんと仲良かったの?」
「え?ああ、別にそんなでも無いよ、中学の時に少し関わりがあっただけ」
「関わり?」
「黒崎はさ、『理解者』って言っただろ、僕はね、彼女の『傍観者』だった」
「…は?」
「もしかして、自分だけが知ってると思ってた?彼女の秘密」
「…え、いや、え??」

山田は僕の体を壁に打ち付け、顔の横に拳をぶつけた。驚いて硬直していると、絵に書いたようなノッペリ顔で笑って見せた。

「黒崎」

初めて聞く、低い声だった。

「お前、カッケー名前のくせにばかだな」
「は?」
「雪宮佳苗を理解した気になってる」
「…」
「安心しろよ」
「お前で、4人目だから」

山田はまた笑った。

「雪宮佳苗を救いたいなら、理解した気になるな。お前、死ぬぞ」

そう言い残し、山田はどこかへ行ってしまった。
僕はその場で崩れ落ち、しばらく動けなかった。