日食が終わるまで、あと××時間

孤独を感じる独りになってから、もうどれくらい経つだろうか。

 仰向けになっている体をごろりと九十度回転させ、俺は壁に掛けられたカレンダーを見つめながら指を折った。

 ぽきぽきと五個折られてから、パッパッと小指から親指まで起き上がり、またぽきぽきと折られていく。けれど、薬指の手前でピタリと止まった。

 もうかなり時間が経った様に感じていたが、まだ二週間くらいしか経っていないのか。

 壁に毅然と佇む数字に、ドンドンと進んでいた時計の針が《《正確》》に戻された。

 俺の口から、はぁと重たい息が吐き出される。指折りしていた手も、どさっと地に落ちた。
 沈みきっているはずの心も、更に下層の闇へと落とされる。
 刹那、くくっと喉が笑った。そればかりか、唇も自然と歪んでいる。

 あ~あ、本当に馬鹿だよなぁ。こんな風にばっかり考えて、こんな想いにしかならないんだから。
 他の人達だったら、きっとここまで落ちる事もないだろう。曲がった考えに陥っても、前を向いて歩き続けて、落ちた場所から離れていこうとするんだろう。
 他の人達なら、そう出来るんだ……出来るんだよなぁ。

 俺はごろりと、仰向けに戻った。ぼろと言う程ではないが、年期を感じられる白天井がやけに近く感じる。

 ……本当に狂っている。
 絶望を感じたあれから、ずっと。ずっと、俺はおかしい。
 おかしいのだ。

 そうじゃなかったら、両親を悲しませると分かりきり、引き止めてくれる存在を蔑ろにしたと思われる行動を取るなんて決めない。
 そうじゃなかったら、死にたいと強く望む自分を自分が邪魔する行動なんて取らない。

「何だよ、二ヶ月託すって」
 なんで、そんな事をしてしまったんだ。今更ながら、自分を攻める言葉が並んでいく。

 もう生きる意味なんてないって思い知っただろうに。もう生きる支えをなくしたって言うのに。
 何をまだ、生きようとしているんだよ。伸びた間なんていらないだろ。
 
 プツンと、奥で何かが切れた音が小さく弾けた。
 フッと、唇が歪んだ弧を描く。

 嗚呼そうだよ。こんなの、守る必要のない期限じゃないか。それに死を嫌がる自分が縋った彼女でさえも、ひどく傷つけて沈ませた。

 俺は生きていても、誰かを傷つけるだけなんだ。それなら、いっそ
「もう全部なくすか」
 淡々と、覚悟が結ばれる。

 その時だった。
 嘘みたいな音が弾ける。ピンポーン、と。
 あの時みたいなタイミングで、あの時みたいな明るさで。

「……いや、まさか」
 脳裏に現れた都合の良い考えを遮断するべく、俺はスッと瞼を閉じた。

 するとまた、ピンポーンッと弾ける。そればかりか、ドンドンッと太い音も続いた。

 遮断しようとしていたものが、強引に俺の中枢神経と繋がってくる。
「ほら、これでもう無視出来ないぞ。だから起きろ、起きて扉を開けるんだ」
 俺の体は、ビリビリと迸る命令に従い始めた。

 パッと開かれる視界。むくりと起き上がる体。冷たさにさらされ続けていた裸足が、だんだんと温まってくる。

 これは道が温かみを帯び始めているからなのか、それともあまり動く事をしなくなった自分の足が動いているからなのか。何なのか、分からなかった。

 でも、ガチャと扉を開けた瞬間に分かった……いや、その答えを分かる事が、出来たのだ。

「雨澤さん」
「……なんで」
 雲も何もなくなって、煌々と輝くばかりの光に耐えきれず、疑問が溢れ出てしまう。

 すると「ごめんなさい」と、前から勢いよく謝罪が飛んだ。
 俺は飛んできた謝罪に面食らい、「え?」と間の抜けた一言を零してしまう。

 けれど、彼女はそんな俺を気にも止めずに「本当にごめんなさい」と力強く重ねてきた。
「遊園地から今までずっと私が間違っていたし、最低だった! 貴方の時間を無駄にしてしまった事も謝るわ。勿論、謝るなんて事だけじゃ駄目だって分かってるんだけど。言わせて欲しいの」
 本当に本当にごめんなさい! と、ガバッと下げられる頭。

 衝撃に衝撃が重ねられるが、そのおかげで驚き固まると言う領域を越えられた。理性が一周した、と言うべきか。

「君が謝る事なんて、何もないだろ」
 淡々と告げると、勝手に右の口角がフッと上がった。
「最低な事をしたのは俺の方だ。嫌われるのは当然だし、離れていくのは必然ってものだ。それ程、俺は最低な奴なんだよ。君もそう分かっただろ。だから、もう俺に」
 構わないで良い。
 そう告げようとした言葉が、突然バッと飛びかかってきた重みのせいでシュンっと消える。

 俺は目をパチパチと瞬き、事態の把握に動いた。
 首にぎゅうっと巻き付かれる様な重みが乗り、腰がやや曲がった不自然な前傾姿勢になっている。ふわりと遠くから漂っていたはずの甘い香りは、すぐ近くから鼻腔をくすぐっていた。

 え。あれ、これ、俺……。と、妙に韻を踏んだ理解が、全身に渡った瞬間。目の前から感じる強さがぎゅうっと上がる。

「ごめんなさい。もう、貴方を独りにしないから」
 絶対に、何があっても。と、耳元で力強く囁かれる。

 ぎゅうっと包み込んでくる温かい光に、俺は「あ」と気がついた。

 《《俺はこの太陽が現れるのを心から待っていたんだ》》、と。

 気がつくや否や、俺の頭がコトンと落ちた。けれど、ポスリと優しく受け止められる。

「……もう、現れないと思ってた」
 何の憚りもなく、傲慢な本音がポロリと零れてしまった。

「私は現れるわよ、何度だってね」
 太陽は朗らかに打ち返してくる。

 その朗らかな返しの中に、ぐすっと小さな嗚咽が混じった気がしたけれども。気にする事は出来なかった。
 今はただ、この温かさの中に居たい。
 日向雨なんて、きっとすぐに止む。
 そう信じて、俺はそこに佇んだのだった。