日食が終わるまで、あと××時間

何をしてあげたら良いのか分からない。何が彼を温めるものになるのか分からない。

 そんな想いを募らせてしまうと、私は彼の世界に踏み込むのを躊躇う様になってしまった。



 遊園地の時みたいに、傷を抉るだけで終わるんじゃないか。と、彼の世界に足を踏み入れる事を怖がってしまっているのだ。



 二ヶ月と短い制限期間があるにも関わらず、そこから二の足を踏み続けているなんて駄目だって思う。

 独りにさせちゃ駄目だって思う。

 思っている、のに。「よし、行こう!」と言う勇気が、なかなか生まれなくなってしまった。





「アンタが相談を私に持ちかけるなんて珍しいわねぇ」

 目の前に居る親友・枢木京子くるるぎきょうこは、フフッと私に微笑みかける。



 長年の付き合いがあるからこそ、彼女の持つ宝塚の男役的な美麗さには慣れたものだけれど。私の周囲に居る人はたまらないみたいだ。



 私は「やばぁ」と仄かに上気している後ろからの声を聞きながら、「急にごめんね、京子」と謝る。

「仕事も忙しい時だろうに」

「あら、アンタがそんな事気にしないで良いのよ。それに近々辞める仕事なんだから、気遣いなんて本当にいらないわ!」

 京子があっけらかんと放つ爆弾に、私は「えっ」と大きく目を見開いてしまった。

「京子、仕事辞めるの?」

「辞める、辞める。辞めてやるわよぉ。偉そうな政治家のおっさんばかりを守るの、ちっとも楽しくないんだから」

 それに何より超ブラックだし、超セクハラもあるしさ。と、京子はケッと嫌そうに舌を打った。



 京子は、女性ながらもspと言う危険な職業に就いている。

 そんな仕事に熱意と決意を持って勤める親友を凄いと思っていたけれど。自分の身の安全が皆無と言う状態にはいつもヒヤヒヤしていたから、辞めると言う告白に大きく安堵する自分がいた。



 私が「そうなのね」と相槌を打つと。京子は「次は教師として、若手を育てようと思って」と朗らかに続けた。

「最近ね、誘われた所があるのよ。spを育てる科を作ろうと思ってるから、うちの学園に来ないかって」

 再び落とされる新たな爆弾発言に、私の目は大きく丸まる。

「えっ、教師になるの? 京子が?」

「あら、随分嫌な含みがある発言ね。でも、そうよ。その通り、私、人を教え導く教師になるわ」

 京子は上品な笑みで答えてから「前職を糧にしつつ若手を育てるのは楽しいかもなって思ってね」と、ワイングラスを滑らかな所作で取った。



「幸いにも教職免許は持ってるし、誘われてる仕事場が楽しそうな所だし。まぁ、良い選択なんじゃないかって思うわ」

 親友が自分で考え抜いた結論に、私は「そうね」とふわりと顔を綻ばせる。



 京子も「でしょ」と、満足げな笑みを浮かべるが。途端に、その朗らかさがぐにゃりと歪みだした。

「でもね、結叶。一つ、心配があるのよ。教職員って出会いがないじゃない? それだけが不安なのよ」

「出会いがなさそうなのが不安って事?」

「なさそうって言うか、まるきりない気がするの。それでそのままアラサーに突入して、アラフォー、アラフィフになるんじゃないかって言う……とんでもなくおっそろしい予感がするのよぉ」

 親友だからこそ、だろうか。私も不思議と、京子のそんな未来が描けてしまった。



 出会いがない云々よりも、京子は男性陣に高嶺の花に思われすぎている節があるからなぁ。それに近づけたとなっても、京子のイメージと実際の乖離にも苦しめられそうなのよね。双方にとって、残念ながら……。



「……まぁ、大丈夫じゃない?」

「絶対に大丈夫って思ってない間だったんですけど」

 京子は「マジで辞めてよ、怖いんだから!」と、ワイングラスをガッと勢いよく傾ける。

 並々と注がれていた赤ワインが、どくどくっと喉元へ一気に駆け下りていた。

 そうして全てが自分に注がれきると、傾けていたグラスをタンッと力強く机に置く。

「でも、きっと大丈夫なはずよ! だってうちの家は、不思議と代々で大恋愛の末の結婚をしてんだから! 私だって、絶対に大恋愛の結婚をするわよ……って、私の事はどうでも良いの! 今はアンタの話だわ、結叶!」

 京子は「本筋に入らなきゃ!」とばかりに、強引に話をこちらに引き戻した。



「相談って、何?」

 声のトーンが落ち、真剣が込められる。

 私もキュッと唇を結び、数分前の朗らかさを消した。

「うん。あのね、京子……」



 私は一つ一つ言葉を選びながら、京子に伝えていく。私に訪れた運命を、そして試練を。

 彼が死ぬ気で居ると言うストレートな表現は出来なかったから、曖昧に語ってしまう所もあったけれど。京子は時折相槌を打ったり驚いたりしながらも、静かに耳を傾け続け、全てをまっすぐ受け止めてくれた。



「……だから、相手にどうしたら良いのか分からなくて。多分、私。少しだけ、ううん、かなり怖くなっているのかもしれないわ」

 本音を吐き出して、結び終わると。京子は「成程ねぇ」と深く頷いた。

「言わせてもらうとね、結叶。私的には、結叶が怖がる必要なんてないと思う。っていうか、アンタに怖がる資格なんてないわね」

 ズバッと飛んできた言葉に、私は愕然として彼女を見つめる。



 京子は「結叶が怖がっちゃ駄目なのよ」と、泰然と繰り返した。

「でも、京子。私、また彼の傷を広げる様な事をしてしまったら」

「何かをして傷を抉るよりも、急にパッと離して孤独にさせる方がずっと最低じゃない?」

 グサッと、私の心に矢が突き刺さる。

「それにアンタが、これは運命だって突っ走り始めたんなら尚更ね」

 京子は空いたワイングラスを片手でゆらゆらと上品に回して言った。

 虚空で滑らかに描かれる円が、どんどんとぼんやりしていく。



 自分がしてしまった事の結果に打ちのめされて、忘れてしまっていた。

 扉を開けたあの時は、確かに抱いていたのに。彼を独りにさせたくない、独りにしちゃ駄目って。

 嗚呼、そうよ。彼の傷をどうこうしなくちゃと言うよりも大切なのは、彼を独りにさせない事だったんじゃないの?

 思い知らされる事実に、いや、自分の愚かさに悔しくなった。



 そして苦しくなった、結果としてまた彼を傷つけているだけだと痛感したから。



 私は「そうよね」と、俯いた。

 それぞれの感情がぐちゃぐちゃに綯い交ぜになっていくばかりか、下にと引っ張られていく。



 その時だった。

「大丈夫よ、結叶」

 前から紡がれる朗らかな慰めに、私の顔はじわじわと上がり始めた。



 すると直ぐさま、パチリとチャーミングな視線に捉えられる。

 私は思わず息をのんでしまった。

 刹那、京子はふふっと柔らかく相好を崩す。

「まだ始まったばかりじゃない。何度だってやり直したら良いし、何度だってチャレンジしていけば良いの。アンタらしく、ひたすら相手に食らいついていけば良いのよ」

 それに結叶は、ここで俯くばかりの女じゃないでしょ。と、茶目っ気たっぷりに告げた。

「私は知ってるわよ。アンタが諦め悪くて、図太くて、図々しいの。だからどうせね、私がここで何かを言わずとも、すぐに自分で立ち直って何回でも当たって砕けて当ろうとしていたわよ」

 今のアンタが欲しがっているのは、アドバイスじゃなくて、アンタは間違っていないわよって背を蹴り飛ばされる事なのよ。

 京子は「そうでしょ?」と鼻を上品に鳴らして言った。



 厚い信頼が込められた京子からの活に、私の心は凜と立ち上がり始める。



 私は唇をきゅうっと一文字に結び直した。

 もう、どこにもない。「怖い」なんて思う心も、「どうしたら良いのか、分からない」と言う躊躇いの道も。



 私は京子が差し込んでくれた光をしっかりと心にしまい込んでから、彼女を見つめた。



「ありがとう、京子」

「礼なんていらないわ」

 京子は婉然と言い、艶やかに髪を払う。

 私の口角も、にこりと朗らかに上がった。



「でも、図太くて図々しいって言うのはただの悪口じゃない?」

「やぁねぇ、褒め言葉よ! ちょっと迷ったんだからね、大阪のおばちゃん以上のお節介焼きで世界一の心配性って言うのと」

「うわ。何にしろ、ディスってるじゃない」

「ま、仕方ないわよ。だって、これらが結叶の代名詞だもの」

 京子はあっけらかんと言い放ち、上機嫌でワインのおかわりを頼む。



 私は一切悪びれない京子をジト目で射抜きながら、くるりとパスタをフォークに絡ませた。



「良いじゃない、良いじゃない。そのおかげで、私はアンタと仲良くなれたんだし、私が私のまま高校生活を謳歌出来たんだから。結叶がそうじゃなかったら、私はあんな楽しい青春を送れてなかったし、今の私だって間違いなく今の私じゃないでしょうし?」

 覚えてるでしょ。と、京子は瞳の奥に懐かしい光景を宿しながら笑った。

「枢木に近寄ったら呪われるってデタラメな噂があったの。そのせいで、私は「くだらない」って皆を見下して、余計にツンツンしていたわ。でも、そんな私は溶かされたのよ? 拒否っても、邪険にしても、ぐいぐい隣に居続けてくれた結叶によってね」

「……京子」

 じわぁと感動が、彼女の名を紡ぐ声に纏われる。



 京子は「自信持ちなよ、結叶」と、ニッと男前な笑みを広げた。

「結叶に間違いなく救われた人間が言うんだもの。だからアンタはそのままで良い。それで彼と接してあげれば、きっと彼も救われるはずよ」

 結叶に救われた先輩からのアドバイス、なんてね? と、京子は婉然とグラスを傾ける。



 そんな親友の姿が、じわあっと歪みそうになったけれど。私はぐっと目元に力を入れて隠した。



 親友に救われた、喜びの涙を。



 私はパクリと大きな一口で、パスタをほおばった。もぐもぐと咀嚼すると、旨味と喜びがぶわりと溶け合い、いっぱいに広がる。

 そうなれば自然と、私の口角はニッと上がっていた。



「本当に京子って頼りになるわ。ありがとね」

 京子はゆらりと揺れ動く赤ワインを一口飲んでから、「でっしょぉ!」と上機嫌を弾けさせる。

「この、枢木の京子さんに何でも任せなさぁい! 誰だって、何だって倒してあげるわよぉ!」

 ガハハッ! と、力強い哄笑が飛ぶけれど。度数の強いアルコールが、彼女からドンドンと「美麗な宝塚女優」的な美しさを剥がしているのが目に見えてきた。

 いや、でもこの豪快さが京子の素だから。アルコールのせいじゃない、かも?