日食が終わるまで、あと××時間

彼の顔は、露骨に「最悪」と歪んでいる。目が「あっ」と大きく見開かれているせいで、殊更ハッキリとそれが分かった。でも多分、目が大きく見開かれていなくても分かったと思う。



 けれど私の方も、パッと一目で分かる位の感情を顔に広げていた。



「すごい、偶然ですねぇ!」

 心からの喜色を浮かべて、声を高らかに張り上げる。



 彼は、綺麗に整ったパーツを更に中央へ寄せ「最悪」と呻いた。薄氷の如く張っていた建前も何もなくなったみたい。



 私は、その呻きに「そう言われましても」と笑み一つで対応してから、サッと手土産を胸の前に掲げる。

「隣に越してきてしまったので」

 よろしくお願いしますね。と、掲げていた手土産を相手の方へ運んだ。



 への字に結ばれていた唇が「どうも」と小さく動くと、お近づきの証が苦渋を訴えられたまま受け取られる。



「……あの、引っ越しの予定は?」

「ありませんよ」

 早速厄介払いをしようとしている彼の期待をピシャリと打ち落としてから、私はフフッと笑みを溢れさせた。



「折角、お隣さん同士になったんですから。仲良くしましょうよ」

「いや、結構です」

 やはり彼は瞬時に否定を飛ばしてから、サッと消えようとする。

 これ以上面倒と付き合うものかと言わんばかりに、薄く開かれた扉の奥へ。



 刹那、私の心が頭からの伝令よりも先に体を突き動かした。

 ガッと伸びる手、サッと滑り込む足。



 ここで離してしまったら……きっと、この運命は消えてしまう。



 私は彼の世界を強引にこじ開ける様にして、ガバッと大きく扉を開いた。

 こんな所で、運命の赤色を暗澹たる黒色にべたりと塗り潰させたくないから。



 バチッと、視線が重なる。

「なぁ。アンタ、本当に何なんだよ」

 薄暗い中で揺らぐ真剣が、煌々と明るい本心を探ろうと動いた。

「碓木結叶うすぎゆいかです」

 離すものかと燃える真剣が、こちらを探ってくる猜疑的な闇に真っ向からぶつかっていく。



「これから、よろしくお願いしますね」

 朗らかに打ち返すと。彼は、前からの朗らかさをぐいと押しのける様にして「しない」とぶっきらぼうな否定を吐き出した。

「これきりだ、もう関わらないでくれ」

 言ったよな? 鋭く研がれた目からも、威圧が向けられる。辛うじてあった上辺の丁寧さも、完璧に消えていた。



 格段に冷たさを増した冷気が、私の全身をグサグサと容赦なく突き刺す。



 あまりの冷たさに……いや、冷えが纏う恐ろしさに、本能がうぐぅっと呻いた。



 けれど、芯からビリビリと伝わる熱が私にはあった。

 私は一度、彼からの拒絶を受け入れてしまった。引き止める事もしなかったせいで一人になったし、一人にさせた。



 でも、また対峙する機会が現れた。

 こんな偶然、そう何度もない。

 きっと必然は見透かしているのだ、私達を。本当は、まだ「一人」になりたくないのだろうって。



 メラメラと燃える心が、ドンッと後ずさる背を押した。

「無理です!」

 私は毅然と打ち返し、ずいっと彼に迫る。



 彼の目が、ギョッと丸まった。私よりも身長が高く、逞しい体がピシッと強張ったのも分かる。



「私がここで引き下がったら、貴方はどうします? どうなります? それが怖いから絶対に無理です!」

 一気にまくし立てて告げると、「貴方も、私が隣に居てソレを続行出来ると思います?」と声をワントーン落として尋ねた。



 彼の目がサッと落とされたばかりか、喉までもくっと唸る。

 私は「でしょ」と頷いた。

「貴方の何がそうさせるのはかは分かりませんけど。私は、貴方を死なせたくありません」

 きっぱりと結び、私を探る瞳にまっすぐ訴える。本心が抱く、狙いをそのまま。



 だからこそ、と言うべきなのか。彼は面食らった表情を広げるも、じわじわと「どうして」に歪み始めた。

 けれど、その歪みはハッとした何かによって消える。

「嗚呼」

 彼からフッと小さな笑みが零れた。とても分かりやすく皮肉めいた微笑だ。

「優しい常識、だったか」

 ぼそっと独りごちる様に言う。



 優しい常識。そっか、私、あの時は引き止める事を「普通」だって言ったんだ。

 私はキュッと唇を結んでから、「今は違います、常識なんてものじゃありません」と答える。



「これは、運命だから」

 目の前の皮肉に正面切って告げた、刹那。前からの歪みが、ギョッと別の物に変わった。

 恥ずかしいんだか、愚かしいんだか、嬉しいんだか。よく分からないものに、けれど間違いなくこちらが窮地に追い込まれていくものに、私の笑みも自然と変わっていく。



「そう、かなって思って?」

 えへへっと誤魔化しの笑みを飛ばすも、目の前の顔は変わらない。それどころか、ますます色を強めている様な気がした。



 すぐどこかへ消えていこうとする人だから、まっすぐなものをぶつける方が良いと思ったけれど。流石に、「運命だから」って言うのは率直すぎたかも。しかも一方的に感じている事だし……いや、向こうも思ってくれていたら嬉しいけども!

 今の所、私は彼にとって「やばい奴」から「とんでもなくやばい奴」認定に移っただけよね? 多分、そうよね?



 その真実を察した瞬間、私の笑みが落ち始めた。えへへと付け足されていく笑みは、か細い息と共に消えていく。



 訪れる沈黙。空間に「気まずい」がぷくぷくと満ちていく。



 この居たたまれなさに耐えられる鋼の心臓を持っている訳じゃない私。小さな私が、横からサッと棒を出してくる。頭にくくりつけられた白い旗がひらりとはためく、小さくも逞しい棒を。



 私は横から差し出される棒を握りしめた。あとはこのまま掲げて、ひらひらと白い旗を振るだけだった。



 けれど

「だとしても。俺は、変わらないよ」

 彼から重々しく言葉が紡がれる。



 私はハッとして彼を見つめ、紡がれていくものを待った。

「変わりたくない」

 もう、終わりにしたいんだ。と、静かながらも、どこか投げやりに吐き出される。



 伏せ目がちに告げられたのは、間違いなく、彼の心が抱く辛苦だった。ほんの少しかもしれないけれど、その少しだって彼の心から転写されたものだろう。だから



「……私が変えるわ」

 ハッと我に帰った時には、もう、そう囁いていた。

 私も彼と同じ様に、真心を吐き出していたのだ。



「だって、このまま終わりになんてしたくないもの。だから私が変えてみせるわ、貴方の心を」

 私に出来るなら、貴方が決めた事を全力で潰したい。

 まっすぐ彼を射抜く双眸からも、私の心を伝えた。



 すると、フッと彼から小さな笑みが零れる。

「ここまで来ると、優しいってより傲慢だな」

 俺にどれだけ残酷な事をしようとしてるって、分かってる? と、彼は片眉をくいっと上げて尋ねた。



「分かってる」

 私はすんなりと首肯する。

「理由も何も知らないくせにって嫌に思われているって事も、ちゃんと分かってる」

 彼は私の答えを聞くや否や、「正解」と淡々とぶつけた……でも。

 その後に続くのは、否定でも、私を苦く呻かせる様な想いでもなかった。



「俺の一ヶ月、君に託す事にするよ」

 その間は、絶対に君の思う事をしないから。と、彼は言った。

 いや、誓ってくれたのだ。



 私の口角が「良いの? !」と、ぱあっと上がっていく。



「良いと言うか、諦めた。君の言う通り、このままだったら絶対に邪魔され続ける気がしたから」

 彼はわざとらしく肩を竦めて言った。

「引っ越したいけど、今の俺にそんな金はないし、色々と面倒くさい。そうなると、この案で妥協した方が最善だろ」

 数分前までは、私から白旗を揚げようとしていたのに。先に上がった白旗は、なんと相手の方からだった。



 思いがけぬ展開に、私は「ありがとう!」と喜色満面で飛びついた。



「でも一ヶ月は短いから、せめて四ヶ月にして欲しい!」

「無理、一ヶ月」

 彼はにべもなく私の譲歩を払いのける。

 けれど、私も「無理、短すぎ」と食い下がった。

「本当は一年以上欲しい位なのに」

「いや、一年なんて長すぎるだろ」

「そう思うでしょう? だからせめて四ヶ月でって」

「俺としては四ヶ月でも長すぎるんだよ」

 私がどんどん食い下がるにつれ、彼も負けじと張り合ってくる。



「けど、一ヶ月だけなんて何も出来ないでしょ。人の心を変えようって言うのなら殊更、一ヶ月なんて短過ぎると思わない? !」

「先延ばしなんてしたくないのに否が応でも猶予をつけられた身になってくれ。そうしたら一ヶ月でも長い方だろ」

「気持ちは分かるけど、一ヶ月だけなんて本当に短すぎ! 折角貰った猶予なのに、何も出来ずに終わっちゃうなんて事になりかねないわ。だからせめて、四ヶ月。絶対にそこは譲れません」

「俺だって、一ヶ月は譲れない」



 バチバチと、互いの主張がぶつかり合って数十分後。



「……せめて、半分の二ヶ月にしてくれ。それ以上は本当に無理だ」

「……分かったわ」

 ようやく、延々と続きそうだった争いに終止符が打たれた。お互いに最大限の譲歩を見せ、お互いに不承不承ではあったけれども。



 私と彼、雨澤蓮斗の約束にかげつがスタートしたのだった。