日食が終わるまで、あと××時間

「それからは知っての通りだ」

 蓮斗はふうと一息つくように締めくくってから、フッと口角を上げた。まるで、その最後を実行出来なかった自分を嗤う様に。



「情けない話だろ? たったそれだけかってさ。普通の人は、ここまでならないから余計に「たったそれだけでそこまで壊れるか?」って思うだろ。ばあちゃんが死んで、いちゃもんでしかない誹謗中傷を貰って、犬が死んで、母から諫言を貰った……そう。ただ、それだけなんだ。でも、それだけの話なのに、俺はこうなった。俺が普通よりも、うんと弱くて情けないから壊れた。馬鹿みたいに狂ったんだ」

「それだけの話じゃないじゃない!」

 思わず、私は彼の言葉に噛みついた。



 どうしたら「それだけ」と軽く言えるだろうか。



 言えない、言える訳がない。

 夢を追いかけ続ける苦しみに耐えて頑張っていたのに、大切なおばあちゃんが死んでしまった。そこだけでも折れるに充分だ。でも、蓮斗は自分を奮い立たせて歩んだ。

 そうしてやっとデビューを掴めたって言うのに。周りから受ける誹謗中傷が容赦ないなら、私だったらペンを握る力すらも忘れてしまう。何の為に頑張ってきたんだって、きっと自分の夢を後悔する。

 そこに加えて、愛犬の早い死、味方として支え続けるべき母親からの無神経な言葉。



 こんなの、誰だって底に沈む。耐えに耐えてきた痛みに潰れてしまうのは当たり前だ。



 それなのに、蓮斗は自分を弱いと言い続け、自分を惨めに扱う。



 悔しい。自分を蔑ろにし続け、何度も負けずに歩み続けた過去を軽んじる蓮斗に。



 ぎゅうっと、掌の柔らかな肉を四本の爪が抉っていく。短く丸みを帯びていると言うのに、深々と進み続ける爪の鋭さに掌は声を上げ始めた。



 これだけだって痛いのに。蓮斗は、どこまで自分の痛みを無視していたんだろう。どれほどの傷を無視していたんだろう。



「……結叶が泣く事ないだろう」

 俺の話じゃないか。

 蓮斗は困った様な、呆れた様な笑みを浮かべて言った。

「他人からすれば、そこまで落ちる必要がない馬鹿げた話だろ」

 私はぶんぶんと首を振る。



 パッ、パッと飛ばされる雫が、それぞれ着地した。

 蓮斗に辿り着けた物はあったのか、分からないけれど。きっと辿り着けていない。

 今も、これからもずっと。



 悔しさと悲しさに絡まり、ぐえっと醜い嗚咽が零れた。



「結叶」

 私の名を呼ぶ優しい声が前から発せられる。

 その優しさに、私はパッと弾けた。

「馬鹿げてなんかないわ! だって蓮斗の心に刻まれている傷は、そんな言葉で表せる物じゃないもの。淡々と言えてしまう程、簡単に出来た物じゃないもの!」

 キッと自分を卑下する蓮斗を睨めつけながら、生まれた想いをそのままストレートにぶつけていく。

「自分が弱くて情けない? どこがよ! よくもそんな風に言えるわね! 蓮斗は弱くなんてない、情けなくなんてないわ! 許せないわよ、私。蓮斗を蔑み傷つける人達が。そんな人達の言葉を信じて、自分に貼り付ける蓮斗自身も。酷い、すごく酷いわ。でも何よりね……優しい貴方を理不尽がボロボロにしている事が、一番許せないわ」

 ぶわりと溢れていく。想いが、涙が、こんなにも簡単に。

「なんで、そんな風に蓮斗を傷つけていくの。なんで、蓮斗ばっかりがそんな傷を受けなきゃいけないの……どうしたら、私はその穴を埋められるの?」

 嗚咽混じりに、本音もボロボロと溢れ始めていた。



 どうしようも出来ないだろうに、蓮斗に向かって「どうしたら良いの」をぶつけ始める。



 すると蓮斗の口から、小さな吐息が零れた。

「本当に結叶は優しいよな。いや、優しいからこそか」

「違う!」

 初めて会った時みたいに己の内側で納得し、「優しさ」で片付ける蓮斗を私は強く否定する。

「私は、蓮斗の事が好きなの! 大好きなの! 心から、貴方の事が大好きなの! だからよ! 優しさなんかじゃない、貴方の事だけを想うからなの!」

 力強い否定は、勢いもある力強い告白に変わっていた。



 いつもだったら、「言っちゃった」って赤面するだろうけれど。今の私はいつもの私じゃなかった。だからこそ、想いが次々と蓮斗に飛びかかっていく。



「蓮斗に生きて欲しいし、ずっと私の隣に居て欲しいの! 好きで好きで、貴方がいなきゃダメだから! 生きていて欲しいのよ!」



 ただそれだけの願い。されど、それだけの願いは蓮斗にとってどれほど残酷な物に変わるだろうか。



 彼の闇を知って、彼の傷にピタリと触れた今、分かってしまった。



 やっぱり私は自分が大嫌いな「蓮斗を傷つける人間」の一人になっている、と。

 多分そうじゃないかと抱いていた推測が、間違いのない現実に変わった。



 私はグッと奥歯を噛みしめて、悲しい現実に閉口してしまう。

 好きな人だから死んで欲しくない。けれど、好きな人は生きる事を望んでいない。

 だからと言って、後者を尊重したくはない。けれど、前者を取ると私は彼を傷つける人に変わる。



 自分が傷つくか、傷つけられるか。この恋は、絶対にどちらかが傷つかないとダメなのだ。



 傷つきたくない。

 でも、傷つけたくない。



 矛盾する想いが、容赦なくバチバチとぶつかり合う。すると



「今から、出発しようか」

 ふと投げかけられた声に導かれてみると、蓮斗は柔らかく相好を崩していた。

「一日早いけど、結叶の事だ。もう旅行の準備出来てるだろう?」

 柔らかな問いかけに、私はこくりと落ちていた。