日食が終わるまで、あと××時間

『山梨に旅行』とカラフルに彩った日にちを見ると、頬がふにゃんと蕩ける。



 けど、そこから数をトントンと増やしていく様に目を右に移していくと。ピタリと緩みは止まって、心に満ちている楽しみの中に悲しみがシトシトと降ってくる。



 旅行の後から約束の日まで、残りは一日。

 今までは何度だってやり直せたし、限りある制限の中で「次は何をやってみよう」が出来た。でも、残り一日ともなると、試行錯誤の段階にいられない。



 私が居られる場所は、彼の心をきちんと良い方に固める事が出来たかどうか、だ。



 だからなんとしてでも、この旅行で心の闇を晴らせたって言うのを可視化させなくちゃ。

 きっと、彼の心を固めさせる大きなチャンスがあるのはこれが最後だろうから。





 

 うーん、結構コートが邪魔になるなぁ。しかも、服ももこもこしたのばっかりでかさばっているし。でもそうかと言って、防寒要素を削っちゃうと絶対に寒い。



 入りきらない中身をべろんと広げるキャリーケースの前で、私はうーんと苦い顔で唸った。



 一泊分、しかも圧縮袋を駆使して尚コレだもの。帰りは、余計に大変そうだわ。

 ぼわっと溢れる荷物にスッスッと目を走らせ、何か落とせそうな物を確認してみる。

 望遠鏡と椅子はマストだし、バスタオルだってこっちで必要って言う宿かもしれないし。トランプだって、部屋でやれる時があるかもしれない。



 順番に検品していくも、やはり一つ一つの物に「必要」と言うラベルが貼られ直されただけだった。



 私は「うーん」と首を捻り、どうしようかと次の善策を考え出す。



 キャリーを大きくするって言うのも手だけれど。そうなると、宿泊数が多い日用のキャリーになっちゃってかなり大きくなるからなぁ。一泊分なのに、そのデカさ? って蓮斗にドン引きされそう。あと「どんだけやる気があるんだよ」って、思われそうよね。

 まぁ確かに、やる気と楽しみに満ち満ちているけれど。それが相手にまで伝わってしまうのは嫌だから、キャリーを大きくするって言う手はなしね。



 心の中で、そう可決した時だった。ピンポーンと朗らかな音が弾ける。



 私は、まるで私の悩みを晴らすべく訪れた様な誰かに向かって、重たい腰をひょいと上げた。タイミングが良すぎる事に感謝しつつ、「は~い」なんて上機嫌で開いてしまうけれど。



 扉口に立っていた存在を視認するや否や、私の口角はドスンと落ちた。肩も心も、急降下して沈んだ。ドスンッと。



「おい、姉ちゃん。俺って分かった途端にそんな顔すんなよ」

 可愛い弟の来訪にもっと喜べ。と、けろりと言ってのける結生。喜べる要素なんて偶にしか見当たらないのに、堂々とこんな事を言えてしまう口には相変わらず感嘆してしまう。



「喜べる要素がアンタにあれば喜ぶわよ。で、何しに来たの?」

 ぶうぶうと垂らされる文句を遮り、私は溜息交じりに投げかけた。

「漫画を避難させてもらいにきやしたぁ!」

 呆れた。やっぱり、結生が来る時に現れる喜びなんてハレー彗星みたいな周期でしか当たらないのかも。



 ハァと更に落ちた気分に引っ張られ、視線も落ちると、今にもはち切れそうな紙袋がギチギチとぶら下がっている事に気が付いた。

「はぁ、もう。仕方ないわねぇ」

 そう嚥下しないとどうにもならない存在を内側へと入れる。勿論、自分を納得させる為にも言ったのだ。「この方法しかないから仕方ない」って。



「あざぁす!」

 結生は嬉々として私の部屋に入ると、躊躇なく紙袋をドサリとリビングの一角に置いた。私の断りもなく、無愛想な角を鮮やかに演出している小さめの観葉植物を「これ邪魔だなぁ」と容赦なく退けてから。そればかりか、「まだこっから追加あるから、ここは空けておいて」なんて不遜な指示を出される始末。



 私は嘆息しながら、様変わりしていく一角を「はいはい」と見つめるしかなかった。



 でも、ふと目に入ったタイトルが、弟への凍える吹雪をピタリと止ませる。と、同時に思い出される記憶が耳の奥で、その時の声を蘇らせた。



「俺は駄作だと思ってる」

 出会って間もない時だったって言う事も勿論あるだろうけれど。この時の声は、いつも以上に冷たくて暗い一蹴に思える。



 ぼわぁと何気なく広がっていく気がかりが、答えを探ろうとそちらへと伸びていく。



「お。やっと読む気になったかよ、ぐらびっと」

 本を手に取った瞬間、めざとい結生に茶々を入れられた。「そんな神漫画をすぐに読まなかったのは、マジで勿体ないぞ」なんて上からの言葉もぶつけられるけれど、耳には何にも入らない。



 なんとはなしに、蓮斗の抱える暗闇がここにある気がするから。



 漠然とし過ぎている勘が、展開された物語をペラリ、ペラリと進めていく。



「でも、最近やっと連載再開するからなぁ。今読み始めるのが、一番ラッキーでベストかもしれん」

「……連載再開?」

 ペラリと捲る手が止まり、フッと結生の方へと顔を向けた。



「どういう事? ずっと連載されてなかったの?」

「そ、神・アマト先生の体調不良が原因で三ヶ月前からな」



 まさかと、不自然に指が止まる。真ん中で揺蕩っていたページが、右へゆっくりと落ちていく。まるで、時間の流れがそこだけ狂ってしまったかの様に。



「アマト。三ヶ月前……」

 確認する様にボソリと呟くも、好きを熱く語りだす結生によってかき消された。

「やっと最近ぐらびっと再開って宣伝されて、めちゃくちゃ可愛い女キャラの新カットとか出されてさ。もう流石神って期待中なんだけど。休載した時はガチで泣いたんだよ、俺。休載の原因が誹謗中傷だからって言われてると、余計にこう、なんつーの? やるせないって言うか、神に向かって何様だって感じでさ」

「え? 誹謗中傷?」

「ネットの噂だから、本当のとこは分からねーけどよ。休載ってなった時と誹謗中傷するクソが炎上した時が重なってるんだ。だからそう言われてる、原因はそれじゃないかって。まぁでも、そうなってもおかしくない位ひでぇんだよなぁ。こんなのつまらない・なんでこんなのが連載とれてんだってぼろくそに言ってるし。挙げ句、脅迫文を直接送ってた奴もいるらしいよ。死ね、さっさとペンを折れってさ。神に向かってマジで何様だよ、てめぇがコレ描けんのかよって感じだろ?」

 しゅんと落ち込んでくる声が、次々と私の知らない話を紡いでいく。



 知らなかった、数ヶ月前の数々。なのに、「まさか」と言う想いが心の中でドンドンと強まって、「知っている」に向かっていく。



 まさか、本当にそうなんじゃないか。



 私の指が、面白いが弾け出す宇宙の物語をすっ飛ばし、作者紹介にバッと飛んだ。



『アマト 千九百九十四年生まれ、広島県出身。大好きな宇宙から得た物語が、まさかこんな風になれるなんて。死ぬほど頑張ります、よろしくお願いします』

 遠くに感じる端的な文章なのに、不思議と、近くの彼がぎゅっと結ばれていく。



 私と六歳差になる年齢も、広島県出身も、宇宙が大好きと言い切っているとこも、雨澤蓮斗をバラしてくっつけた様なペンネームも。



 遅すぎる気づきで、ようやく触れた気がした。



 触れたとしても、きっと、そこには踏み込んじゃいけない。彼の心をまた底へと突き落としてしまうかもしれないから。

 でも、きっとそこは私が踏み込むべき場所だ。べたりと根付く死の思想を彼から引き剥がすには、そうするしか方法がないだろうから。



 どうしたら、いや、どうすれば彼を救えるだろうか。

 終わりやくそくが近づいているのに、私はまた始まりの命題に戻ってしまったみたいだった。