日食が終わるまで、あと××時間

「ここに居てぇ」
 泣きながら訴える彼女を前にして、初めて分かった。
 彼女は無敵の太陽じゃない。
 弱さも脆さも、ちゃんと持った一人の女性なのだ。




「……ごめん。でも、まだ、ここに居て欲しいの」
「大丈夫、分かってるよ」
 こんなやりとりを何度か繰り返して、やっと彼女は眠りを得てくれた。

 アイツと同じ「男」が目の前に居るから、怖くてこのまま眠れないんじゃないか。本当は出て行った方が、彼女の為になるんじゃないか。
 そんな風に思っていたから、スウスウと小さくて可愛らしい寝息を目の前で確認すると、思わず安堵が零れた。

 けれど、彼女の顔には未だに強張りが残っている。
 当然と言えば当然の事か、あんな事があった後なんだから。

 ぽつと心の中で呟くと、数時間前のとんでもない光景が脳裏に蘇る。

 名前を叫ばれたから、何か危ない事が起きたのだろうとは踏んでいたけれど。知らない男が彼女の部屋に入り込んでいたばかりか、彼女に襲いかかっていた所だったとは思ってもいなかった。

 あまりの衝撃に動けなかった。目の前で彼女が涙を流し、恐怖でいっぱいになっていたと言うのに。
 俺が少女漫画とかで生きる男だったら。素早く男を引き剥がし、彼女をスマートに助け出していただろう。きっと殴りかかり、格好良く捕まえたりなんて事も出来ていたはずだ。
 でも、残念ながら、俺は俺でしかなくて。「嗚呼、どうしよう」と言う想いでいっぱいになって、殴りかかりに行く事は愚か彼女から引き離す事さえも出来なかった。
 隣の部屋に飛び込めたのが、俺の精一杯だった。
 撤退させたのも、俺自身の力じゃない。あれは俺が他人から貰いながら重ねてきた「普通」に運良く戦いてくれただけなのだ。

 やはり、自分の力ではどうにも出来ない。分かっていた事だったとは言え、実際が推測通りだと情けなさばかりが募る。
 俺は、ハァと嘆息した。
 その時だ

「蓮斗」
 弱々しく俺の名前が紡がれる。
 ハッとして顔を上げると、彼女の口がもごもごと可愛らしく動いていた。

 もしかして彼女の夢に、俺が現れているのだろうか?
 ……君の世界に居る俺は、一体どんな奴で居るんだろう?
 まぁやっぱり情けなくて、惨めで、弱い奴なんだろうが。せめて君の夢の中だけでも、君を守れる強さを持っている奴になっていて欲しい。

 自然と、都合が良すぎる願いを抱いていた。そんな自分に、俺はギョッと引きつってしまう。

 彼女が太陽じゃなくて、一人の女性だと分かってしまったからだろうか。なかなか、その願いを離す事が出来ない。離せと引っ張るも、腕に込められた万力によって完璧に囚われてしまっていた。

 君の目に映る俺は、少しでも強い男で居て欲しいだなんて
「馬鹿だな」
 ボソッと、嫌悪に塗れた独り言がこの現実を浮き彫りにする。

 彼女が、俺に異性的な好意を持っている訳ではないのだ。
 にも関わらず、俺はこんな想いを一方的に抱いている。
 あのおっさんと同じだ。一方的に魅入って、勝手に寄りすがって、迷惑ばかりを彼女に与える男の一人だ。

 ……愚かの上に、浅ましいまで重なってくるか。

 ギュッと唇を噛みしめ、貫く痛みを痛切に感じる。
 男として、人として、自分がどれだけ駄目な奴かを。

 その想いは容赦なくトントンと積み重なり、ピンとまっすぐ支えていた腕がくの字に曲げられ始めた。

 その時だった。
 パチリと、目が開く。この暗闇の中でも、つぶらな瞳にじわぁと不安が溶け込んでいるのがよく分かった。

「どうかした?」
 彼女の瞳から溢れそうになる雫に臆しながらも、尋ねてみる。

 すると「あ」と小さく口が開かれたかと思えば、ふわぁと柔らかく綻んだ。

「居る」
 溶け込んでいた不安も、中心からぶわぁと波打つ様に消えていく。

 彼女らしい、いつもの輝きに心がドキリと唸った。
 ひどく浅ましくて醜い本能も、むくっと目覚めてしまう。
 けれど、自分の醜さをこれ以上露呈させる訳にはいかなかった。
 ドクン、ドクンとあちこちで起き始める熱を感じ取りながら、俺は必死に冷静を繕う。

「あぁ。俺、《《約束は破らない》》よ」
 だから大丈夫。と、再び夢の世界へ入る様に促した。そうでもしないと、繕った物がすぐに壊れてしまいそうだったから。でも

「蓮斗……あ、雨澤さんは寝ないの? ずっと起きてない?」
 可愛らしい疑問が、キュンと囁かれる。こんな時でさえも、彼女は俺の繕う姿を剥がしにかかるのか。

 俺はグッと奥歯を噛みしめて、目の前から浴びせられる強大な力に耐えだした。

「いや、別に平気。いつも寝る時間少ないし」
 今は俺の心配なんてしなくて良いから早く寝な。と、自分が剥がされそうになる寸前の必死さが強まり、淡々とした口調でぶつけてしまった。

 その瞬間に、彼女から好かれたいと願う俺が「おい」とばかりに胸ぐらを掴みかかってくる。
「これ以上、彼女に嫌われたくないんだよ!」
 声高にぶつけられる本音に、俺は「え」と固まってしまった。

 《《嫌われたくない》》。俺は、一体いつからそんな風に考えていたんだ?

 嗚呼、もう。君は、本当に俺が見えていない俺を見つけだすよな。自分が見つけたくなかったと思っていたとしても、見つけてしまうんだ。

 俺はゆっくりと項垂れる、「少しでも好感度を回復させてくれ」と訴える自分の手に。

「……雨澤さん。やっぱり、ここじゃ眠れない?」
 彼女が眉根を寄せて、弱々しく尋ねてくる。

 丁度、良かった。

「それは君の方だし、俺は別にどこだって寝れるから本当に心配しないで良い。あと、別に蓮斗でも良いから。もう無理に雨澤さんって呼ばなくても良いよ」
 回復方法として咄嗟に出てきた回答に、俺の頭が更にガクッと落ちる。幼稚園児並のアイディアかよ、と。

 目の前の彼女だって勿論、困惑を見せた。目を大きく見開かせ、「え?」とドン引きしている。
 だよなと思う。名前呼びなんて小学生でも組み込まれていない段階だろうし、何より女慣れしていない感が強い。

 居たたまれなさが一気に駆け上り、「いや、君が良ければ別に蓮斗でも良いからって言う話」と言う弁解が超速球で飛び出しそうになった。
 その時だった。

「蓮斗」
 ふわりと優しく綻ぶ口が、俺の名をしっかりと紡ぐ。

 あちこちで起きていた急加速が、ドンッと一気に止まり始めた。急速に取り戻される平常。そのおかげで、目の前がくっきりと大きく広がっていく。

 だからよく見えた。
 心がドクンドクンと大きく脈打つ程に好きな笑顔が。

「私、これからは蓮斗って呼ぶ。だから蓮斗も、私の事は結叶って呼んで」
「分かった」
 彼女を名前で呼べる喜色が、コクンと素直に首を縦に振らせる。

 すると彼女の優しさが「このまま眠れちゃう」と、ふわぁと広がった。

「おやすみ、蓮斗」
「おやすみ……結叶」
 再び、安心を得た彼女が眠りに落ちる。

 俺も同時に落ちてしまった。彼女がいる世界と同じ場所ではないけれど、それでもここは冷たくない。

 久しぶりに黒色が見えない世界に、俺はずっと佇んでいた。
 本物の太陽が、ゆっくりと東から登るまで。