日食が終わるまで、あと××時間

 職業柄、なんて言い方をしたらずいぶん大層だろうけど。明るく且つ丁寧に作り込まれたファンシーに、人々の笑顔と幸せが溶け合っている場所で長く務めているからこそ、その暗さはすぐ目に止まった。



 まぁ流石に、暗さを持った人間とは全くの無縁で生きていると言う訳じゃない。

 だから暗い顔をしている人を見つけても、いつもは「あぁ、何か嫌な事があったんだなぁ」「辛い事でもあったのかなぁ」と思って終わる。そっと横を通り過ぎて、その世界においての通行人役を全うするのだ。



 これまた職業柄と言うか、私の性格上と言うか「この人、笑顔になって欲しいなぁ」と思う心もあるけれど。見ず知らずの人から「貴方、暗い顔してますけど。大丈夫ですか?」なんて突っ込まれたら、普通に嫌だろう。第一、私だって相手に「なんだこいつ」っていう嫌悪を抱かれるのが恐ろしい。



 だから無視しようと思っていた。

 けど、目は彼を捉え続ける。無視を決め込もうとする意識も、ぐいーんと引っ張られている輪ゴムが元に戻っていこうとするが如く、彼を中心に立てて離さない。



 それほどに、彼の纏う暗さが他と違って見えてしまうのだ。

 やんわりとでも声をかけるべきか、それともいつも通り通行人役に徹するべきか……重大な論争が始まる。

 その一方で、彼は私の密かな争いにまるで気付かずに、ジッと棚に並んだ商品を吟味している。

 しゃがみ込む彼の前にずらっと並んでいるのは、ありとあらゆる工具だ。同じ用途を持った道具でも、横にずれたら全く違う容姿をしていたり、全く違う中身をしている。



 工具を使う関係の人なのかもしれないわ。と、無視する勢力が一歩優位に進んだ。

 じゃあやっぱり無視で! と思うも、気づいてしまう。



 彼が、ずっと同じ物を見続けている事に。

 私には、それが工具と呼べるのかどうか分からなかった。

 普通に、どこにでもある縄だったから。



 他と違ってあまり差異がない商品棚ばかりを見続ける不審火が、ぼわぁと点いた。

 刹那、彼の手がそっと伸びる。

 商品へ、ではなく……自分の首元へ。太さと長さを確かめる様に、そっと優しく、彼は大きな手のひらで包み込んだ。



 ギョッとした驚きが全身にビリビリッと迸るばかりか、ぞわっとした恐怖が背筋を恐ろしげに這う。



 彼の纏う暗さが、他と違って見えた訳が分かった。

 あの暗さは、ただの暗さではない。繊細ながらも力強い危機が孕んでいるのだ。



 そうだと気づくや否や、彼を必死で自分の世界から外そうとするのを辞めていた。

 私は鞄の中からバッと水筒を取り出し、蓋を緩めてから、ぎゅむっと内側へ押し戻す。

 そして何食わぬ顔で「ここかなぁ」とぶつぶつと言いながら、彼の元へと足早に歩を進めた。



 ここまでは、有象無象の通行人役。

 けど、ここからは違う。



 私は唐突に彼の横で「ん?」と足を止めた。それからわざとらしく鞄を開け、「あっ!」と声を上げて、蓋の緩んだ水筒を取り出した。

 彼の視線が、こちらにチラと寄越される。

 それと同時に「今だ!」と言わんばかりに、私の手から水筒がパッと離された。



 がちゃぁんと甲高い金属音が弾けたばかりか、バシャッと飛沫が飛び、どくどくと中身が広がる。

 数多の足が踏みつけているせいで黒ずんだ白い床に、そして彼の足下に。



 ひねりも何もない、ベタな作戦だった。多分、漫画家とか映画監督とかだったら「もっと違う方法ない?」と却下する事間違いなし。

 なんて思いつつも、他が思いつかなかったから仕方ないとばかりに、私はベタベタ作戦をそのまま続行した。



「あぁっ! すみません、すみません!」

 大仰と思われる位にペコペコと頭を下げ、慌てて水筒を回収する。

「本当にすみません! 大丈夫ですか?」

 彼は、横で起きた自然な展開に唖然としていたが、「え、えぇ。まぁ」と小さく答えた。

 店内BGMの明るさが邪魔に思う位の心地よい声をしていた。鼓膜を震わせる低い声は、とても滑らかで、ほうっと息をついてしまいそうになる。



 なんて別方向に足を踏み出しかける自分に「こら!」と活を入れてから、私は水筒を回収しながら「あっ!」と叫んだ。

 彼の体が、突然の大声にビクッと強張る。



「すみません、ズボンを少し汚しちゃってます!」

 ああもう本当にすみません、すみません! と、必死の謝罪を重ねた。

 彼は「え?」とやや眉根を寄せて、足下に目を向けるが。すぐに、視線をこちらに戻して「別に大丈夫です」と淡々と言った。

「これくらい気にしないでください」

 素っ気ないながらも優しい気遣いをもらう。

 けれど、私の耳には「もう良いから、構わないでくれ」と言う、拒絶に聞こえてならなかった。



 優しさと言う紗幕で、内側にある冷たさを隠されているみたい。

 きっとそうかもと思ってしまうと、そうなんだと思い込んでしまうのが私だ。



 私はキュッと水筒の蓋を閉めてから「だめです!」と、声を張り上げる。

「そう言う訳にはいきません、ちゃんと弁償させてください!」

「いや、こんなの弁償だなんて言う程じゃないですよ」

 ガッと燃えさかり始める私の勢いに、若干引き気味でなだめかかってきた。けれど、私は直ぐさま「言うほどの事ですよ!」と、力強く重ねる。

「素敵なおズボンと靴を汚してしまったんですから!」

「いや、どこにでもあるジーパンと靴なんで」

 別にこれと言った思い入れもない安物だし。と、彼の戸惑いと嫌悪が引き気味な姿勢からぶわりと溢れてきた。



 視線だって、私の苦手な「なんだこいつ」になりかかってきている。

 私はぐっと奥歯を噛みしめてから、「そうは言っても、このままじゃ嫌でしょう!」と言葉を重ねた。

「いや俺は別に」

「私も、嫌です!」

 前から入る端的な突っ込みを強引に一蹴する。

「お互い良い想いをして帰りたいじゃないですか! だから、ねっ! ちゃんと弁償をさせてください! それか弁償が嫌って言うなら、何か奢らせてくださいよ!」

「いや、本当に大丈夫なんで」

 譲歩するも、彼から「いや」を連続して突きつけられた時だった。

 天の助け、もとい、騒ぎを聞きつけてきた店員が小走りにやって来る。



「どうかしましたか?」

 私は駆けつけてきた男性に「勝機!」とばかりに、「あっ、すみません。私が水筒の中身を零して、床と彼の洋服を汚してしまったんです」と状況を口早且つ端的に告げた。勿論、一目で分かりやすい様に、私と彼の間にある小さな水たまりをさっと見せながら。

 男性店員さんのO型に開かれた口から「ああぁ、なるほど~」と、間延びした答えが紡がれた。

「床は拭きますので大丈夫ですが、お召し物の方は……」

 こちらがどうこうする事は出来ないとばかりに眉根を寄せられて告げられると、私は彼よりも早く「それは大丈夫です」と重ねる。



「私の方こちらで、解決しますから」

 ニコッと笑みを弾けさせて打ち返した。



 すると男性店員さんの方からも「あぁ、それなら良かったです」と、ニコッと安心が零れる。



「本当にすみません、ありがとうございます」

 私は足早に去ってモップを取りに行く店員さんを見送ってから、決着の笑顔を彼にも向けた。



 男性店員さんは、笑顔を向けると微笑み返してくれたけれど。彼の顔は、全く変わっていなかった。



 安心も笑みも広がっていない。この状況に、ひどく憮然としている顔だった。

 彼を覆っている幕がはらりと捲れて、内側が微かに見えている気がする。

 だからこそ、だと思う。私の笑みは崩れなかった。



「と言う訳なので、もう一緒にこの流れに乗ってくれません?」